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「ニーナに、レオン殿下……! お会いしたかったわ……!」

 彼女は大きな声でそう叫ぶと、ニーナの脇を通り抜け、図書室に駆けていく。

 ニーナは彼女を目で追い、そしていつの間にか自分の後ろまで歩み寄っていたレオンに気づいた。

 ふわりと風が起こり、ニーナの髪が揺れる。

 レオンは彼女を見下ろし、僅かな驚きを見せた。

「……アメリア。なぜここに」

 アメリアが勢いよく胸に飛び込み、レオンは彼女を抱き留める。

 ぽすっと受けとめられた彼女は、頬を上気させ、瞳を輝かせて彼を見上げた。

「ずっと、ずーっと寂しかったの! お父様にお願いして、来ちゃった!」

 仲睦まじそうに抱き合う二人を、ザシャは呆気に取られた様子で見つめ、ニーナは静かに踵を返す。

 廊下には、侍女のリーザと、ハンネス、そしてカールが立っていた。

「ニーナ、待ちなさい」

 レオンが即座に呼びとめたが、ニーナは振り返らなかった。

「寂しかったようだから、どうぞアメリアをお慰めしてあげてください、レオン殿下。私は、下がります」

 うんざりしていた。

 アメリアとレオンが触れ合う様を見るのも、運命に嘆くのも――疲れ果てた。

 ――やっぱり、運命は変わらないのよ。

 たとえレオンが国を変えようとしても、ベルクマン侯爵がいる限り、あの国には戻れない。

 議会は妖精の血を宿すニーナを否定し、そしていずれ、レオンはアメリアを娶るのだ。

「リーザ、部屋に戻りましょう」

 自らの侍女に声をかけると、アメリアが興味深そうに声をかけた。

「まあ、侍女? ニーナの?」

 耳障りな、揶揄を含んだその問いに、リーザが応じた。

「はい。リーザと申します、お嬢様」

 彼女は膝を折り、アメリアに挨拶をする。

 礼節を持った対応をされたアメリアは、満足そうに笑い、屈託のない調子で言った。

「よかったわね、ニーナ。レーゲン王国だと、お父様は貴方になんてもったいないとおっしゃって、侍女は私にしかつけてくれなかったもの。貴女はずっと、この国にいた方がいいのじゃない? 貴女も、こっちの方が、居心地がいいでしょう?」

 言外に、二度と戻るなと言われ、ニーナの心はズタズタに裂かれた。

 振り返れば、レオンは腕を離したのに、彼女は彼の腕に手を絡め直し、無邪気に笑っている。

 ――触らないで。

 思いがけず、そんな刺々しい言葉が胸を過り、ニーナは目を瞬いた。

 自分の胸を見下ろし、当惑する。

 これまで、どんなにレオンが浮気をしても、こんな感情は抱かなかった。

 レオンの裏切りへの失望、悲しさばかりが心を閉め、相手の女性など、まともに意識もしなかった。

 直前の前世で、勝ち誇ったかのようにうっとりと微笑む、懐妊した女の子にすら憎悪はなく、ただひたすらに、そこに至った過程を汚らわしく、おぞましいと感じるばかり。

『怒りたい時は、怒っていいんだよ』

 ザシャの声が耳に蘇り、ニーナはそうか、と思った。

 ずっとずっと我慢していた。

 自分に怒る権利はないのだと、無意識に感じていた。

 妖精の血を引く自分は、卑しい見た目で、生かせて貰えるだけでありがたい。

 そうベルクマン侯爵に言い聞かせられて委縮し、前世でもレオンの立場を慮るあまり、ひたすらに尽くそうとだけ考えていた。

 王太子の妻となるべく勉学を積んだ彼女は、感情を外に出すべきでないと学び、それを延々続けてきたのだ。

 ――レオンに相応しい女性となるために。

 でも――と、ニーナは自身の婚約者とアメリアを見る。

 レオンは恋人が目の前にいるのに、自分に触れてくる女性を拒絶しない。

 アメリアは、恥じらいもなく他人の婚約者に纏わりついている。

 ――なんなの。

 ニーナを取り巻く人たちは、彼女が何も言わないからと、傍若無人に振る舞う。

 どうしてニーナばかりが、完璧でなくてはならないのか。

 レオンの態度も、品のない言動を繰り返すアメリアも、とても腹立たしかった。

 ――私だって、怒っているのよ。

 怒りを自覚すると、倦んだ心に、さあっと澄んだ風が吹き込んだような気がした。

 ニーナは息を吸い、アメリアに向かって、微笑む。

 それはぞくりと背筋が凍るほどの、甘く美しい笑みだった。

 アメリアはきょとんとするだけだったが、それを見たレオンの顔からは、表情が消える。

「そうね、アメリア……。確かにこの国は、とても居心地がいいわ。――貴女のお父様のように、私を打つ人はいないもの」

 最後の一言に、アメリアは目を見開いた。

 ニーナは人生で初めて、自分が暴力を受けていた事実を口にした。

 ずっと隠さねばと信じ込んでいたが、もはやその必要はないのだ。

 ――なぜ暴力を受けていたニーナが、ベルクマン侯爵を守る必要がある。

 ニーナはレオンに視線を向け、小首を傾げた。

「レオン殿下。国を変える必要はありません。貴方は知に武にと秀でた統治者の器をお持ちですが――」

 ニーナは一度言葉を切り、レオンの腕に視線を移す。アメリアがしっかりと掴む様を眺め、ふっと笑ってみせた。

「国を変えずとも、レーゲン王国は既に安寧の時を刻んでおります。波乱を生む必要はないでしょう。……私でなくとも、望んで貴方の世継ぎを生みたいと考える者も既にいらっしゃるようですから――どうぞ、早々にお国にお帰りになって」

 その言葉の意味がわからない人間は、この場にいない。

 アメリアはぽっと頬を染め、レオンは唇を真一文字に引き結んだ。

 ニーナはふわりと薄布のドレスを翻し、背を向けた。

 真後ろにハンネスが立っていたが、冷えた目で自分を見下ろす彼に、ニーナはまた微笑んだ。

「道を開けて」

 そう言うと、彼は気に入らなそうに眉を顰めたが、すっと脇に避ける。

 リーザが静かに後ろにつき従い、ニーナは背筋を伸ばして廊下を歩み去った。

 ――もう、誰にも怯えず、誰にも縋らない。強くなる。

 運命だって変えてみせる。

 ニーナは今まで一度だって、自分からレオンを突き放さなかった。でも今世は違う。

 ――一度も好きだと言ってくれなかった人に、これ以上尽くすのは無意味。

 レオンを望まない。そして今世では決して、殺されない。

 そう強い意志を持った彼女の背は、冷たくも美しい光を放つ宝石のように、凛としていた。



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