恋にも色々ある2 - バイオレット -
問題ない、とオリバーに言ったものの、実は一つだけ困ったことがあった。
「バイオレット」
義姉に当たる子爵夫人がそっと寄ってきた。わたしは準備している手を休めずに近寄ってきた子爵夫人へと顔を向けた。
「お義姉さま」
「今日も男爵夫人は参加するのよ。不愉快な思いをするかもしれないから、あなたは下がってもいいわ」
「大丈夫です。ここで下がっては認めているような気がして嫌ですから」
子爵夫人は大きくため息をついた。
「まったく男爵夫人は何のつもりなのかしら。いつまでもねちねちと。オリバーに未練があるのはわかるけど、本人だってすでに結婚しているというのに」
「オリバー様と前妻様の幼馴染ですから、単純に後妻がいること自体が気に入らないのではないでしょうか」
最近の悩みの種、それはオリバーと前妻の幼馴染で、前妻とは親友だったという男爵夫人だ。わたしが茶会に出るようになってから、ちくちくと言ってくる。毎回気にしないように流してはいるが、回数が重なれば憂鬱にもなった。
「あら、バイオレットは知らないのね。彼女、オリバーに若い頃、熱を上げていたのよ」
楽しい秘め事を教えるかのように、子爵夫人が耳打ちした。驚いて彼女を見れば楽しそうな笑みが浮かんでいる。
「多分だけど、オリバーの妻が死んだから、自分が後釜に座れると思ったのだと思うわ。オリバーの前妻が亡くなった時、彼女は20歳だったから希望を持っていたのね。でもなかなかオリバーは再婚に踏み切らず、ずるずると25歳まで独身で頑張っていたの」
25歳まで独身、と聞いて驚いた。貴族令嬢がその年まで婚約者も持たないという状況は、わたしのように何かなければなかなかな聞かない話だ。
「さすがにね、それ以上独り身でいることは自分に瑕疵があると言っているようなものだもの。いつまでも待っていると息巻いていたけど、5年前に両親に言われて渋々男爵と結婚したのよ」
「そうなんですか」
そんな話を聞けば、嫌味の一つも言いたくなるのだろうと納得してしまう。
「結婚した男爵は穏やかな人となりだけど、彼女は後妻だから、色々と不満を持っているようね。だからこそ、余計に貴女に八つ当たりするのだと思うわ」
「八つ当たり」
わたしにはどうしようもないことだ。子爵夫人はぽんぽんと手を優しく叩いた。
「もしこれ以上、不愉快なことを言ってくるようなら、オリバーにはっきりと言ってもらうから」
「そこまでしなくても……。政略結婚なのは本当ですから」
「バイオレット」
「それにわたしよりも長いお付き合いもあるようですし、一人だけ招待しないのはお義姉さまの評判を落としてしまいます」
子爵夫人の催すお茶会は近隣の貴族夫人や令嬢を呼んで行う。頻繁ではないが、それなりの頻度で行われており、わたしは茶会の度に手伝いに来ていた。自分で言うのもおこがましいのだが、王女付きの侍女だったわたしはお茶を淹れる腕は確かなのだ。
子爵夫人と選んだ茶葉と菓子は招待客にも好評で、特にお茶は褒められることが多い。
「わたしのことを気遣ってくれてありがとう。でもね、男爵夫人が変なことを言い出したら教えてね。言いがかりには違いないわけだし、貴女が我慢することはないわ」
「お気遣い、ありがとうございます」
「固いわね。もっと楽に接してもらっていいのよ?」
子爵夫人は揶揄うように言うが、わたしはこれが当たり前になってしまっていてなかなか崩せずにいた。すぐに変わることは難しいと思ってくれていたのか、子爵夫人は優しく言葉を重ねた。
「時間がかかってもいいから、家族だと思ってほしいわ」
嬉しさに自然と笑みが浮かんだ。子爵夫人にぽんぽんと手を軽く叩かれる。
「さて、お客様を迎えましょう」
ちらほらと招待客が庭に案内されてくる。人数も多くないので、招待客はすべて把握していた。もちろんお茶の好みや菓子の好みも把握ずみだ。
「ようこそ」
子爵夫人はにこやかに客を迎え入れる。わたしはしゃんと姿勢を伸ばした。早々に今話していた男爵夫人がやってくる。
「お招きありがとうございます」
挑むようなきつい目をわたしに向けてきた。内心ため息をついた。この茶会でもずっと嫌味ばかり聞かされるのかと思えば、気にしないと心の中で唱えても憂鬱にもなる。
じろじろとわたしを頭の上からつま先まで眺め、赤く塗られた唇を歪める。まるで悪魔が舌なめずりしているように見えてしまう。
「オリバー様も大変ね。こんな小娘と結婚しなくてはいけないなんて。さっさと出て行ったらどう?」
今日は直接攻撃をすることにしたらしい。今までとは違う対応にどうしようかと黙り込む。
「男爵夫人、義妹を貶めるのならお帰りになってくださいませ」
険悪な空気を感じたのか、子爵夫人はにこりと笑みを浮かべて男爵夫人を牽制した。男爵夫人はややばつの悪そうな顔をする。
「いやあね。貶めているんじゃないのよ。忠告をしているのよ」
「その言葉が忠告だと言うのなら、わたしとは基準が異なるようね。今後の付き合いを考え直した方がいいのかしら?」
男爵夫人は子爵夫人の言葉にぐっと言葉を詰まらせた。睨みつける様にわたしを見てから、使用人に案内されて会場に入った。
その後ろ姿を見送って、今日は彼女と接触しないように気を付けようと心に刻み込んだ。意識して距離を置いていたせいなのか、子爵夫人からの注意が効いたのか、お茶会の間は和やかに進んだ。
ただし、最後は綺麗には終わらなかった。
お客様の見送りに行った子爵夫人と離れて、一人になったところを男爵夫人に捕まった。この屋敷も詳しいのか引きずられるようにして人のいないところへと連れ込まれてしまう。
「何か御用でしょうか?」
冷静に、と心で呟きながらじっと男爵夫人を見た。
「さっさと出て行ってほしいの。貴女がいるから、オリバー様が不幸になっているわ」
わたしはため息をついた。
「それで? わたしが出て行ったところで離縁は成立しません」
「そんなはずはないわ。できるはずよ」
「……では、男爵夫人から国王陛下へ奏上してください」
言葉遊びしていても、できないものはできない。いちいち対応するのも面倒になったので、投げやりに告げた。その態度が悪かったのか、男爵夫人は癇癪を起した。
「いつまでも屁理屈を言っていないで、オリバー様を自由にしなさい!」
ああ、そうか。
顔を真っ赤にして、目を吊り上げている女を見て、すとんと心の中に落ちてきた。
この女はヒューバートにとってのわたしだった。
国で決められた結婚であっても、手探りながらお互いに歩み寄って少しだけ家族になった。
このまま時間を過ごせば、オリバーとはきちんと心を通わせた夫婦になる自信がある。
それを勘違いしている女が壊そうとしていた。
オリバーは女を拒否しているのに、男爵夫人はわたしがいるからと意味が分からないことを言う。わたしと彼との結婚は国王陛下が調えたものだ。
誰かに言われて出て行ったとしても、簡単には解消できない。
思わず笑い声が漏れてしまった。
なんて滑稽なのだろう。なんてバカなんだろう。
絆ができ始めていたわたし達の関係が簡単に壊れるわけがないのと同じように、ヒューバートとその婚約者も同じだ。ヒューバートは誰にも愛想を振りまいていないし、初めからわたしは拒絶されていた。
初めてヒューバートを目にした時、あまりの美貌に目が離せなかった。彼の婚約者がわたしと同じ子爵家の令嬢だと知って、わたしでも彼の隣に立てるのではないかと勘違いした。現実を全く見ていなかった。
「バカにして!」
男爵夫人はわたしが笑ったことに激高した。つかつかと前に歩いてきたと思えば、ばしっと頬を叩かれる。思い切り力が入っていたのか、頬がジンジンと痛んだ。わたしは目をそらさずに、じっと彼女を見つめた。
怒りは沸かなかった。あるのは気の毒に思う気持ちだけだ。わたしの憐れみを含んだ視線がさらに怒りを呼んでしまったのか、男爵夫人は顔を赤くしてぶるぶると体を震わせている。
「オリバー様が貴女の気持ちに応えることはありません」
「なんですって!」
もう一度叩こうと、手が振り上げられた。それを眺めながら、避けることはしなかった。同じところを叩かれたら腫れがひどくなるな、とどうでもいいことを考えていた。
「何をしている」
低い怒りのこもった声がした。わたしに振り上げられた手が強く握られている。
「オリバー様!」
男爵夫人が驚きの声を上げた。
驚いたことにすぐ側にオリバーがいた。
かなり強い力で握っているのか、男爵夫人が痛みに顔を歪ませながら暴れて手を振りほどく。オリバーは押えておくつもりがなかったのか、簡単に手を離した。その代わり、わたしと彼女の間に入り背中に庇われた。
「妻に何をした」
今まで聞いたことのない、怒りの声。
わたしは彼の広い背中を眺め、体をすくませた。今までの優しくて穏やかな彼とは一致しないほど、恐ろしい声だった。男爵夫人はオリバーの怒りに戸惑いを見せたが、すぐに強い目で彼を見つめた。
「わたしは子供の頃からずっとオリバー様が好きだったの。病気で何もできないあの子を選んだのは優しいあなただから仕方がないと思っていた。あの子が死んだんだから、私を選んでくれると思っていたのに知らない女と結婚するなんて……」
勝手な言い分にため息が出そう。オリバーも同じ思いなのか、声が苦々しい。
「そんな気持ちで彼女と付き合っていたのか」
「あんな何もできない女、いらないじゃない!」
吐き出すように叫んだ女は醜い顔をしていた。オリバーは怒りを抑えるためか大きく体を震わせて唸った。親友だと言って前妻が生きていたころから出入りしていた女がこんな気持ちを抱えていたなんて思ってもいなかっただろう。
「……二度とここへ来るな」
オリバーは絞り出すような低い声で告げた。女は驚いたような顔をする。
「何を言って……」
「妻を傷つけられて黙っていると思っていたか」
「そんな女、押し付けられただけでいらないじゃない」
ああ、本当に。
少し前の自分を見ているようだ。
わたしは息を整えると、オリバーの前に出た。彼は後ろにいるようにと目を向けてくるが、それを無視した。
「確かにわたし達は政略結婚です。ですが、信頼関係があります」
「は?」
わけが分からなかったのか、男爵夫人は目を丸くした。
「貴女は信頼関係を築かなかったのですか?」
「信頼なんて、初めからあるもの。オリバー様はわたしを好きだったのよ」
「本当に?」
彼女の目を見つめて静かに尋ねる。彼女は自信満々に頷いた。
「本当よ。あの女ができないことがわたしにはできるもの。オリバー様を慰めることだってできるわ」
彼女は慰める、という言葉と色を含んだねっとりした視線をオリバーに向けた。その視線を追って彼を振り返る。オリバーは蔑むような目を彼女に向けていた。
「本当に?」
今度はオリバーに聞いた。
「それはない」
「嘘を言わないで」
「絶対にない。貴女は好みじゃないんだ。それこそ政略結婚でもない限り、結婚しようとは思わない」
ズバリとオリバーが言う。彼女が呆けたような顔になる。
「オリバー様?」
「自分を前面に押してくるような性格がどうも受け入れがたい。人を見下す性格も嫌いだ。それに豊満な体つきも実は好みではない」
淡々と説明するオリバーに男爵夫人は徐々に顔を赤くした。予想外の言われ方に戸惑っているようだ。
「そんなこと今まで一度だって」
「言えるわけないだろう。仮にも前妻の友人なのだから」
何とも言えない沈黙が落ちた。
「じゃあ、わたしが離縁したのは無駄だったという事?」
彼女の呟きに、驚いてしまった。
「離縁?」
「そうよ。オリバー様がそろそろ再婚するかもしれないと聞いて、離縁したのよ。わたしが選ばれると思って」
驚きすぎて言葉が出ない。
どうやら彼女が必死にわたしを追い出そうとしたのは、自分が離縁したため後がなかったためのようだ。
オリバーがため息をついた。
便箋を手に取った。何も書かれていない、まっさらな便箋だ。
ヒューバートの婚約者、今は妻になっているだろう彼女宛に書こうと用意した。
自分の行動で傷つけたことを謝ろうと思って手にしたのだが。
よく考えてみたら、彼女には一度も顔を合わせていない。辛い思いをさせたのは本当であったが、驚いたことに彼女の顔も名前も知らなかった。
辛い思いをさせて申し訳ない気持ちで手紙を書こうと思ったのだが、ここで謝るのは違う気がした。
考え抜いて、わたしは手紙を書き始める。
自分がどうしてそうしてしまったのか、どう考えていたのかを書いた。
彼女と同じ立場に立って、いかに理不尽で、自分勝手であったのかを知ったことを書く。
謝罪は一切書かなかった。浮かれていて噂になったりしたのは本当だけど、それを聞いた彼女がどう思ったかは知らない。見知らぬ女からごめんなさい、と言われても困惑するだけだ。
「手紙か?」
オリバーが部屋に入ってきた。湯を使ったのか、まだ髪が濡れていてぽたぽたと雫を落としている。わたしは手紙を手早く封書に入れると、立ち上がった。タオルを手に取り、彼を座らせて髪を拭く。
「ええ。前にすごく傷つけてしまった人に」
「……それは隣国の?」
「そう。でも、謝るのは変かと思って」
そう答えれば、オリバーが呆れたような目でわたしに向けてくる。
「謝っていないのなら、手紙は必要ないだろうが」
「そうかしら? 彼女にしてみたらわたしが何を考えていたのかわからず、気持ちが悪いと思うけど」
謝罪がないと手紙の意味がないとは思わない。
わたしがどうしてあんなことをしたのか、理解できた方がすっきりすると思うのだ。
前の婚約白紙の時は、理由がわからなかった。知りたかったけど、怖くてできなかった。
彼女もそうではないかと思ったのだけど。
「どちらにしろ、届くかどうかわからない」
「そうだわ。わたし、国外追放だったわね」
「外交官に知り合いがいるから頼んでもいいが……バイオレットはどうしたい?」
今までの経緯から彼女の手には届かないかもしれないと思ったが、それでもよかった。
これはわたしの自己満足だ。
「出してみるわ」
ああ、そうだ。最後に付け加えておこう。
彼の髪をゆっくりと拭いた。
わたしは幸せになれるかもしれません、と。
Fin.




