君の手を離さない1 -オーランド-
「迎えに来た」
突然声をかけられた彼女は体を小さく震わせてから振り返った。
癖のない艶やかな長い黒髪に新緑の緑の瞳。
化粧をさほどしていなくとも、肌は滑らかだ。
上質な布を使ったドレスは飾り気がないが、彼女の姿勢の良さと雰囲気でとても清楚に見せていた。
最後に顔を合わせた時から2年が経っていた。姿形が変わったわけではないが、彼女の持つ空気が記憶の中の彼女とは異なっている。貴族令嬢らしい美しさはそのままであったが、19歳の彼女は確実に少女から大人の女性になっていた。
ぽかんとした顔をして、声をかけた私を何度も確認するように見ている。
それもそうだろう。
王都からこの小さな学問都市まで馬車で1日ほど離れた距離がある。今までだって彼女に会いに来たことはない。
「え、王女さまとの結婚は……」
「3か月前に帰った」
驚きすぎているのか、瞬き一つせずに固まったままだ。これを幸いに彼女の荷物を取り上げ、手を腰に回す。近い位置で少し悲し気に目を伏せて見せれば、見上げていた彼女が目を見開いた。
「破談になったんだ。幼馴染が可哀想だと思うだろう?」
「破談?」
そう呟いた彼女が何を考えているのか、手に取るようにわかる。
彼女の頭の中では、忙しく今までの情報と現状を突き合わせて何がどうなっているのか、弾き出しているはずだ。そして、早く私から逃げなければ、という結論につながることも。
「うん。だから私と結婚しよう」
「……無理」
「無理じゃないよ。書類はすべて揃っているし、あとはセリーヌの署名を入れたら終わりだから」
にこりとほほ笑むと、さっと顔色を変えた。慌てて距離を取ろうとするが、離すわけがない。逃げられないように、ぐっと彼女の腰を抱く手に力を入れた。
「明日、試験なの」
「知っている。大丈夫、試験は受けてもいいから」
「試験に合格したら、わたし、薬師の研究員として……」
「ごめん。それは許せそうにない」
ひゅっと彼女が息を飲んだ。だが、すぐに睨みつけるように下からのぞき込んでくる。
「許しなんていらないわ。わたしが決めることだから」
「そんなに研究員になりたい?」
「なりたいわ!」
怒りに目をキラキラさせながら、彼女は言い切った。久しぶりに怒った顔を見ながら、胸が熱くなる。彼女の、いつでも前向きで挑んでくるところが好きだ。だから、薬師になるためにここに来ることを許したのだ。それが二人にとって最悪な事態を引き起こすと考えもせずに。
「1カ月、その気持ちが変わらなかったら研究員になってもいいよ」
「どういうこと?」
理解できないのか、眉を寄せた。話を聞く気はあるようだ。そのことにほっとしながら、不安な気持ちを隠して笑みを浮かべた。
「1か月、私はセリーヌを口説く。それに応えられないというのなら潔く諦めるよ」
「本当に?」
疑わしいと言わんばかりの目を向けられたが、気がつかないふりをした。
「ただし、私も仕事があるから王都に来てもらいたいんだ」
「……わかったわ。試験が終わった後なら」
「よかった。明日、試験が終わったら一緒に帰ろう」
セリーヌは拒否しなかった。嬉しくて、頬が緩む。
「ねえ、手を離して」
「うん?」
「目立っているわ」
どうやら人の目が気になるようだ。ぐるりとさりげなく周りを見渡せば、何人か、すごい形相で私を睨んでいる。
ああ、なるほどと頷いた。
「牽制が必要だね」
「え?」
彼女の腰をさらに抱き寄せると、少し屈みこんで唇を合わせた。
ほんのわずかだけ触れあった唇。
子供のような軽いキスだ。
「!」
「セリーヌ?」
体から力が抜けてしまったのか、私に寄りかかってくる。顔を真っ赤にして彼女はプルプルと震えていた。
ああ、何となく彼女がこの2年、どんな生活をしてきたのか理解した。
にやりと笑うと、力が抜けて動けなくなってしまった彼女を抱き上げる。
「やだ、下ろして!」
恥ずかしさに暴れるが、離すつもりはなかった。
「大人しくしていて。君の屋敷に連れて行くだけだから」
「でも」
「不埒なことはしないよ? 望まれれば喜んでお相手するけど」
「オーランド様がたらしになっている!」
真っ赤になったり、真っ青になったり忙しい。
その変化を見つつ、笑った。
「前からこんなものだ」
「そんなことない! もっと紳士だったわ」
思い当たることがなくて、首を傾げた。
「まだセリーヌが18歳以下だったから手を出せなかっただけだ。いつでも色々なところにキスをしたいと思っていたよ」
こことか、ここにね。
と、抱き上げてすぐそばにある首筋や耳に柔らかく唇を当てた。
「……!!!!」
どうやら刺激が強かったようだ。
セリーヌは言葉が出ずに、真っ赤になったまま涙目で睨みつけていた。
この程度ならヒューバートだって年中エレオノーラにしているから普通だと思っていたのだが。もしかしたら、ヒューバートの方が普通ではなかったのかもしれない。
だがエレオノーラも初めは真っ赤になっていたが、今では平然とキスを返すまでになっている。セリーヌも何度も受けていれば、すぐに慣れるだろう。
そんなどうでもいいことを考えながら、馬車へと向かった。
******
セリーヌは医局長であるグルスト侯爵家の娘だ。流行り病で子供が大量になくなった後、医療の向上に努めた一族の出身だ。彼女の兄は私の学友で、彼の家に遊びに行くと自然と彼女とも顔を合わせるようになった。セリーヌの家は、私が自由に出入りを許された家だった。
セリーヌの一族は父方が医師、母方が薬師だ。彼女の兄は医師であるグルスト侯爵家を継ぎ、彼女は母方の薬師のクローグ伯爵家を継ぐことが決まっていた。王子である私とは接点のない職種であるが、彼はなかなか面白い人物で、今では信用できる医師となっている。最近は定期的な診察の時に顔を合わせるようになっていた。
私と彼女が婚約者となったのは、私が14歳、彼女が12歳の時だ。彼女と出会ってから7年目のことだった。政治的な背景から、力のない貴族の娘との結婚か、結婚せずに独身でいるかの二択だった。
セリーヌだけ制限なく会うことができたから、大人たちはセリーヌを選んでもらいたかったのだろう。兄上に万が一があった場合、そのまま繰り上げても問題がないからだ。
医師と薬師はすべて国が管理しているため、爵位があっても領地を持っていなかった。セリーヌはグルスト侯爵家の娘でクローグ伯爵家の跡取りでありながら、政治の面から見れば大した力はないと判断されていた。それにグルスト侯爵家もクローグ伯爵家も王族に忠誠を誓っている一族でもあった。身分的にも私に劣らず、政治的にも問題がない。セリーヌは本当に稀な立場にあった。
出会った頃の彼女は好奇心いっぱいのお転婆な娘で、年中、外に出て遊んでいた。護衛を連れて森に入っては擦り傷を作るような娘だった。いつでもキラキラした大きな目であれは何、これは何、と質問攻めにする。逆に知らないと言えば、知っていることを必死に説明してくる。
わざと知らないふりをしたことがバレた時には、頬を膨らませて怒っていた。可愛い仕草が見たくて、やりすぎたことも何度もある。そのたびに、嫌いだ、もう遊ばないなどというのだが、次に会いに行けば、すっかり忘れていて、一緒に遊ぶのだから面白い。
「食べても大丈夫!」
そう言って出されたサラダ?を振舞ってくれた時もある。
森に生えている毒性のある葉だと見て分かったが、腹を壊す程度だから食べてもいいかとフォークを手にした。万が一のことがあってもここは医局長の家だ。なんとでもなるはずだ。
「あ、ごめんなさい。オーランド様は王子さまだったわ。毒見がいるわよね」
そう言って皿に乗っていた毒性のある葉をぱっと口の中に突っ込んだ。淑女ではありえないことに、手で摘まんで食べたのだ。その行動にも驚いたが、毒性のある葉だとわかっていたので、慌てて彼女の口に指を突っ込んだ。
「セリーヌ、吐き出すんだ!」
「うええええ、何するの?」
「こういう時こそ護衛がいるんだろう? 護衛に食べさせたらいい」
護衛の顔色が悪くなったが、気にしない。セリーヌはしょんぼりとした。
「ううん。森で取ってきたものを食べさせようとしたわたしが悪いの」
セリーヌは手のかかる妹のようでもあり、とても可愛い。
男女というよりも、兄妹のような関係であったが、穏やかな温かい家庭が築けるのではないかといつしか思い始めていた。
私がセリーヌと結婚したいと意思を示せば、色々なものがすぐに動いた。セリーヌが継ぐ薬師の家に私が婿入りし、その時に爵位を伯爵位から侯爵位に上げることも決まった。セリーヌも名前だけではなく、きちんと薬師になるために精力的に勉強していた。
当然そこに出てくる問題もある。
セリーヌが私と婚約したことで、王都を出ることができなくなっていた。セリーヌは薬師としての造詣を深めたかったのか、兄と同じく学問都市に行きたがっていた。
王都にほど近い領地にある学問都市には国の英知が集められ、身分にかかわらず能力があれば学ぶことができる。そこで薬師の資格を取ることは、薬師の家としては当然と言えば当然なのだ。
だが、彼女は自分からは行きたいとは言わない。
彼女も侯爵家の娘だ。自分の置かれている立場も求められている役割も理解していた。
「一度、婚約を解消しようか」
そう提案した時は、恐ろしいほど無表情になった。17歳の彼女の頭は一体何を考えているのだろうか。
彼女を見つめてふっと笑う。
「兄上に子供ができるまで、私は結婚するつもりはないんだ。その間ぐらい、自由にしても大丈夫だろう?」
「でも」
「一時的なものだよ。2年……いや1年だけなら解消すれば研究所に行けるはずだ」
そう、兄上もすでに結婚している。早ければ、予定通りに彼女が18歳になった時に結婚できるが、できれば兄上に世継ぎができてから結婚したいと思っていた。念には念を入れてだ。
「ねえ、どうしてそこまで結婚が制限されているの?」
うん、と首をかしげて見せれば、セリーヌは困った顔になる。
「誰も教えてくれないから」
「そうか。当たり前のことだと思っていたけど、知らなかったのか」
私はちょっと考えてから尋ねた。
「父上と叔父上の間に継承権争いがあったことを知っているかい?」
「陛下と王弟殿下が?」
「父上は王妃の息子、叔父上は寵姫の息子だからね。二人は10歳年が離れていたけど、王位を継ぐには幼くはなかったから」
目を丸くするセリーヌに思わず笑みがこぼれた。叔父上は軍属で父上を支えている。二人の穏やかなやり取りを見ていれば継承権争いなどあったなどと思わないだろう。
「その争いは父上と叔父上の気持ちを無視して行われていてね。叔父上は切れて自分を旗揚げしようとしている一派をすべて処罰した」
「処罰」
その苛烈さに驚いたのかそれ以上の言葉が出ないようだ。
「そう。下級貴族が多かったが、かなりの数の貴族が対象になった。それを見ているから、同じことを繰り返さないよう、私には結婚に制約がついているんだ」
「……オーランド様はわたしでいいの?」
自信なさげにセリーヌが呟くから、思わず笑ってしまった。
「確かに私たちは政略による婚約だ。でも、君以上の人はいないよ。一緒にいると心が休まる」
「だったら、婚約解消はよくないんじゃない?」
躊躇いがちに言ってくるが、気持ちはかなり揺れているはずだ。
「1年だけだよ、自由にしてあげられるのは。セリーヌこそたった1年で薬学を修められるの?」
「できるわよ」
むっとして強気な彼女が表に出てくる。
そう、そうやって前を向いて。
悩んでいる彼女は彼女らしくない。もっと伸び伸びとしていてほしい。
「期待しているよ。また1年後、婚約者として戻ってきてほしい」
「ええ、わかったわ! わたし、ちゃんと薬師になって戻ってくるわ!」
これが私たち二人の運命を変えた。
彼女が王都に戻ってくる日の2か月前。
何故か小国の王女との婚約が調った。




