わたしの足りないところ
目が離せない。
豊満な胸は盛り上がり、ドレスから零れ落ちそうだ。胸元を飾る大きなダイヤが胸の谷間をさらに強調している。そればかりではなく、肌は抜けるように白く、思わず触ってみたくなるほど柔らかそうだ。
どちらかというと強い印象を持たれやすい燃えるような赤い髪は緩くまとめられ、計算して作られたおくれ毛が柔らかな印象を作り出していた。透明感のある濃い緑の瞳はとても強く、目を逸らすことができない。
正直に言えば、その存在に圧倒されていた。
午後に客を連れていくので、新居で迎えてほしいと連絡があったのは昨夜のことだった。
当然、彼は仕事で王城に泊まりだった。午前中に客を迎え入れる準備をして待っていた。誰を連れてくるのかは知らされていなかったので、誰もが好むブレンドのお茶と最近人気がある店で売られている菓子を用意していた。
何度目かの確認をしているところに、客が来たと連絡があって、玄関にやってきた。
そこにいたのは、妖艶な美しさを持つ女性と彼女をエスコートするヒューバートだった。わたしは彼女を見つめ、頭が真っ白になった。固まって挨拶すらろくにできずにいるわたしに柔らかな笑みを浮かべて一歩前に出た。
「初めまして。シェリーですわ。お招きありがとうございます」
「は、初めまして。ヒューバートの妻、エレオノーラと言います」
彼女の少し後ろに立つヒューバートをちらりと見れば、無表情だ。無表情ながらとてつもなく機嫌が悪い。シェリーはにこにこと笑みを消すことなく、わたしの視線を追ってヒューバートを見つめた。
美男美女が寄り添って見つめ合うその姿に胸がきゅっとなる。
「あまり信用されておりませんのね」
「……」
「わたくしと貴方の仲ですもの。奥様にも何か感じるものがあるのかもしれませんわね?」
シェリーにクスリと笑われて、ヒューバートの機嫌がさらに悪くなった。彼のあからさまともいえる冷たい態度にようやくわたしも冷静になっていく。
二人が並んだ姿があまりにも美しく、自分がその場に割り込んでしまったような居心地の悪さを感じていたが、彼の拒絶するような態度に決して仲がいいわけではないということが分かった。
彼女の気安い態度や言葉こそ親密な何かを感じさせるが、彼からはその空気が一切ない。私と一緒にいる時の穏やかで優しい眼差しが全くなかった。
大きく息を吸い、落ち込む気持ちを振り払うとぎこちなく笑みを浮かべた。
「あの、ここでお話しできませんから……中へどうぞ」
彼女はヒューバートが連れてきたお客様だ。応接室に通すのが正しいはずだ。ヒューバートの眉が不愉快そうに少し動いた気がするが、何も言わないのでそのまま中へと案内する。
緊張するわたしに、楽しそうなシェリー、そして不機嫌なヒューバート。
一体何を話したらいいのか、と内心頭を抱えていた。できればヒューバートに彼女をもてなしてもらいたいのだけど、そんな気はさらさらなさそうだ。
広くもない屋敷なので、いい案が思いつく間もなく応接室についてしまう。応接室に入れば、シェリーが頬に手を当てて、ほうっと息を吐いた。
「気持ちの良いお部屋ね」
「ありがとうございます。どうぞ、お座りになって」
カレンに指示して、お茶を用意させる。彼女は勧められるまま腰を下ろした。私はその対座に、ヒューバートはわたしの隣に座る。彼女の隣に座られたらどうしようと思っていたので、隣を選んでもらえてほっとした。
シェリーはお茶を飲むと、嬉しそうな笑みを見せた。
「とても美味しいわ」
「早速で申し訳ありませんが、ご用件は何でしょうか?」
ヒューバートよりもシェリーに聞いた。単刀直入に聞かれたことに驚いたのか、シェリーは目を何度か瞬いた。
「あら? 貴女、わたくしをなんだとお思いになっているの?」
「何というのは……」
少し言いにくくて言いよどめば、シェリーは何を言ってもいいからと促してきた。好奇心なのか、幾分瞳が輝いているような気がする。
「正直に話しますと、距離も近いし、気安さもあったので愛人かと思ったのです」
「そうでしょうね」
「ですが、ヒューバート様の態度を見ると違うようなので……どんな繋がりの方かわからずにとても困っております。家名も名乗られなかったので、貴族としてここに来たわけではなさそうですし」
自信なさげに声を小さくしながら言えば、シェリーは大きな目を丸くして盛大に噴出した。
「うふふふふふ、そう! 貴女、困っているのね」
「おい」
ヒューバートが機嫌悪く、シェリーに注意をする。シェリーはとてもおかしそうに涙まで流していた。
「ごめんなさい、あまりにも予想外で。できればあの夜にお知り合いになりたかったわ」
あの夜、と聞いて固まった。
「え?」
「ふふ、あの夜会の庭でヒューバート様に抱きしめられていたでしょう?」
夜会の庭、と聞いて急速に彼女が誰であるか理解し始める。あの夜聞いた、とても艶やかな甘い声が脳裏に蘇る。
声だけでも、香る匂いだけでも男の欲をそそる、あの夜の女性。
そして、その相手は。
目を大きく見開いて、シェリーを凝視した。わたしが気がついたことに、満足げに頷いた。
「わたくしはね、あなたを誰にも負けないように磨くようにと指示をされているの」
「指示、ですか?」
よくわからなくて、首を傾げた。
「10日後の夜会よ。旦那様は貴女を社交界で認めさせて、これ以上のちょっかいは出させないようにしたいの」
旦那様と聞いて、はっとした。彼女が旦那様と呼ぶ人は一人しかいない。
「王弟殿下のご指示ですか?」
「そうよ。自信を持たせてやってほしいと頼まれたの」
自信を持たせて、と聞いてよく見ているなと感心してしまった。あの短時間で把握できるのだから、観察力が優れているのだろう。
「余計なことは言わなくていい」
ヒューバートが釘を刺した。シェリーが目を細めた。
「知っておいて悪いことはないわ」
「知らない方が危険は少ない」
危険が少ない、と言われてなるほどと納得した。ヒューバートはなるべく危険になりうることからわたしを遠ざけておきたいのだ。
その気持ちが嬉しいのが半分、それほどまでに頼りないのだろうかと凹む気持ちが半分。
頼れるような強い性格ではないことはわかっているが、目の前で言われてしまうと落ち込む。
「ヒューバート様、知らない方が危険になることもありますわ」
「……危険なことなど」
わたしを不安にさせたくないのか、ヒューバートが否定を口にした。シェリーが呆れたように彼を見る。
「そんなはずはないでしょう?」
「この屋敷にいる限りは大丈夫だ」
ヒューバートが不機嫌に否定する。シェリーはわざとらしくため息を吐いた。
「貴方はここに奥様を閉じ込めておくつもりなの?」
「それは」
「何も知らずに傷つくのは彼女よ」
ズバリと言われて、ヒューバートも反論できなくなった。重い空気が部屋を支配する。わたしはどうしたものかと考えながら、ふと思いついた。
こんな時ではないときっと聞く機会もないだろうという思いもある。知らなければいいと割り切っていても、やはり何が起こっているのか知らないことへの不安もあるのだ。すべてを知りたいわけじゃない、だけど不安を押し込めておけるだけの情報は知りたい。
「わたしが知るべきことは何でしょうか?」
「ヒューバート様が執着系の女性に好かれやすいという事を正しく理解しましょうね」
「わかっているつもりですが」
散々、周囲からも女運が悪いと言われているし、実際にナタリーというちょっと精神的にも不安定な女性が突撃した時にもいた。
王女の侍女との噂や、手紙を握り潰されるなどのこともされている。
「経験したということだけではダメよ。そこからどんな背景が見えてくるのか、想像できないと」
背景と聞いてはっとする。
「それを利用する人がいると言うことですか?」
「それもひとつね」
わたしはじっと彼女を見つめた。彼女は困ったように笑う。
「それだけじゃないの。あなたは王子付きの近衛騎士の奥方なのよ。滅多にあることではないけれど、味方だと思う方にも利用されることを覚悟する必要があるわ」
「利用される覚悟?」
思ってもいなかった言葉に、何も考えられなかった。
「最終的には貴女を切り捨てることはないだろうし、傷つけることもないはず。でもね、今回の噂でもわかるように、あの噂はやろうと思えばすぐにでももみ消すことは可能だった。噂を聞いて、傷ついたでしょう?」
「……」
答えることができなかったが、表情に出ていたのだろう。シェリーは痛まし気に少しだけ目を細める。
「そういう利用の方法もあるのよ。最終的には何の傷もないような出来事であっても、その過程で貴女は傷ついた。その傷は小さいかもしれないけど、回数を重ねてしまえば深いものになっていくわ」
わたしは彼女の言葉を聞きながら、隣に座るヒューバートへ顔を向けた。彼も苦虫を嚙み潰したような表情をしているがシェリーの言葉を否定しない。否定できないのだと思う。
「……目的がこれなら、夜会の準備の手伝いはいらない」
「もう伝えたいことは話したから、後は夜会の準備だけよ」
シェリーが悪気なく笑う。どうやら彼女は王弟殿下からわたしへの注意喚起をするように言い含められていたようだ。わたしは大きく息を吸ってから気持ちを整えた。わざわざこの屋敷にまで来てくれたのだ。何かあればシェリーを頼ってもいいということだと受け取った。
どうしてここまでしてくれるのか、わからないけど、何も知らないわたしとしてはとてもありがたいことだった。
「これからお願いします」
「ええ、もちろんよ。また明日、準備を整えて来るわね」
シェリーは今日は挨拶だけだからと席を立つ。帰りはヒューバートのエスコートはいらないと一人で帰っていった。
残されたわたしとヒューバートは言いようのない沈黙の中にいた。




