17 予想外の繋がりⅡ
非常階段の踊り場。
誰も居ないその場所で、誰にも見つからないようにと祈りながら、息を殺す。
まるで猫に狙われた鼠のように。
過ごし易い外気温だというのに、首筋の汗と動悸が止まらない。
命を狙われていることは知っていた。
情報屋という裏稼業だ。どこの誰かの恨みを買うのは日常茶飯事である。
しかし今日はいつもと違う。命を狙われていることは分かるのに、気配が全く感じられない。
そこに殺意が在ることだけが、ひしひしと感じられた。
そんな正体不明の相手に追い詰められ、今こうして息を殺している。
首元の汗を拭うと、夜風に乗って甘酸っぱい香りが鼻をくすぐった。レモンの香りだ。
匂いの元を辿るように顔を上げる。
「……あんただけかよ」
階段の上に、少年がいた。
レモンの香りは少年の方からだ。飴を舐めているように見える。
「アイツもいると思ったのに」
カタン、カタンと眠そうな足取りで一段ずつ階段を降りる少年。
ふと、設楽はそのことに気付いた。
「君……どこから来たんだろう。上は関係者以外は入れないはず……」
その時、影で見えなかった少年の手元が明るみに――ナイフ?
「ッ、ま……まさか」
咄嗟に逃げ腰になると、眠そうだった少年の目がカッと見開かれ、上段から一気に跳躍してくる。
「ひ、ひイッ!」
少年の体当たりを寸でのところでかわし、転がり落ちるように下へと逃げる。鉄製の手すりに少年が衝突する音が背中で響いた。
あんな子どもが殺し屋?まだ学生……高校生くらいだろう?!
一つ下の踊り場に降りた設楽は、背後を振り向く。
這いずり回るような足取りの設楽に対し、少年はしっかりと立ち上がって次の攻撃に狙いを定めている。
「……む、むりだ」
逃げられない。次で仕留められる。
怯んでしまって、体が言うことをきかない。屈んで跳躍力を溜める少年を、ただ見つめることしか。
少年が瞳をギラリと光らせ、飛びかかる――
「……ッ!」
刺される痛みは感じなかった。
代わりに物凄い圧迫を感じた。
背中が手すりにのめり込む痛みと共に、誰かが自分と少年の間に入り込み、二人分の体重を受けていることが把握できた。
「やっぱり来た……!」
「子どもは家に帰れよ」
言葉を交わすが聞こえ、圧迫感が消える。自由になった頭を動かして見れば、飛び退いた少年と誰かが対峙していた。
その動きは凄まじかった。
瞬きの間に少年のナイフは払われ、それが地面に落下する内に少年は投げ飛ばされ階段下へ転がる。
「上へ!早く!」
振り向いたその顔は、少年ほどではないが若く整っていて――しかし、設楽の体は怯んで動かせない。
「早く!死にたくないだろ!」
動かない設楽に対し、深矢が叫ぶ。
その一喝に押し動かされるよう、設楽は足を引きずりながら一段ずつ登っていく。
「邪魔すんなよ!」
階段下からアキがナイフを持った右手を振りかぶり、ぶん投げる。
ナイフは上段の深矢目掛けて一直線に飛んでくるが、深矢は易々とそれをかわすどころか左手ではたき落とす。
「邪魔したのはお前の方だろ。部隊は撤退したんじゃないのか」
ナイフをはたき落とした深矢の左腕から血が垂れる。設楽を庇った時の傷だ。
「それとも、命令に背いてまで俺に……『お兄ちゃん』に会いたかったのか?」
揶揄えば、アキは馬鹿にしたように笑い、眠たげな表情のまま深矢を睨みあげる。
「思い上がるなよ。アンタこそ暗殺部隊の任務に口挟んで何してんだよ。せっかくの実習だったのに、台無しだ」
「人殺しなんて、そんな実習しなくていい」
「そんな容疑がかかってる奴に言われたくないね」
挑発はものともせず、淡々とアキの投げたナイフを拾う。
「お前、まだまだガキだな」
「アンタはムカつくんだ。SIGから目の敵にされてて、家族からは見放されたくせして、今さら――」
ヒュン。
アキの真似をするよう、拾ったナイフを投げる。
「……人を殺す技術より、殺さないように生かす方がずっと難しい。人殺しなんかで満足するな」
ナイフはアキの顔スレスレを通り、後ろの柵に刺さる。
三センチずれていたら、耳がなくなっていただろう。
「……何するんだよ」
一拍空いてからアキが視線を戻すと、そこには深矢の姿はなかった。
その代わり階段には、深矢のものであろう血痕が、足跡のように続いていた。
注意を逸らしたあの一拍の間に、深矢は任務対象の元へ行ったのだ。自分には真似できない早技だ。
「……意味が分からない。わざと怪我するような庇い方しやがって……」
あの気取った余裕さも、段違いの実力も、義弟という続柄も、その所為で失ったものも。
何もかもが気に食わない。
苛立ったアキは不貞腐れたように飴を噛み砕いた。
酸っぱい味が、今の自分と重なった。




