6 年に一度の宴Ⅲ
「帰っていいか?」
開口一番、茜はそう申し出た。
正直、今すぐとんぼ返りで帰宅したい。足が痛いのだ。
何しろ今まで街中を歩き回っていたのだから。しかも履き慣れないヒールで。
「これ以上無駄に動き回るのはゴメンだね」
足が疲れたとか、そんな柔な痛さではない。
靴擦れだ。
こればかりは、いくら普段トレーニングで体力筋力を鍛えても勝てる痛みではない。
足は痛いわ、正体不明の奴に尾けられるわ、歩きにくいわ、足は痛いわで、茜の機嫌はすこぶる悪かった。
赤くなった踵をさすりながら、茜は電話越しの否定にキレていた。
『そう怒るなよ、工作本部長に呼ばれてんだ』
はぁ?と答える茜の声は普段より一層低かった。
大学長が主役の誕生パーティーで、どうして工作本部長に呼ばれるんだ?
そんな疑問が過ぎったが、五代幹部に招集をかけられているのなら行かない選択肢は無い。残念ながら。
「……分かった。もう少しで着く」
通話を切ってから茜は大理石の柱から身を離した。
もう少しで着くと言いながら、パーティー会場のホテルにはもう着いていた。
ただこの靴擦れの応急処置が必要だった。あちこち歩き回ったせいで服も化粧も乱れている。
「そういえば、前に来た時にもいい思い出はなかったな……」
あぁ面倒くせ。
そんな独り言をこぼしながら化粧室へ向かう。
確かこのホテルの化粧室には椅子があったはずだ。トイレとは別個になっている、気遣いが行き届いた設計。さすがは一流のホテルだ。
しかし女子トイレを通り過ぎた時、茜は思わずその足を止めた。
微かな音が聞こえたのだ。カチャカチャと何かが擦れる音だ。ベルトとかそういう類ではない。
茜は目を閉じ、その音を聞いたことのある状況を思い描いた。
この音は――そう、昔授業で拳銃を分解した時の音だ。
茜は咄嗟に気配を消し、耳をすませた。
いくら同じ建物に工作員がたくさんいるとはいえ、ここは公共の場だ。会場外でこんな無用心なことをする構成員はいないはず。
となると誰だ?外部からの刺客か?
中の様子を伺う。居るのは一人で、それも一番奥の個室の中。
そろりそろりと、足音を消して近寄る。音のする個室の隣に滑り込み、座面の上に屈んだ。
さて、どうする?
幸い奴に逃げ場はない。茜が通路を塞げば反対側は壁だし、天井の通気口も近くにはない。
拳銃の有無も茜にとっては関係ない。こんな狭い個室では接近戦だからだ。
捕らえて、団長に報告。
よし、と心の中で頷き仕切りに手を掛ける。向こうに悟られないよう、気配を消して覗くと――
見えたのは、個室いっぱいに散らかった部品だった。それもただの工具ではなく、拳銃にライフルに散弾銃などの解体された部品達。
そしてトイレの座面を机のようにして作業しているショートカットの女が一人。パーティーを抜けてきたであろう小綺麗なワンピースに、その華奢な腕に似合わないゴツいグローブをはめているのは――
「安藤さん?」
「ちょ、おおううわぁッ?!」
彼女――安藤が驚いた拍子に、その手に持っていたドライバーが茜の顔面めがけてすっ飛んできた。
「あっぶね」
茜はそれを片手でキャッチし、目を丸くする安藤を見下ろした。安藤はまるで猫に遭遇したネズミのように固まっている。
「……あ、茜ちゃんかぁー!ビックリしたー!心臓止まるところだったよというか一瞬止まったよー!」
「安藤さん、こんなところで何してんですか」
安藤はSIGの構成員の一人だ。所属は後方支援部。しかし大学長に近い役職でもない安藤がなぜこの会場に?
心臓に手を当てて肩で息をしていた安藤は、その中性的な顔で茜に向けてはにかんだ。
「今、しがない後方支援部員がなんで大学長のパーティーに呼ばれてんのって思ったでしょ?まぁそう思うのも当然だよね。正直私もこんなとこ勘弁だよ。だけど後方支援部長にお遣い頼まれちゃってさー。今日は部長の都合が合わなくて、その代理で出席させられてるんだ」
引き篭もりには辛いお仕事だよー、と頭を振った安藤は、続いて恨めしそうに茜を見上げる。
「一緒に回ってくれるって言った御宅の団長さんには置いていかれるしね」
……なるほど確かに、団長はこう言った雰囲気に舞い上がりそうなタイプだ。
「ピエールに放置されて、一人であの華やかな会場にいるのは耐えられないからさ。ここで大人しく暇潰しにしてるってワケ!あぁ寂しい!」
「……後で団長に会ったらそう伝えておきます」
「あっそう言えば、今日は茜ちゃん達もお呼ばれしてるんだね。てっきりピエールだけかと思ってたよ」
そこは茜も不思議に思っていた。さっきの海斗との電話では、単なるご厚意と言っていたが。
「もしかしたら、工作本部期待のエースが気にかかっているのかもね!大学長は元々工作本部長を務めていた人でもあるし」
「へぇ、大学長は工作本部長上がりなんですか」
「知らなかった?まぁ幹部の情報はトップシークレットだもんね」
ふんふーんと鼻歌を歌う安藤を眺めながら、茜の頭にうっすらと推理が過った。
工作本部長だった大学長。先代がいなくなったため大学長に格上げした。つまり、先代が死んで一番得をしたのは今の大学長――
「ん?どうしたの茜ちゃん、遠い目してるよ?」
「いいや。なんでも」
三年前の事件を追っていることは四人だけの秘密だ。それに無闇に情報をくっつけるべきではない。
茜は首を横に振ってその考えを振り払った。
それから乗り出していた身を戻した。
「それじゃ、会場行ってくるんで。安藤さんはどうするんですか」
んー?と聞き返した安藤は、手元の工具を片付け始めているようだった。カチャカチャと音が壁越しに聞こえてくる。
それが良い。ここだとバレるのは時間の問題な気がする。
「場所を変えようかな。茜ちゃんにも見つかっちゃったしね。駐車場まで行って誰かの車拝借するのとかよくない?」
思わず、壁越しに安藤のいる辺りに呆れた目を向けた。
そんなこともつゆ知らず、今度は安藤がひょっこり顔を仕切り越しに覗かせた。
「そうだ茜ちゃん。コレ、持っててくんない?」
そういって上から落ちてきたのは、一通の白い封筒。
「これって……」
茜はそれを受け止めながら、顔をしかめた。それが何を意味するのか、直感的に理解したのだ。
「安藤さん、なんでこんな厄介なもの……ッ」
しかし突き返そうとしたその瞬間。
フッと、化粧室中の灯りが消えた。
辺りが闇に包まれる。
茜は咄嗟に身を屈め、感覚を研ぎ澄ませた。
ただの停電か?――いや違うだろう。
これは異常事態だ。茜が以前フィールドワークで来た時には、こんなサプライズはなかった。だとすると……
――考えること、きっかり三十秒。
照明が復活した時には、辺りに安藤の気配は消えていた。残ったのは、手元の手紙が一通。
厄介なことが始まる。茜の直感はそう告げていた。




