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スナイプ・ハント  作者: 柚希 ハル
決別編
51/74

51 駆け引きⅢ

 

 ――しかし事態は思わぬ方向に進んだ。

 まるであの封筒が、悪い知らせを呼び寄せたかのように。

 雨雲が悪い気運を運んできたかのように――


 海斗の予報通り、店を出ると外は本降りの雨だった。

 三人は駅前でタクシーを捕まえ、拝島の監禁場所へと戻った。


 そして部屋の扉を開ける直前、海斗がふと呟いた。

「……嫌な予感がする」

「やめろよな。アンタの言うことは大体事実になるんだから」

 茜が軽口を叩いてる間に、深矢は扉を開ける。


 錆びれた蝶番の軋む音がして、埃臭さが鼻についた。

 室内は水を打ったような静けさだ。外の雨音が大きく聞こえる。


「……人の気配が無いのは、由奈が気配消すの上手いからか?」

「アンタ今、由奈が出迎えてくれると思ったろ?」

「……それは是非とも他の場所でやってほしいな」

 茜がバカバカしいとでも言うような目で深矢を蔑む。


 一方で海斗は、一直線に奥の部屋へと続く扉へ向かった。由奈がいるのは恐らくその部屋だ。

 海斗の予感は当たる。海斗が扉を開ける瞬間、深矢はそれを強く感じた。

 そして案の定――


「おい!由奈!大丈夫か?!」


 海斗の焦った声が響き、深矢は咄嗟に奥の部屋に飛び込んだ。

「由奈!」


 まず目に入ったのは、壁に寄りかかって座り込む由奈。

 息が荒い。怪我をしているのだ。

 次に空っぽの椅子。解かれた縄。足跡のように垂れた血痕。それは窓まで続いていた。

 そして、割れた窓ガラス。人一人分の穴からは雨が吹き込んでいる。


 ――拝島が逃げたのだ。


 割られた窓ガラスのように、自分の中で何かが砕け、ぽっかりと穴が開くのを感じた。


「んなことあるのかよ……!」

 由奈に駆け寄りながら、茜が心底悔しそうに唸った。

「あの野郎、あの状態でどうやって……ッ」


 ……そうだ、拝島は相当重傷だったはず。


「……ご、めん」

 由奈は肩で息をしている。

 見た所左足大腿部に深い傷を負っているようだ。そして右肘も変に腫れている。


「背中を向けたら、急に、襲われた……そこにあった、ガラス片で……」

「無理して喋んな」

「……けどまだ、十分も経ってない」

 深矢は反射で窓を振り向いた。


 十分ならまだ足取りが掴める。逃げたにしてもあの重傷だ、そう遠くへは行け――


「無理だな」

 見越したように海斗が遮った。割れた窓から下を見つめている。

「雨で全部流れてる。足取りを辿るのは難しい」


「……ッ、くっそ……」

 悔しさのあまり、深矢は壁に拳を強く打ち付けた。

 埃が舞い湿気と混じって空気が悪くなる。

 この部屋の空気も状況も、全てが腹立たしかった。


 ――どうしてこうなる?カメレオンの時もそう。今回も、指の隙間から大事な手掛かりが逃げていくのだ。


「……これが、有能な工作員(スパイ)の為せる技ってことだ」


 敵に捕らわれた工作員は、何としても生き延びようとする。

 それは工作員が生きてこそ価値のある存在だからだ。

 基本中の基本とも言える鉄則を、深矢は今になって思い出した。


 だから拝島はずっと伺っていたのだ。深矢達が微かにでも隙を見せる瞬間を。

 そんな駆け引きとは露知らず、深矢は猶予を与えてその場を離れてしまった。


「俺の負けかよ……ッ」

 唯一の手掛かりだったのに。


 外の雨音が騒々しく感じる。茜も海斗も、苛立ちのあまり黙りこくった。


 ――打つ手があるとすれば、あと一つしかない。

 勝算はないが、こうするしかないだろう。


「……茜。由奈を頼む。海斗、行くぞ」


 視界の隅で茜と海斗が頷くのが見えた。

 きっと、言いたいことは伝わっている。

 深矢は海斗と共に部屋を出ようと駆け出した。


「……どう、する気」

 背中からの由奈の質問に振り向かずに答える。

「手当たり次第探す。それしかない!」

 そう言い捨てて、海斗と二人で部屋を飛び出す。


 まだ拝島が逃げてから十分だ。怪我人が十分で移動出来る距離は短いはず。だからしらみつぶしに探せばきっと見つかる。

 本能の部分はそう希望を抱いている。


 ……見つかる当てはないけどな。

 しかし理性はそう告げていた。


 何せ相手はベテラン工作員(スパイ)なのだ。

 SIG以外に協力者がいてもおかしくないし、手当たり次第に探して見つかるような逃げ方はしないだろう。


 二手に別れた時、海斗の硬い表情もそう語っていた。

 しかし闇雲になる他はない。

 拝島は残されたたった唯一の手掛かりなのだから。三年間探し続けて、やっと見つけた手掛かりなのだから。

 せめてもの抗いに、今は微かな希望にすがりたかった。


 ――しかし希望とは裏腹に、雨脚は強くなるだけだった。

 ずぶ濡れになりながら辺りを駆けずり回るも、それらしき人影はいなかった。


 飛び出してから一時間。

 誰もいない路地裏で、ついに深矢は項垂れるように膝をついた。

 視界がぼやけているのは、雨のせいか悔し涙のせいか。


 ……あぁクソ。


「あぁぁあぁクソッ!」


 深矢の号哭も雨の音に打ちのめされたようだった。


 

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