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スナイプ・ハント  作者: 柚希 ハル
決別編
32/74

32 考えの浅い愚か者Ⅳ

 

 参列人は少なかった。親戚と親しい友人だけのこじんまりとしたお通夜だった。

 そこには突然の不幸について行けていないような浮ついた、だが重い空気が充満していた。

 黒い喪服の集団に紛れるよう、深矢は団長に連れられて参列した。

 圭が大学でよく一緒に行動している友人もいた。圭が偶に「大学の奴らってつまんね」とボヤいていた奴らだ。彼らは戸惑いの表情を見せる者もいれば硬い表情で泣くのを堪えるような者もいた。

 普通すぎてつまらないと言っていた圭だったが、普通でない人間――深矢では、こんな時自由に悲しむこともできないのだ。


 深矢が顔を上げることはなかった。

 遺族に頭を下げる時、母親と沙保のすすり泣く声が重圧のようにのしかかった。

 唇を噛みしめて頭を上げたら、沙保の真っ直ぐな視線が深矢を射抜いていた。


 ――この子は勘付いているのだろう。兄がただの事故で死んだのではないことを。そして兄が生前、友人である陽一と悪事を働いていて、それが原因だということを。


 深矢はその子の痛いほどの視線を感じながら祭壇に向き直った。

 棺の中は遺族の意向で開けられることはなかった。

 事故に火傷で判別がつかないほどの顔など見て欲しくないのだろう。

 事故処理班の拷問は苛烈を極める。その痕跡を残さないための全身火傷だ。

 果たしてそこまでする必要があったのか。

 圭を拷問したところで何も情報は出てこなかったはずだ。圭は何も知らないのだから。なのに、

 どうして俺じゃないんだ――


 深矢は段々気が滅入ってきて、逃げるようにその場を後にした。

 そんな自分を隣で見る団長は、作っているのか本音なのか、至極無表情だった。

 これが君のしたことだ。

 珍しいを通り越して嘘臭さも感じるその顔は、そう語っているようだった。


  ***


「陽一くん!」

 式場を出たところで少女の声に呼び止められる。沙保だった。

 先に行っているよ、と団長は何かを悟って通り過ぎて行った。


「お兄ちゃんが死んだ理由って本当に……本当に事故なの」

 泣き腫らした目をした沙保の口から出たのは、一番恐れていた質問だった。

「私、知ってたんだよ?お兄ちゃんが陽一くんと一緒に悪いことしてるの」

 そう絞り出すように言う沙保の声は震えていた。

 その不安を掻き消すように、沙保は無理矢理に笑顔を作った。


「お兄ちゃんてば隠し事下手なんだもん。分かりやすいんだよ、バカだから」

 そうか、知っていたのか。でも――

「だから、お兄ちゃんもしかして何かミスして悪い人達に……」

「沙保」

 深矢はたまらなくなって、沙保の唇に人差し指を当てていた。

「それ以上は言っちゃいけない」

 深矢が言い聞かせると、沙保は笑顔を崩して泣きそうな表情を見せた。

「…………なんで?」

 知りたいのに、分かるのに、言ってはいけない。

 そのもどかしさは誰よりも分かるつもりだ。


 深矢は直視できなくて、目を伏せながら手を沙保の頭に移動させる。

「……俺たちがやってたことは関係ないよ。お前の兄貴は本当に……ただ、運が悪かっただけなんだ」


 嘘だ。

 こんな、保身のためだけの嘘なんて吐いて、一体誰が救われるのだろう。

「……俺の所為にできたらいいのにな」

 だが、真実を言ったところで生まれるのは深矢に対する恨みだけ。恨まれて満足するのも深矢だけだ。

 沙保の憎しみに満ちた表情なんて、圭は見たくないだろう。


 嘘は時に人を救うのだ、皮肉なことに。


 深矢の手の下で、沙保が静かに啜り泣いた。

 圭の代わりに、深矢が沙保にしてやれること。それがあるとするならば――


 天を仰ぐように顔を上げる。その途中で、葬儀場の窓から前の通りが見下ろせた。

 反対車線に一台の黒塗りの車が停車する。

 どこかで見覚えのあるそれから出てきたのは、今最も憎い人間だった。

 それはサングラス越しに葬儀場を見上げ、ニヤリと気味悪く笑った。


 思わず沙保の頭に乗せた手に力が入る。

「……陽一くん?」

 何かに気付いた沙保が、不安げに深矢を見上げる。

 深矢は咄嗟に安心させるよう、穏やかな笑みを浮かべた。

「俺と圭が秘密でやってたことは、誰にも言わないであげて。圭が隠してたのは、沙保を守りたかったからなんだ」


 ――今度は俺がこの子を守る。それが圭の代わりであり、償いだ。


「ほら、そろそろ戻りな。兄貴を笑顔で見送ってやるんだ」

 深矢はそう決心し、沙保に背中を向ける。それから窓の外を一瞥し急ぎ足で階段を駆け下りた。


                 ***    


 車に寄りかかって悠然と煙草を蒸す松永は、まるで深矢を待っているかのようだった。

 深矢は脇目も振らず松永に近付き、向こうが深矢に気付く前にその胸ぐらを掴み上げた。


 松永はワンテンポ遅れて驚いた顔をし、憎たらしく口元を歪める。


「これは偶然だな。新しい協力者とは上手くやっているのか?」

「お前、どうして圭を巻き込んだ」


 貿易会社と武器商人の取引に圭を向かわせるため、沙保を使って脅したのは松永の仕組んだことだ。


「はて、何のことだろうな……おっとそうだ、この度はお悔やみ申し上げるよ。奥本圭くん、だったかな?実際に会うことはなかったが、実に良い子だったよ。残念だ」


 そういう松永の声色は今にも声を上げて笑い出しそうだ。

 襟元を掴む深矢の手に力が入る。


「彼はお前とは違う意味で扱い易かったね。ただやはりお前とは力の差が歴然としていた」


 松永は失敗すると分かった上で圭を脅したのか。

 深矢は本能的に辺りの状況を伺った。

 周囲の人気は少ない。

 見える所に団長のいる気配もない、つまり監視はない状況だ。

 加えて松永のジャケットのポケットにはライターが入っているはず。

 それさえあれば、この男を殺すには十分だ。


 深矢はそれだけを即座に考え、松永に詰め寄った。


「そもそも、取引のことはどこで知った?あいつ脅してまで、何がしたかった?」


 それでもなお、松永は余裕を見せていた。


「元々今回の獲物はお前にやってもらうつもりだったんだよ。大きな仕事だからな。それが突然手を切ると言い出したもんだから、仕方なくお友達に手伝ってもらおうと思ったんだ」

「……あいつじゃなく、俺自身を脅せばよかっただろうが」


 そう言うと、憐れみのような目をされた。


「簡単なことだ。こうするのが一番効くだろう?」


 数日後に突然死なれちゃ、もうこの手は使えないがな。

 呟きのように付け足された言葉に、深矢は殺意がこみ上げるのをはっきりと感じた。


 自分の不甲斐なさも自己嫌悪も、松永に対する憎しみも怒りも全てひっくるめて、この男を殺したい。

 思った次の瞬間には、深矢の左手は松永のジャケットのポケットの中でライターを掠めていた。


 お前は知らないだろうが、俺はライター一つで人を殺せる。この場で、お前を――


「うちの拝島は優秀でね。そういうことに聡いんだ」


 そうと知らずにニヤリと笑う松永の首元にライターを近付ける――


 謹慎どころじゃなくなるぞ。


 松永の肩越し、車のサイドミラーに映った男の口が、そう動いた。

 視界の焦点外からの忠告。

 しかしそれは意思に反して、ブレーキのように深矢の動きを止まらせた。

 あとコンマ三秒遅かったら、目の前の憎き男は悲鳴を上げていただろうに。


「…………チッ」


 せめてでも松永をぶん殴りたい衝動を抑え込みながら、深矢は舌打ちを零して松永の襟元を乱暴に話した。

 松永はよろめき背後の自車に片手をついたが、勝ち誇ったような笑みを浮かべていた。


「君は少し、我々を舐めていたようだな」


 ――いつかその言葉、そっくりそのまま返してやる。


「……二度と俺の周辺に現れるな」


 掠め取った左手を押し留めながら、深矢は松永を睨みつけた。

 誰も見ていなかったら、ここでこいつを殺すのに。いつかは絶対に――


「まぁ、いい仕事が来たら連絡させてもらうよ」


 勝ち誇ったように、松永が憐れな少年を嘲笑い、車の中に姿を消す。


 深矢はその後姿を睨みながら、何故か恐ろしいほどに頭が冴えていくのを感じていた。

 自己嫌悪や後悔、不甲斐なさに怒り。

 そういった蠢く感情は引潮のように引いていき、静けさだけが残される。


 まるで人格が変わるように。

 ずっと眠っていた別の人間が呼び覚まされるように。

 深矢はただ静かに、狙いを定めるかのように、小さくなる松永の乗った車を見据えていた。


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