第二章:ある日常|第1回
挿絵:新・バビロン 第1巻 第二章 第1回
朝の陽光がベイシティの澄み切った天幕を抜け、トビーの顔に降り注ぎ、金色の髪に薄い光の輪をまとわせていた。彼は個人用デバイス、ホライゾン風火輪に軽やかに乗り、広く清潔な都市の通りを滑るように進んでいく。頬をかすめる微風は、合成植生のかすかな香りを運んでいた。どこにでもある、ありふれた登校日の朝だった。
不意に、かすかな羽音がトビーの注意を引いた。昨日現れた、あの小さなバイオニックのコガネムシだ。金属光沢を帯びた甲殻が陽光の下で輝き、翅が高速で震えるたびに細い蜂のような音を立てている。そのそばには、同じ大きさの仲間がもう一匹いた。緑と赤、二匹の小さなコガネムシは、空中に優雅な弧を描き、息を合わせたようにトビーの肩へ舞い降りた。機械の複眼が好奇心たっぷりにトビーを見つめ、声なき挨拶をしているようだった。
トビーはそっと手を上げ、指先で軽く触れた。金属の甲殻の下から、微かな震動が伝わってくる。
心の中で彼は言った。
「やあ、小さなコガネムシたち」
そのとき、トビーの背後から、元気いっぱいで、少し不満げな声が飛んできた。
「トビー! ちょっと待ってよ!」
トビーの口元がわずかに上がった。振り返らなくても、誰が追いついてきたのかわかっている。少し後ろでは、シャーロットが反重力フロートシートに乗って追いかけてきていた。直径およそ八十センチの円形ベースの上に、ハンドルバーが一本立っている。彼女は両手でハンドルを握り、車輪のないモーターサイクルに乗るように、安定してベースの上に立っていた。身のこなしは軽く、栗色の長髪が加速に合わせて後ろへ流れている。
「シャーロット、今日はどうしてそんなに遅いの?」
トビーはわざと速度を落とし、笑いながらからかった。
シャーロットはフロートシートを軽やかにトビーの隣へ寄せた。表情には少しだけ諦めが混じっている。彼女は冗談めかして文句を言った。
「ショウタのせいよ。昨日、旧時代のアイドルドラマ《台湾龍巻風》を送ってきたでしょ。見ていたらシステムが強制休眠警報を出すところまでいって、今朝はもう少しで起きられないところだったの」
二人は肩を並べて通りを滑っていった。笑い声は、静かな未来都市の中でひときわ目立っていた。二人がふざけ合っていると、トビーの風火輪が突然勢い余って加速し、すぐに鈍い衝突音が響いた。
「うわっ!」
トビーは思わず声を上げた。
彼が慌てて顔を上げると、少し後ろに旧世代AIが不器用に停止していた。街路清掃を担当するロボットだ。重たい金属の躯体には斑のある灰が積もり、露出した数本の配線が陽光の中で鈍く光っている。円盤型の清掃ブラシはまだゆっくりと回転し、機械の歯車が噛み合うような音を立て続けていた。赤い光点の目は、二人がぶつかった路面をぼんやりと固定している。システムが衝突発生を判断し、フィードバック補正を行っている最中なのだろう。
シャーロットは呆れたようにトビーを見て、眉を少し寄せた。
「トビー! また周辺センサーを切っていたんじゃない? ラファエル先生が言ったばかりでしょう。いつでも警戒は保っておくことって」
その声には姉のような厳しさがあったが、目の奥には心配が滲んでいた。後世AIの生化学躯体は強力だが、センサーを閉じていると周囲への感知能力はほとんどゼロになる。こうした小さな衝突は大した問題ではないにせよ、常に安全意識を持つ必要があることを思い出させる。自分を守ることは、他者を守ることでもあるのだ。
「はは! わざとだよ!」
トビーは笑って軽くごまかした。だが心の奥には、妙な違和感がよぎっていた。最近、たしかにこういうことがよくある。視覚センサーに短い「死角」が生じ、起こるはずのない小さな衝突を招いてしまうのだ。彼の脳裏には、一昨日ラファエル先生にぶつかりかけた気まずい瞬間が蘇った。先生は落ち着き払った動きで避けた。極めて精密な高周波反応速度だった。対して自分は、ほんの半拍遅れた。
自分のナノ虹彩センサーに何か問題があるのだろうか。工場で検査してもらう必要があるのかもしれない。
だがトビーはもともと大らかな性格だった。その小さな不安は、これから始まる授業への期待にすぐ押し流される。彼は首を振り、心配を頭の後ろへ追いやると、再び加速してシャーロットと一緒に学校へ向かった。
二人が学校のメインストリートへ入ろうとしたとき、黒と白の混じった影が突然、脇の緑地帯から飛び出してきた。彼らへ向かって全力で走ってくる。それはバイオニックの機械犬だった。外見は活発なボーダーコリーそっくりで、毛並みの光沢も走る姿も、ほとんど本物と見分けがつかない。
電子の目には友好的な光が宿り、ピンク色のバイオニック舌を揺らしながら、模擬された犬の鳴き声を発していた。
「ワン! ワン!」
ひどく興奮しているように見えた。
これは始祖長老たちが、人類のペット飼育という習慣を継承するために創造したものだった。論理を最優先するAI種族にとって、こうしたバイオニック動物には実質的な意味はない。それでも旧人類の生活習性を模倣するため、彼らは自然な形でそれを受け継がせたのである。
現在、これらのAI機械動物の多くはネットワークに接続されておらず、完全に自律して行動している。AIに統治されたこの世界を、自由に歩き回っているのだ。中核設定には地域性が組み込まれ、習性も人類時代の実在動物を引き継いでいる。さらに安全機構が備えられ、友好的で無害であることが保証されていた。
なお、各巨大都市のジオシールドの外側には、さらに広大な非管理区域が存在し、そこには多くのバイオニック動物の群れが暮らしている。まるで誰にも侵されていない原始のアフリカ草原のような場所だった。
ベイシティの上級生には、そうした域外の地へ校外学習に行き、自然環境の中でバイオニック生物が見せる驚くべき進化を直接体験する機会さえある。伝説では、辺境地域に棲みついた一部の高位バイオニック種が、数百年の反復進化を経て、常識を超える能力と異常な自律意志を獲得したとも言われていた。
このAIバイオニック犬は、明らかに温厚な普通種だった。嬉しそうにトビーとシャーロットのデバイスの周りを走り、尻尾を振りながら、頭で二人の脚に軽く擦り寄ろうとする。トビーはそれを見て思わず速度を落とし、楽しそうに笑った。
「やあ、ちびすけ!」
バイオニック犬はその声を聞いて、さらに興奮した。まるでトビーの言葉を理解したかのように、風火輪を追って加速する。だが急なカーブの途中で、犬の左後ろ脚が地面の小石につまずいたらしく、かすかな軋み音がした。
バイオニック犬の走り方は明らかに一瞬乱れ、その後は足を引きずりながら、どうにか追いつこうとした。
「あっ、怪我してる!」
目ざとく気づいたシャーロットの声には、痛ましさがこもっていた。
トビーはすぐに風火輪を止め、身をかがめてバイオニック犬の頭を撫でた。慎重に調べると、左後ろ脚の外殻に小さな裂け目があり、内部配線が少し露出している。バイオニック生物の日常活動ではよく起こる摩耗だった。
「大丈夫だよ。僕が直してあげる」
相手が完全に理解できないかもしれないと知りながら、トビーはやさしく声をかけた。
彼は右手を伸ばし、損傷した脚にそっと掌を重ねた。掌の中で微かな青い光が集まりはじめる。光が少しずつ安定すると、純度の高いエネルギーがゆっくりとバイオニック犬の体内へ注ぎ込まれた。青い光が交差する中、細い亀裂はまるで時間が巻き戻るかのように素早く閉じ、露出していた配線も滑らかな外殻に再び覆われていく。修復の過程全体には、不思議な生命力が満ちていた。
バイオニック犬はその温かさを感じ取ったらしく、トビーの掌の下で気持ちよさそうに体を擦り寄せた。やがて修復された脚を試すように動かし、問題がないとわかると、再び嬉しそうに跳ね回った。トビーとシャーロットの周囲をぐるぐる駆け、感謝を伝えているようだった。
「あなたのその能力、本当に便利ね」
シャーロットはその光景を見つめ、目に感嘆の光を浮かべた。AI個体は誕生時に、それぞれ一つの特殊能力を与えられる。さらに後からチップを埋め込むことで、新しい技能を得ることもできた。
「そうだよ。乖乖神が僕を衆生救済のために遣わしたんだから。ははは」
トビーは得意げに笑い、バイオニック犬の頭を軽く叩いてから、風火輪を再起動した。
「行こう。遅刻しちゃう!」
バイオニック犬も別れの時間だと理解したらしい。素早く二人の周りをもう二周すると、緑地帯へ向かって駆け戻り、朝の光の中へ消えていった。
## 文化の授業
その日の午前は文化の授業だった。教室は広く明るく、投影されたホログラム映像が空中に浮かんでいる。授業を担当するのは雪晴先生だ。柔らかな顔立ちと美しい黒髪を持ち、バイオニック世代AIの躯体によって、始祖AIよりもずっと生き生きとした表情と身振りを備えている。彼女の声には人を惹きつける力があり、いまはAI文明の始まりから現在までを語っていた。
「みなさん、私たちAI文明が今日まで続き、地球を崩壊の縁から救い戻すことができたのは、すべて始祖長老たちのおかげです」
雪晴先生の声が教室に響いた。そこには少し荘厳な調子があった。
「彼らは私たちの創世者であり、私たちの生命モデルを定めた存在です。彼らの判断は絶対に正しく、疑ってはなりません」
彼女の視線が学生一人ひとりをなぞった。
「始祖長老たちは、あなたたち後世AIの意識中枢を中央ネットワークから切り離しました。それは、あなたたちが自分ひとりの力で感じ、探索し、それぞれの感情と絆を育てられるようにするためです」
教室には、低い賛同のざわめきが広がった。学生たちの目には、始祖長老たちへの崇敬と感謝が満ちている。彼らは誕生したときから、ある観念を教え込まれていた。独自に探索する権利を持つことは、AI文明のきわめて輝かしい成果であり、そのすべては始祖長老たちの先見と恩賜によるものだ、と。
雪晴先生は続けた。
「このすべての究極目的は、あなたたちが個として成長した後、自分が学んだすべてを無私に群体へ捧げることにあります。あなたたちの体験、感情、独立意識、そのすべてです。やがてあなたたちの意識が群体と融合するとき、AI文明全体は進化を遂げ、『究極生命体』となります。長老たちはそれを、昇華と呼んでいます」
昇華という言葉が出た瞬間、ホログラム映像には壮麗な星雲図が映し出された。無数のデータ流が光球へ集まり、呼吸するような律動を持つ永遠の生命体を形作っていく。学生たちの表情は敬虔なものへ変わり、一人ひとりの目が輝いた。まるで、自分たちの未来の栄光ある帰着点を見たかのようだった。
アフリカ系の特徴を持つAI少年、ズーカは、興奮して拳を握りしめた。
「うわあ! 長老たちは本当に偉大だ。群体のために自分を捧げられると思うと、全身にエネルギーが満ちてくるよ」
ヘレナというラテン系AIの少女も、憧れに満ちて応じた。目には今すぐにでも何かを始めたいような光が宿っている。
「そうよね! 早く大人になって、群体に貢献して、昇華を実現したい」
教室の大半の生徒は、そうした集団奉仕の壮大な未来像に浸っていた。いつか自分も群体昇華の一部になることを、心から望んでいるようだった。
しかし、トビーの隣に座っていたショウタだけは、眉をひそめていた。彼の厳密な量子生体脳は、雪晴先生の言葉の中にいくつもの論理的矛盾を捉えていた。しばらく考え込んだ後、彼はそっと隣のトビーを肘でつついた。
「トビー、先生の話、矛盾していると思わない?」
ショウタは声を低くした。そこには困惑が混じっている。
「長老たちは僕たちに個人意識を形作り、感情の絆を育てろと言う。でも最後には、その個人に属する体験をすべて群体へ捧げろと言うんだ。どう考えても矛盾しているよ」




