国境
「ふふふ……」
眼下に広がるのは、険しくも美しいリアス山の山脈。
飛行魔法をかけられたリヤカーは、ガタガタと小刻みに震えながらも、驚異的な速度で雲を切り裂いていく。
ふかふかの羽毛布団に身を沈め、ビスケットを齧りながら空の旅を楽しむ令嬢なんて、建国以来私一人に違いない。
「さあ、この山を越えれば念願の国境! 王子の手の届かない新天地だわ!」
私はリヤカーの縁を掴み、身を乗り出した。
前方には、まるで空を二分するかのように、陽光を反射してキラキラと輝く空気の層が見える。
「あら、綺麗な光。歓迎の虹かしら?」
……いや、違う。
魔法学校の教科書に載っていた、あの忌々しい記述が脳裏をよぎる。
『——国境沿いには、鳥一匹通さぬよう、限界高度まで強力な「対侵入者用拒絶結界」が常時展開されている——』
「……あ。」
気づいた時には、時すでに遅し。
音速に近いスピードで爆走するリヤカーは、目に見えない巨大な壁に正面から激突した。
「ぎゃあああああああああああ!?」
凄まじい衝撃。火花を散らす古代魔法の術式。
しかし、私が展開していたのは「浮遊」と「推進」に特化した魔法であり、「衝突回避」なんて軟弱なものは組み込んでいない!
パリンッ! と、空間が割れるような乾いた音が響く。
強固な結界に弾かれたリヤカーは、一瞬にして制御を失い、キリモミ状態で真っ逆さまに落下を始めた。
「ちょ、ちょっと待って! 計算、計算しなきゃ! 自由落下の加速度は……ええい、風圧で数式が飛ぶわ!?」
視界がぐるぐると回転する。
上には遠ざかる青い空。
下には猛烈な勢いで迫りくる、緑深い森の地面。
「死ぬ! 死んじゃう! せっかく婚約破棄して自由になったのに、死因が『リヤカーの自損事故』なんて末代までの恥よーーーっ!!」
私は必死に杖を振り回し、地面に激突する一秒前、執念で「衝撃吸収」の術式を編み上げた。
ドォォォォォーーンッ!!
轟音と共に、森の木々がなぎ倒される。
もうもうと立ち込める土煙の中、私はひっくり返ったリヤカーと羽毛布団の山に埋もれながら、空を仰いだ。
「……いたたた。死ぬかと思った……」
ボロボロになったドレスを気にすることもなく、私は泥だらけの手で顔を拭う。
すると、ガサガサと草を分けて、何者かがこちらに近づいてくる気配がした。
「……おい、大丈夫か? 空からリヤカーが降ってくるなんて、どんな天変地異だ……?」
土煙の向こうから現れたのは、怪訝そうな顔をした、見慣れない装束の男たち。
どうやら、結界の向こう側——「お隣の国」に、最悪な形で入国してしまったらしい。




