報復合戦 中盤戦
1
ということで。
一週間の準備を置いたのち。
彰宏所長は、恵美の素行を調査してみた。もちろん、対象が女ということもあり、助手の真琴女史に尾行させた。
まずは、恵美の勤め先が、日本の大手自動車会社の『株式会社 鳳自動車産業|(通称:オオトリ) 長崎市支社』の販売部門で秘書を勤めていることが判明した。毎日毎朝、遅刻すること無く出社する。通勤の“足”は、なんか“いかつい顔”が特徴的な深い青緑のランボルギーニ。それを近くの駐車場に停めたのちに、会社に入ると、エレベーターで最上階に近い階にある秘書課へと“真っすぐ”向かっていき、課の面々に挨拶。
その秘書課の面々たるや、恐ろしいくらいに、皆、恵美を含めて“五人とも高嶺の花で構成されていた”のだ。
まずは、尾崎姉妹の双子の姉、尾崎美香華。ココアブラウンの三つ揃いに身を包んで、色素の薄いセミロングの髪を、アップに纏めていた。次に、その妹の静江。切れ長ながらも冷たい目元が特徴的であり、やや茶色い髪の毛は、ショートシャギーにしていた。続いて、毒島零華。毒島財閥の直系のお嬢様であり、その容姿は、五人のなかでも可愛い印象があった。なんだか猫は猫でも“家猫っぽい”顔立ちをしていながらも、やはり、育ちの良さがうかがえる気品がある。最後は、難波瓜子。京都生まれ特有の瓜実顔で、色白。メンバーのなかで唯一『一般家庭』からの出身者であるが、決して見劣りしない美しさをそなえていた。そして、この五人の女たちは揃って身長が百七〇前後といった、モデルも顔負けなスレンダーであったのだ。
どうしてここまで詳細に解ったのかと云うと、実は、真琴をこの秘書課に『雑用兼お手伝い』として潜入させていたからであった。
それから一週間を過ぎたあたり。真琴は、いろいろと雑用やなんやをこなしていきながら、隙を見て秘書課の面々に恵美について訊いてみた。
すると、意外と気前よく教えてくれた。
まずは、大胆にも調査対象の恵美当人へと「あの“いかつい顔”をした車は何ですか」と切り出したところ、あれはランボルギーニのアヴェンタドールと返ってきた。次に、習い事はなにかされていますかと尋ねたところ、物心ついた時から秋富士家柔術を続けていると答えた。そして、同僚で、毒島家財閥の長女でもある零華とも御家どうしから旧い付きがあるという。それからさらに、この恵美は気前よく、この間、昔から習っていた鮪の解体を免許皆伝したとまでも語ってくれた。しかし、対象当人からとはいえ、口頭のみの情報ではいまいち信用し難い。
よって、御家どうしの交流があるというその零華に、お茶汲みをしながら何気に訊いてみたら、恵美と同じような答えが返ってきた。そして、二人は未だに度々、親善試合をおこなっているという。どうやら、本当のことだったらしいが、あとでじかに素行調査をしてみるとする。
次に、瓜子へと恵美について尋ねてみたところ。課の五人のなかで、零華と同様に一番の年下だから、尾崎姉妹とともに可愛がっているという。ただし、ときに“しれっと”嘘をつく癖があるらしくて、それを云う恵美本人も自覚が無いように見受けられるとのこと。オマケに、特別に悪意が感じられない分、ある意味始末が悪いらしい。ときにとは、どのくらいのペースで起こるのかと確認したところ、「こちらが忘れた頃に」だそうだ。
なるほど。
秋富士恵美のお嬢様は、イケない癖があるようだ。
これらの証言だけでも大収穫なのだが、ここは探偵らしく状況の目撃と記録をしておかなければ。ということで、彰宏所長は対象者である恵美の追跡を行った。
この日はたまたま週末だったこともあり、助手の真琴女史から「毎週金曜日には、鮪解体の免許皆伝を受けるために修行していて、最近これを終了した」との報告を受けていたので、その金曜日である今日、対象者のランボルギーニ・アヴェンダドールを追って行ったところが、その長崎市内でかなり古い魚料理の老舗『銀鮨』という、鮪をはじめ梶木鮪にいたるまで“光り物”を主に扱っている料理店に行き着いた。
駐車場から足を運んで、引き戸を開けて入るなりに、恵美は、奥から出てきた板長と思われる痩身ながらもどこか鋭さを持っている老人の男に挨拶をするなりに、お互いに言葉を交わしてゆく。彰宏所長は、あるていど探偵業を“積んでいる”以上、遠目からでも対象者の口元の動きで、発せられていく単語とそれらを繋げた文とを読み取らなければならないわけで。以下、このように恵美と板長との会話を文にあらわしてみた。
板長が、どこか嬉しそうに。
「男でもケツまいて逃げ出していく連中が多い中で、お前さんは良くやった。女ながらにして、その持ち前の辛抱強さと忍耐で、修得できたことに、儂は嬉しい」
「ありがとうございます」
と、深々と頭を下げていく恵美。
頷きながら、板長は続けていく。
「しかし、お前さん……いや、貴女が秋富士家のお嬢さんと知ったときは、どんなに嬉しかったか。儂は光栄に思っていたんだよ」
「私も、お祖父様のご親友である貴男のもとで修行できたことを感謝しています」
「いやいや、むしろこちらが感謝したいくらいで。というか、挨拶もこれくらいにして、そろそろだな」
そう云いつつ、板長は年齢の割にしっかりとした足取りで奥へと入ってゆくなりに、少ししてから再び姿を現して、目の前の美しい長身の女へと長細い木箱を手渡した。色は、目視の限りでは白っぽい木の箱。異様なのはその長さで、箱だけでも恵美の胸元くらいはある筈。そして、蓋を開けてみると、その中には長く光り輝く『鮪包丁』が。
この瞬間、秋富士恵美は免許皆伝を受け取ったのであった。
2
特異な“師弟”が別れを交わしたのちに、恵美が店を出てきた頃には、周りの景色を薄暗いスモークブルーグレーのフィルターで覆っているように染められていた。
そして、次に対象者を追った先は、自宅までの道のり。
長崎市内の西山バイパスを抜けて、東長崎の国道を道なりに進んでいく途中で、アヴェンタドールは左折して、ディスカウントショップの駐車場に停めるなりに、降りてから店内へと入っていく。これを見た彰宏所長は、恵美が買い物するものかと思っていたが、実際は違っていた。それは、店内の公衆電話にへと迷うことなく向かっていった恵美が、十円玉と思われる小豆色か茶色の小銭を投入するなりに、任意の番号をその細くて白い指先で押していった。次に、彰宏所長の体内時計で感じ取れた、電話の呼び出し音を三回ほど鳴らしたのちに、対象者である恵美の顔に僅かな変化を起こしたのを見逃さなかった。これは推測の範囲であるが、多分、電話口に秋富士恵美の狙う相手の入江美砂子が出てきた為であると思われた。その間は、電話の相手に対して数秒間に渡り終始無言を貫き通した恵美は、一方的に受話器を置いて切ると、そのまま店を出て再びじぶんの車に乗り込んで、さっさとそのディスカウントショップを後にした。
それから、この女は五分ごとに近くのディスカウントショップまたは百貨店にて、先ほどと同じように、無言電話を計三回きっちりと繰り返していった。これは、依頼人の美砂子から受けた「毎日必ず三回、五分置きに、非通知で三回の呼び出し音と三回の無言電話がかかってきます」との報告と一致していた。
そしてさらに追跡を続けてゆくと、対象者の車両は東長崎を抜けて諫早方面に出てきていた。それから、三車線の大通りにあるこれまた大きな交差点を左折して、二車線から一車線へと変化する長い車道を道なりに走らせていったら、短いトンネルを抜けたところで『大村市へようこそ』という看板を目視。そこから更に、海岸沿いの山道をしばらくの間走らせていくと、いつの間にか広大に開けた土地へとたどり着いたのだ。このとき周りはすでに闇夜と癒着して、本当に空と山の稜線とが溶け合っていた。近年の福祉活動にしては“やけに暗いなぁ”と、彰宏所長が思ったその原因は、街灯が、通常の山あいにある民家よりも立てられている数が少なかったからだ。
その暗さのせいで対象者を見失ってしまったといった失態をおかさないように、彰宏所長は用心深く車間距離を置いてつけていったその先に、道路上の端々に立つ二本の街灯から照らされていた物に驚愕した。
暗闇から浮かび上がる、巨大な日本家屋。こんな黒い視界の中でも“はっきり”と確認できた、瓦屋根。お城と云えば大袈裟になるので、小城のようだと喩える方が適度か。広い庭と、それを四方で囲む石垣と漆喰とで構成された防壁。さらには、この広大な敷地の周りに、深く幅広く掘られた側溝を確認。多分これは、間違いなければ、『堀』という物だろうと彰宏所長は呆れ半分尊敬半分の溜め息を漏らした。運転席から顔を出した恵美が、年季の入った門のインターホンに呼びかけたときに開いていくと、敷地内へと車ごと入っていった。徐々に遠くなってゆくテールランプを、車内から限られた範囲で確認していった彰宏所長は、囲いから『小城』までの距離と庭の広大さを“何となく”実感。
いや、もう、別世界である。
というか。
感心している場合ではなかった。
追跡を続行。
こんな夜間でも、探偵には休息はないんだよ明智君。
しかし、その使い方は間違っていて悔しいですね。
え? さっさと仕事しろですか?
そうですね。ごもっとも。
上流階級に気負いせず、挑め。
野川探偵事務所所長、野川彰宏!!
と、エイエイオー!!と勢いに任せて塀を飛び越えようかと身構えたそんな矢先、各所に設置された監視カメラを確認した途端に、闘志の炎がたちまち吹き消されてしまった。このまま馬鹿みたいに何も考え無しに塀に飛び乗ってしまっていたら、警報を鳴らされて、お巡りさんたちから“お縄”になっちまうところだったぜ。探偵が警察から捕まってしまうなどとは、考えただけでも恐ろしい恥ずかしい。まさに危機一髪だった。くわばらくわばら。
気持ちを入れ替えて、呼吸を整えたところで、彰宏所長は車を、目立たないかつ何かあったらすぐに乗り込めるように出来るような近場を探して停めたのちに、鍵を掛けて出ると、対象者の自宅へと足を運んだ。その前に、念の為に前もって準備してきていた暗視カメラをヘッドホンよろしく頭に掛けて、カメラを目線の位置まで下げると、装備完了。備えあれば憂いなし。
己の姿が写らない距離を見計らって、その周りを歩いて建物の様子を見てみたら、容赦ないくらいに的確な場所に監視カメラを設置されてあり、その厳重さに改めて驚愕した彰宏所長。
これではまるで、要塞ではないか。
迂闊に忍び込もうならば、確実に、本当に、警察から“お縄”になってしまう。本気でシャレにならない。俺は、ときたま洋画で観る、無鉄砲な探偵には成れない。むしろ、二時間サスペンスでの慎重派な(でも、ときどき無鉄砲な)探偵を尊敬して目指しているんだ。すまない、俺が行けるのは、残念ながらここまでだ。だから、これ以上は―――――
3
ここからは佐伯君に頼むとしよう。
ということで。
週末を迎えた、野川探偵事務所。
「えーーっ! あたしが、ですか!?」
「そんなに驚くことないだろ。(潜伏先の)秘書課の皆さんと仲良くやっているんなら、なんら問題ないはず」
書類整理のさいちゅうに、彰宏所長から対象者の自宅にお邪魔させてもらって内部を観察してきてほしいと聞いた途端に、真琴女史は「所長みずからおやりになれば良いじゃないですか」と顔も顕わにこう叫んだ。このように、二人が恵美の行動を観察または尾行している間にも、依頼人の美砂子とその彼氏である御藏隆史とのもとには、無言電話だけではなく、罵詈雑言にも等しい破廉恥な言葉を書かれた用紙が、決まって週三回の夜にFAXにて非通知で送られてくるようになっていたという。これについては、彰宏所長も状況確認済みで、恵美は決まって日を空けて会社帰りにコンビニに立ち寄ると、鞄から数枚の用紙を取り出して、店内のFAXに差し込んで任意の番号を押したのちに、それらを送信していく。その回数は、週三回。受けた報告と、全く一緒であった。
そして、これから更に起こり得ることを考えると、よりいっそう秋富士恵美の素性を調べる必要があったのだ。
あれから、彰宏所長からの必死の頼みにより、真琴女史は渋々とオーケーを下した。
それから、週明けて。
束の間のお昼休み。
秘書課の高嶺の花たちが、それぞれの弁当箱を持ち寄って開いて歓談していたさいちゅう。
真琴女史は意を決した。
「あのー、秋富士さん」
「はい、なんでしょう」
「今度お互いの都合の良いお休みがとれたときに、お邪魔しても良いかしら」
「よろしくってよ」と、微笑んだ。
「きゃあ! ありがとうございます」
あっさりと承諾されて、思わず黄色い歓声をあげてしまった。と同時に―――お嬢様の『小城』へ、入城許可をゲットだぜ!―――と、心で叫んでいたに違いない。そのような、潜入調査を順調にこなしているという裏の顔を持ちながらも『秘書課のお手伝い兼雑用係り』な今はこの表の顔を使っている、探偵助手の佐伯真琴女史の喜び露わなガッツポーズ姿を尻目に、当の対象者である秋富士恵美は、嬉々として「ちょうど良かったところだわ」と云わんばかりに馴染みの面子へと以下のように声をかけていった。
「皆さん久しぶりに今度、私のところにお泊まりにいらしたらいかが」
さらに予想を上回った大収穫。
女だけのお泊まり会ときた。
無論、男子禁制である。
だが、確かめてみるには損はない。
「あの……、あたしたち女限定ですよね……」
この問いかけに、美香華が答えていくも、途中から「まさか!?」と表情に出しながらも「このーぉ! お若いんだから」とも云ってそうな感じにへと変わっていく。
「ええ、いつもはそうしているけれど。―――まさか、まこっちゃん(秘書課内での真琴の愛称)貴女、私たちにそれぞれの彼氏を持ち寄ってきた秘密のパーティーかと思ったの」
「いいえ、そんなことは決して……」―てか、美香華姐さん。それってまさに大乱交酒池肉林じゃないっすか!!――
なにはともあれ、深い潜入調査ができそうな予感がしていた真琴女史であった。
しかし、次の『お泊まり女子会』までは皆それなりに時間を作らないといけないわけであり、その間にも、当然のように依頼人の入江美砂子と御藏隆史への、対象者:秋富士恵美からの新たな嫌がらせが始まっていた。
美砂子の報告。その発端は、二人が買い物から賃貸住宅に帰ってきてノブを回そうかと握った瞬間に、鍵が開いていることが分かった。次に鉄扉を開けて入るなりに、部屋中の空気が変化していたのを“すぐに感じた”と美砂子は云う。すると忽ち、背筋を、これまでに感じたことのない悪寒が走り、各部屋を隈無く見てまわった。そしたら、勘が当たったというか案の定というか、コップに差していた洗面所の美砂子の歯ブラシ“だけ”をへし折られて捨てられており、隆史の歯ブラシの隣には「真新しい歯ブラシ」が差してあったという。
寝室に行けば、二人仲むつまじく写った写真のスタンドのガラスを割られていた。そのような出来事も、決してその日のみではなく、今までに四回起こっていたのだ。中でも呆れたのは、冷蔵庫の食料品も調理器具も勝手に使用された挙げ句、キッチンのコンロの上に“恵美お手製の”汁物の入った鍋が堂々と置かれていた。その不届きな行いの証拠を押さえるために、美砂子はデジカメを用いて、二人が出かける前の状態と帰宅したときの状態とを写真に収めていた。例の汁物は、流しに棄てたのは当然とった行動である。
この恵美の不法侵入については、美砂子からの二度目の報告の時点で、室内各所(キッチン、洗面所、浴室、寝室)に隠しカメラを設けて、対象者の行動を捕らえていた。しかも、ろくに合い鍵も持たないはずの恵美がどうして部屋に入れることができていたのかというと、その答えは、賃貸住宅にもともと設置してあった監視カメラに写っていたからだ。それは、隆史と美砂子の二人の外出を“どこからか確認したのち”に、目的の階と鉄扉の前まで来ると、恵美は“なんの躊躇いも無く”そこで片膝を突くなりに上着のポケットから一本の針金らしき物を取り出して、鍵穴に差し込んで回してゆくと、上手い具合に開けて中へと入っていった。
この映像を観ていた依頼人と探偵の面々は、ある種の感心を覚えて溜め息をついた。あと、依頼人こと美砂子と隆史との夜の営みも写っていたのは、云うまでもない。どうやら、ほぼひと月に渡る調査だったこともあり、二人して監視カメラがあることも忘れていたようだ。
そうして、恵美による五回目の不法侵入――監視カメラに撮れて、三回目。――の、キッチンにての身勝手な一部始終を観たときに、美砂子の中で、これ以上感じたことのなかった怒りを覚えた瞬間に、膝に乗せていた拳を力強く握り締めていった。このとき、美砂子の中のなにかが弾けたらしい。
そして、美砂子は行動に移した。
4
さらに数日が経ち。
週末の夜を迎えて。
隆史が友達二人と一緒に久しぶりに飲みに行ったのを見送ったのちに、美砂子は、とある携帯の番号へとかけていき、ひと言ふた言くらい交わしたと思ったら、電気を消して部屋から出て行った。これは、彼が丑三つ時あたりまでは帰宅しないと見計らって、とった行動である。
けっか、その出て行った先の場所とは、住処から少し離れたところの川沿いに建つラブホテルの部屋の中だった。で、美砂子の呼んだその相手とは、もちろん男であり、昔付き合っていた同い年の男。それは訳があっての行動なのだが。お互いシャワーを浴びて一回ほど“事を終えた”のちに、少しばかり休みをとってから、再び始めるが、今度は美砂子から昔の男に覆い被さりながら目線を合わせて切り出してきた。
「ジン君」
「なんだよ、どうした」
ジンと呼ばれた男は、下から美砂子の首へと腕を絡ませて抱き寄せてゆく。と、唇が触れ合う寸前のところで、美砂子が待ったをかけた。
「あたしがここまでしているのよ」
「分かっている。その条件飲むよ。―――ていうかさ、本当にそこまでやっちゃってイイのかよ。女相手にさ」
「ええ。―――良いわ。その秋富士恵美を痛めつけるだけじゃなく、飽きるまで犯してよ。けっか妊娠させても構やしないさ。どーせ後継ぎのいなかった良いとこの長女だったんだし、種付け探しに必死こいてたんじゃないの?」
「そのお嬢さまに、どこの馬の骨かわからない男のガキを産ませろってか」
「そう」
こう吐息混じりに返しながら、美砂子は、昔の男のジン君こと三根原仁と唇を重ねていった。
週明けて。
仕事を終えた恵美は、いつものように美砂子への“嫌がらせをこなした”のちに、自宅へと自家用車を走らせていた。そしたら、大村市の海沿いの山道の国道を転がしていたときに、バックミラーに写る白い軽自動車に気付く。それからさらに走らせたところで、恵美が前方からの対向車が来ないのを確認したのちに、後ろの白い軽自動車へと「今のうちに追い越しなさい」との合図を送る。しかし、女のそんな親切心にいたって無反応を示す白い軽自動車に不審を感じつつも、我が家へと向かってゆく。
やがて、開けた土地に出た途端。
いきなり加速してきた白い軽自動車に不意を突かれた恵美は、アヴェンタドールの後方から激突されて、勢いそのままに街路樹へと前方をぶつけた。世界有数のスポーツカーと“うたわれて”いるランボルギーニ・アヴェンタドールのボンネットは、前方から醜く歪んで折れ曲がり、フロントガラスを粉々に破壊していた。幸いにも、エアバッグが働いたおかげで恵美は一命を取り留めたが、不覚にも、躰の痺れと若干の意識朦朧を味わっていたのだ。しかし、後ろから追突したその白い軽自動車も無事では済まない。だが、アヴェンタドールに比べれば、損害は遥かに少ないわけであり、当然のようにその運転手も五体満足である。
外車にカマを掘った、勇気ある白い軽自動車から出てきた運転手は、三根原仁だった。周りを確認してから足を進めて、アヴェンタドールの運転席側のドアを開けてからその標的の女を見るなりに、仁は「マジかよ。すげぇ上玉だ……」と驚き混じりに呟いた。正直、その場の感想は、美砂子以上の美しさを感じた。いや、今まで寝てきたどの女たちよりも美しかった女。そして俺は今から、この最高の女を好きにできるんだ。と、こう思いをよぎらせた途端に、そそり立っていくものも感じてゆく。
いつまでも眺めていては、この女は意識を完全に取り戻しかねないと思った仁が、手際よくシートベルトを外して、胸倉を掴むと同時に座席から恵美を引き抜いて持ち上げてゆくと、トランクへ叩きつけた。新たにきた後頭部の打撃に、恵美が呻いてゆく。女のそんな姿に艶めかしさを感じた仁は、ますます粘っこい部分を刺激されてしまい、気持ちが早まった。
恵美の上着を左右に引き裂き。
ブラジャーを剥がそうとした瞬間。
顎を稲妻が貫いて。
目の前で火花を視た。
脳味噌は頭蓋骨をのた打ってゆく。
これが刹那的に一緒くたに襲ってきたせいで、仁には、いったいなにがなにやら理解不能な状況におかれた。では、いったいなにが起こったのかというと。見知らぬ男から上着を裂かれたうえに、下着まで剥がされようかとしたところで、未だに少し朦朧としながらも薄目を開けて見た恵美は、反射的に右手の平を惜しみなく全力で男の下顎にへと叩き込んだ。通称、掌打と云う、合気道を含む日本の古武術にある技であった。平たく云えば、ビンタ。
それはさておき。
全く予想していなかった展開に、仁は外れた下顎を庇いながら後退してゆく。だが、襲ってしまった相手の女は秋富士恵美だった為に、一撃“だけ”では事は済まない。トランクから身を起こした女は、目の前でうろたえる男を睨みつけると、踏み込んで、顔をめがけて容赦なく拳鎚を連打した。すると、たちどころに鼻柱は砕けて、前歯は折れて流血をしていき、無惨にも顔が変形してしまった。
しかし。
これでもまだ許さないのが恵美。
連打直後に、爪先を股間に突き刺し。
槍と化した踵で鳩尾に叩き込んだ。
その勢いで蹴り飛ばされた仁が、街路樹に背中を強打するだけではなく、派手に横転して草むらに大の字になった。その初めて味わう痛さと恐怖に、男は言葉にならない声をあげていき、震えた。
当然、怒りがおさまらない恵美。
今度は目を釣り上げて。
「お前、私を、犯そうと、したな!!」
力強く足を進めていきながら。
もう一度。
「この私を、犯そうとしたな!!」
そして、とどめとばかりに蹴り落とした踵で、仁の膝を破壊したのちに漸くここで恵美は“さめる”と、Gパンのポケットから携帯電話を取り出して警察に繋いだ。