報復合戦 前半戦
1
これは、隆史から別れを告げられる、約ひと月ほど前。
ある晩のこと。
お風呂から上がった恵美が、彼氏がお手洗いに入っているのを見計らって、男の携帯電話をチェックしてみたら、メールの履歴のやり取りの欄に『入江』という名を見かけた。確か少し前に隆史さんは、会社の同僚と飲みに行くとか云っていたけれども、彼って、飲みのお付き合いをする方々は決まって長崎大学からのお友達だったはず。という疑問が湧き上がってきた瞬間。
女の勘がはたらいた。
よって、その会社の“同僚”である『入江』という者の番号からアドレスとを、全て、恵美の携帯電話のSDカードへと保存しておいた。
そして
振られてから三年以上が経ち。
隆史の居なくなった春を迎えた恵美。
ある日、会社の昼休みを利用して、かつて彼氏だった隆史の勤める会社まで足を運んでいき、その玄関前にある広場のベンチに腰掛けた。それから、おもむろにスカートのポケットから携帯電話を取り出すなりに、さっそく『入江』と記された番号にかけてゆくと、目的の相手が出てきた。
『はい、入江ですが』
ドンピシャ! 女の声だ。
口元が緩みそう。
やだ。私ってば凄い。
いけない、いけない。
一秒以上の沈黙は警戒されるわ。
「はじめまして。私は、秋富士恵美と云います。―――貴女が“入江”さんでお間違いないかしら」
『あ、はじめまして。―――はい。入江美砂子と云います。―――貴女のほうこそ、間違い電話ではありませんよね』
「いいえ、間違い電話だなんてとんでもありません。寧ろ、その本人がお出でになられて、嬉しいですわ」
『…………貴女、秋富士さん。いったい何の目的があって、あたしに電話してきたの』
「何の目的があって、ですって? 私の目的は、入江美砂子さん、貴女そのものが目的よ」
と、通話を一方的に切られた。
もちろん切ったのは、美砂子。
こんなのは、とっくに慣れていた。
思わず出てきた微笑みと言葉。
「んふふ。予想通りの行動してくれて、微笑ましいわね」
声は解った。あとは、顔。
今、炙り出してやるわよ。
貴女みずから私に顔を晒しなさい。
ということで、カマをかけてみる。
〈美砂子さん。私は隆史さんの以前の彼女でした。だから一度、お話ししてみませんか?
今、貴女の会社の前まで来ています。〉
このメールを見た途端に、美砂子は弁当箱を多少手荒に置いて、走りはしなかったが急いで一階へと下りるなりに、玄関から出てきて、周りを見渡していく。
が、しかし、その人物は見当たらない。いったい、電話してきた『秋富士恵美』と名乗る、隆史の元カノはどこに隠れているのやら。
そのように、これまた予想通りに“みずから”姿を晒してしまった美砂子のそんなすぐ近くのベンチで、恵美が携帯電話を片手に実に堂々と目標の女の顔を撮っていたのだ。そして撮り終えたのちに、隆史とその新しい女の勤め先を“さっさと”あとにして、じぶんの会社へと足を運んでいった。
2
それから、二週間以上して。
休日を利用して、恵美は大波止に建つ巨大な百貨店にある『サバット・バックス』という、御フランスを拠点に栄えている一大喫茶店産業の日本支社の長崎支店に来て、カフェ・オ・レを嗜んでいた。だが、ただ嗜んでいただけではない。これよりも、この後にやってくる来客のほうがより楽しみでならなかった恵美。
そして、ガラス越にその相手を確認。
通り過ぎていく姿を見るなりに、微笑みを漏らしてしまう。その者の身長は、恵美と並ぶほどの長身を有しており、これに見合っているスレンダーな躰つきと、目を見張る美貌を持ち、そしてその稲穂色が特徴的な脱色された長い髪の毛の女であった。その女は店内に入るなりに、恵美を発見すると、迷うことなく“真っ直ぐに”こちらへ向かってきて腰を下ろすと、向かい合わせになる。
窓際というか、表の見えるガラス張りの席で、恵美とその女との二人の美女が無言で向かい合っていただけだった。まさか、閉店まで終始無言の睨み合いを続けるのかと思われたが、これを断ち切って会話を始めたのは、もちろん恵美であった。
しかも、それは極めて穏やかに。
「お久しぶりですわね。史土菜穂さん」
それはまるで、親しい友人へと久々に声をかけてゆくかのごとく。
なんと、その女とは、思案橋の歓楽街の『クラブ 月光華』で働いていた『ナホ』こと、史土菜穂であった。
そんな菜穂が、長い腕と脚とを組むなりに、溜め込んでいた物を吐き出すかのように恵美に“ひと言のみ”を投げつけた。
「こちらこそ、お久しぶりね。―――挨拶も早々で悪いんだけれどもさ。アナタ、振られたんだって?」
僅かに口元に浮かぶ微笑。
これを見逃す筈がない恵美。
「ええ、振られたわ。でも、それがなにか。……それが貴女にも影響がお有りかしらん」
「いいえ、とんでもない」
腕を解いて、左右に広げた。
そして、組んでいた脚の上に乗せる。
次に、恵美を直視した。
「―――――しかし、こうして顔を合わせるのって、お互い初めてじゃない」
「本当にそうだわ。あのときは電話と云えども、私が失礼したわね。ごめんなさい」
ポーズだけの謝罪。
これを形だけとお見通しの菜穂。
「まあ、昔のことだし。とうに“時効”でしょ。―――あ、ショコラお願いね」
こう、じぶんよりも若いウェトレスに注文したのちに、忘れないうちに会話を繋げてゆく。
「ほーんと。(アナタから)電話がきたときは、驚いたね。『相談したいことがありまして。私、隆史さんから振られてしまって……』―――なぁ〜んてさ。これを聞いた時、アタシがいったいどんな顔していたかって、アナタ想像出来た?」
明らかな侮蔑の口調。
明らかな挑発の嘲笑。
明らかな見下しの姿勢。
やっぱり、貴女は面白い女だわ。
菜穂さん。大変残念だけれども。
貴女の負けよ。
「“歓談”はこれくらいにして、そろそろ本題に移りましょう。斬り込みは、速い方が良くってよ。―――この女の人、ご存知ないかしら」
そうおもむろに上着のポケットから、一枚の写真を取り出すとテーブルに置いて、細い指先で押さえながら、滑らせていき、菜穂に見せてみた。すると、どうしたことか、先ほどまで勝ち誇っていたかのような顔から、心なしか怒りがうかがえるものに一変したではないか。
隠しているようで隠せない反応。
恵美には予想通りの展開だった。
「どうやら、ご存知のようね。……良かったら、教えていただけないかしら。この入江美砂子という女のことを」
「この女のことなんか聞いて、なにするのさ」
「それは貴女の知ったことではないわ。貴女の役目は、ただ、この私に入江美砂子の情報を提供するだけでいいのよ。余計なことは云わなくともしなくとも良くってよ。……お分かり?」
「お分かり……つーか、前にも云ったよね? アタシの口は固いのって。アナタこそ、お分かり?」
「んふふ。そんな強がりなお口も、直ちに割られてしまってよ。―――菜穂さん。いいえ、またはこうお呼びしたほうが良いのかしら。『君二子』さん」
この名を発した瞬間に、菜穂の唇はキュッと締まり、顔が強張ったうえに目を見開いてみせたのだ。当然のように沸き起こってゆく疑問を、恵美へと投げつけていく。
「なんで、なんでアナタがそんなことを知ってんのさ」
「それは簡単なこと。今の世の中には、いろいろな情報ツールと“つて”に溢れているわ。こんな豊かな環境を利用しないわけにはいかないわ。―――だから、貴女の過去を探り当てるまで、大した時間などかからなかったわよ」
そして、再び今度は上着の内ポケットから、一枚の黒いメモリーカードを取り出して、顔の位置まで上げていく。
「菜穂さん。貴女、苦労されたみたいね。前の彼氏さんが抱え込んだ大きな借金を肩代わりしてしまったせいで、ビデオの世界で“女優 君二子”としていっぱい活躍なされて、結果、ご無事に全て返済されたんですってね。―――そして引退したあとは、暫くの間だけ嬉野の“お風呂”で働いていたらしいわね。ひょっとして、また、彼氏さんの借金返済のため……?―――男運が悪いのも、考え物ね」
「ああ? アナタ、大した“空想”も大概にしといたら。証拠が無いからって、まあ〜、ぺらっぺらとよー喋ってくれるもんだ。そのお喋りな口、縫い付けてやろうか」
歯を剥き出し気味にまくし立てた。
この程度で恵美は怖がらない。
「証拠……ですって?―――証拠なら、このメモリーカードに詰め込んであるわ。それだけではないのよ。―――オークションで競り落とした、貴女の“出演”されていた全てのDVDも持っているんだから。物的証拠などに困ることは、まずないわね」
なんという女か。
目の前に、菜穂の『弱み』を“ちらつかせ”ながら、要求をしようとしてくるとは。
「この私に貴女の過去を流出させたくなければ、入江美砂子の情報を話しなさい」
この、人でなしな言動と態度に、菜穂はたちまち怒りによって沸騰してきたものを店内に放ってゆき、それを恵美にへと、鋭くかつ熱い闘気に変えて差し向けていったのだ。対して、これを逃げることなく受け止めていた恵美が、今度は急に冷めた感じを顕して、流してゆく。
ここの誰もが理解できた、一触即発。
恵美は、メモリーカードを掲げたまま未だ微動だにせず。そして菜穂となると、今にも獲物へと飛びかからんとする肉食獣のようであった。
ひじょうに、危ない。
これは危険な空気だ。
絶対、店内が荒れる。
内装は勿論、周りが崩壊する。
イケません。お客様。
揉め事は、表にてお願いします。
と、そんな店内じゅうの思いなど余所に、睨み合っている当の女二人、つまり恵美と菜穂はすでに己の拳や足や技をそれぞれの頭の中で交わしていた。
―先手必勝。まずはアナタのそのムカつく美人顔にアタシの拳を叩き込んでやる。続いて、胸元にもう一発おみまいよ。――
―甘いわね。貴女は怒り任せだわ。私の顔を狙ってきた拳を防いだ瞬間に、カウンターで拳を貴女の顔にお返ししたあとで、その座席から投げ飛ばしてあげる。――
―なんのなんの。アナタが次の一手を喰らわせようと椅子から出てきたところで、下腹部と鳩尾とに蹴りを二発。そして、間を与えずに、胸元へ蹴りを一撃。――
―甘んじてその三段蹴りは受けてあげる。ただし、二発までよ。決め手の一撃は足首を捕まえて捻り上げたあとで、太腿に爪先を脹ら脛に膝を蹴り込んあとは更に、胸元へと前蹴りをオマケしてあげるわ。そして、トドメは捻って投げる。――
―少林寺拳法を舐めんな!! 負傷した脚でも跳んでいって、アナタのその顔と喉に膝蹴りを喰らわせてやる。――
―残念。菜穂さん、安易に空を跳ぶものではなくってよ。そんなことされたら、私、時間差を狙って私も跳んでしまうじゃない。そして、意表を突いたつもりだった貴女は逆に意表を突かれて、繰り出せなくなる。その僅かな隙で、私は胴廻し回転蹴りを放って、貴女のその細い喉元におみまいするわ。――
「ぐぐ……っ!!」
悔しさに唇を噛みしめてゆく。
これを確信した恵美。
「勝負は着いたみたいね。私の勝ちよ、菜穂さん」
「ええ、アナタの勝ちよ……」
そう認めた菜穂は、肩を落として、たちまち闘気の火を消していった。
3
気を落ち着かせたところで。
ショコラティエを飲み終えた頃で、菜穂が語り出してゆく。未だにテーブルに置かれている、入江美砂子の写真に目を移して。
「彼女のことはよく覚えているよ。アタシと同じ『嬉野一番』という店で一緒に働いていたからね。源氏名は、確か『ミーサ』だったかしら。……いいえ、ミーサで間違いないわ」
そして、恵美に目を合わせる。
「まあ、ソープ嬢だったアタシたち自体それほどお互いに深入りはしなかったんだけれども。この女ったら、アタシたちの指名客を次々にとっていってね。このままじゃ、マジで肩代わりした借金返せないかと正直焦ったよ。―――でもね。それから一年とちょっと経ったある日、いきなり辞めて、早々と長崎に帰っていきやがったんだよ」
「それはそれは、大変興味深いわね」
「ああ、そう? なら、もっと教えてあげようかしらね。―――その美砂子ってね、指名客と平気で“お店の外まで”お付き合いしてまわっていたのさ。最初はアタシ、彼女もなにか事情があってこの仕事に踏み入れたのかなと思っていたから、暇をみて聞いてみたんだ。すると、何て返って来たと思う?」
語尾を上げて、邪な笑みが浮かんだ。
――「そう? それはご愁傷様だったわね。あたしは特別そんな“訳あり”なんて全く無いから、心配無用よ。―――なんで?―――そりゃ貴女。あたしだってお金を稼ぎたいのよ。手っ取り早く、はじめの段階である程度貯められるのなら、手段なんて関係ないじゃない。出来る事はしておくわ。あたし、貴女たちみたいに、男運の悪さで“訳あり”になんてならないから。―――よって、いつまでも“こんなところ”に長居するつもりはないし、近々ここを辞めるし。例え、過去にソープ嬢をしていたことで、あたしに傷が別に付くわけでもないしね。―――まぁ、貴女たちは貴女たちで頑張ってよ。応援しているわ。それなりに」――
「―――だとさ……。どう思うよ?」
「へぇー。なかなか面白い方ね、美砂子さんって。思わず身の毛がよ立って、足が竦んでしまいそうなほどの自信家さんね。―――菜穂さん。大変貴重な情報をありがとう。―――貴女、今度、私のお父様の会社にいらっしゃいな。貴女の今までの後ろめたい経歴を変えてあげるわ」
「ほ、本当……?」呆気になる。
「ええ、本当よ」
こう、力強く頷いた恵美。
4
そういったことで。
例のFAXの件へと戻る。
おつかいから帰って来た隆史に、各種の文言が書かれた紙を見せていったら、彼氏は当然のように怒りを露わにしていった。この反応に、美砂子は嬉しくて嬉しくて、思わず目尻から滴を零れ落とさせていく。嗚呼、あたしの為を想って、こんなにまであの女に対して憎しみをぶつけて怒っている。
よし、次は“お返し”してやるわ。
しかし、どうやってあの女の顔を知ろうかしら。ここは素直に探偵に頼んでみるとするかな。
翌朝。
野川探偵事務所。
思案橋の丸山町にある、とある雑居ビルないに、この探偵事務所があった。人員は、事務所所長の野川彰宏と、スレンダーな若い女で助手を務める佐伯真琴の二人のみ。美砂子は挨拶も簡単にさっそく、依頼を切り出してみた。その日受けたFAXによる嫌がらせの内容を、全て話したうえで、秋富士恵美の名を出した。
「秋富士恵美さんですか。聞いたことある名字ですね。……解りました、調べてみましょう」
「ありがとうございます。単に顔がわかれば良いんですが、もし、ついでに良ければ、彼女の素姓も調査してください。お金は弾みます」
「それは、こちらこそ有り難いです。解りました、そちらも調べて参りましょう」
「お願いします」
頭を下げて頼んだのちに、探偵事務所をあとにしていく。
それから、夕刻。他の依頼主たちの調査書類を纏めながら、助手の真琴が、ショートシャギーを耳に掛けてスカートの裾を整えたのちに口を開いていく。
「所長」
「どうした、佐伯君」
「朝の人、随分と手回しが早いですね」
「ああ、あの美人さんか」
「ええ、まあ。―――あまりにも周到すぎませんかね。受けた嫌がらせでも、まだFAXだけですよね。無言電話や、小包に入った『白い液で満たされたコンドーム』とか、あとはほら『ザーメン・ジャム』が送られてきた訳でもないじゃないですか」
「あのなぁ、佐伯君。せっかくの美人さんが崩れるような単語を云うのは止しなさい」
溜め息混じりの彰宏所長。
『美人さん』に反応する助手。
「やだあー!! 所長ったら、わたしを認めてくださるんですね。もうっ。前々から、わたしって美人じゃん。……って、じぶんでも解っていたんですが、赤の他人の所長がそう仰ってくれるなんて、わたし幸せです!!」
「おめでとさん」




