新展開
1
それから、三年以上が経った。
御藏隆史と入江美砂子はともに、賃貸ではあるが、新居を見つけたそこで同棲生活を続けていた。そして、隆史が別れを告げた女こと、秋富士恵美からは、あの最後のひと晩の営みを境に“ぱったりと”音沙汰が無くなったのだ。いちおう用心のために、恵美の携帯電話番号とメールアドレスとには、着信拒否に受信拒否の設定をしたあとに、登録から完全に消しておいた。だから、万が一、向こうから電話をかけようがメールを送ってこようが、全てを跳ね返してしまうから大丈夫である。
よって、あの晩の翌朝からすぐに、このような念を入れた対策をとっていたものだから、隆史は早々と心から安心してしまい、恵美の存在もだいたい半年くらいで忘れ去っていた。なんの引っかかりの無い、平和な新生活を新しい女こと美砂子と続けていた。これは、恵美と同棲をしていた期間と比べたら、ほぼ二倍くらいに長い。
新しい住処での生活は、まさに平穏無事。それをよりいっそう感じていたのは、隆史のほうだったかもしれない。心から寄り添えることの出来る、美砂子という掛け替えのない人と一緒だということ。それは、美砂子も隆史に対して、同じようなことを思っていた。
誰もじぶん達を邪魔する者が居ない。
このまま、ともに末永く続けたい。
が、しかし。
そうは問屋が卸さない者が居た。
その者とは。
当然、秋富士恵美である。
2
その二人の生活に、四度目の春を迎えた頃。
それは、休日だった。
FAXの受信音に気付いた美砂子が、洗い物を終えたキッチンから手を拭きながらやって来て、機械の上へとせり出してくる紙を見るなりに怪訝な顔をしてゆく。そのような用紙も、まだ一枚だけなら単なる悪戯で終わりそうなものだが、単発で済むはずがなかったのだ。
次々とせり出してくる紙。
白地に、大胆にも大文字の単語が書かれており、執拗とも思えるほどに長く印刷を続けていく。その字面と単語に、美砂子は目を奪われて、オマケに寒気と嫌悪感とによる震えを生じていった。
その記されていた単語とは。
売女め!!
淫乱女!!
腐った牝が!!
略奪者!!
泥棒猫!!
この泡女!!
おしゃぶり姫!!
牝畜生!!
返せ!糞女!!
終わっていないぞ!!
ミーサちゃん♪
百枚きっちり送られてきた、最後のこの“一枚だけ”に記されていた『ミーサちゃん♪』を見た途端に、美砂子は蒼白となり脂汗を噴かせた顔を手で覆い隠して、軸を失った躰をふらつかせながら、ソファーへと尻餅を突いた。
恐怖感。焦り。
疑問。怒り。
そして、なによりも。
―なんで、なんで!? なんであたしの『源氏名』を知っているの……!? なんで、あたしの知られたくないことを? 誰、誰なの!!――「い、いや……。こんなの、隆史に知られたくない……。こんなの駄目よ……、駄目……!!」
やがては声となって現れて、なんとかソファーから身を起こしていき、FAXのもとへとたどり着いたすぐに百枚の紙を掴み取るなりに、ステンレス製のゴミ箱にぶち込むとベランダに飛び出してチャッカマンに点火しようかとしたその直後。
再び、受信音がなって。
一枚せり出してきた。
意識を保ちながらも、美砂子はそれを見にきてみたときに、思わず「ひっ!!」と気管支に息を詰まらせてしまった。
その、百一枚目の受信した紙とは。
知っているぞ!!
入江美砂子!!
私は、お前の過去を
知っている!!
御藏隆史に知られたくない過去を!!
美砂子は、これまで、いままでにいろんな嫌がらせは受けて流してきたが、このように“一番突かれたくない所”を突かれてしまったのは、全く初めてであった。なるべくなら隠していたかった一部分が、得体の知れない相手から掘り起こされてしまっただけではなく、それを今度は曝されてしまうかもしれないという恐怖感に支配されかけていた。
すると、ふいに訪れた冷静。
当然のように、美砂子が“それ”に従って、行動していく。まずは『売女』『淫乱女』『泥棒猫』『略奪者』などの、隆史に“見せても支障のない中傷”は残したのちに、あとの『泡女』『おしゃぶり姫』と『ミーサちゃん♪』とのように、以前なにをしていたかと推測出来そうな物だけは焼却処分をして、なんとか気持ちを落ち着かせたのであった。
いったい、誰が。
秘密にしていた事なのに。
『ミーサ』が『入江美砂子』だと知られていた。
もう一度、己に問うてみた。
いったい、誰が?
なんの為に?
どのような理由があって?
いったい、誰が?
―――――いや。
なんとなく、見当がついた。
あの女しか思いつかない。
3
時を少し遡らせてみる。
この出来事の起こる、ひと月前。
秋富士恵美は昼休みを利用して、元彼氏の隆史が勤める会社の前まで足を運んでいた。近くのベンチに腰を下ろすなりに、携帯電話を取り出して、ワンコールを入れていく。ひと言ふた言ほどその相手に告げたのちに、少し間を置いたあとで今度はメールを入れて送ってみて、しばらくしてみるとどうしたことか、玄関から女が出てきて周りを見渡していき、まるでなにかを探っているかの動きを見せていったではないか。
この隙を突いた恵美は、携帯のカメラで女を数枚ほど撮り終えると、もう用はないとばかりに“さっさと”その場をあとにしてゆく。そして、じぶんの勤め先へと戻っているさいちゅうに、恵美が思わず薄ら笑いを浮かべたのだ。
―うふ、ふ。なるほど。今の人が、隆史さんの新しい女。入江美砂子さんね……。どんな女かと思っていたら、なかなかの美人さんじゃない。―――うふ、ふ。けれど、顔が分かればこっちのものだわ。美砂子さん、貴女の負けよ。――