憎しみを超えるもの part1
「はあ、はあ、はあ」
アーサーは必死で林の中を走り続けていた。
灌木や生い茂った雑草で手や足のあちこちが切れ、刺すような痛みが伝わってくる。
振り返ると、すぐ後ろを猪のような巨大な怪物と、無数の泥人形のような魔物たちがバキバキと草木をなぎ倒して迫ってきている。
「なんで……なんで、戦うことしかないんだ!
ぼくはもう、戦いたくないんだ!」
あの神父もルーパスさんも黒い森の魔女も、
みんな、酷く、辛く悲しい思いをして、
誰かを憎み、恨んでいる。
でも、他に道はないんだろうか。
心に空いた悲しみの埋め草は
復讐しかないのか。
しかし、いくら考えてもアーサーは自分が彼らにかける言葉を持っていないことに気付いていた。
走り続けるアーサーの視界が急に開けたと思うと、そこは小さな石碑が立つ野原で、その先は崖で行き止まりとなっていた。
崖下をのぞき込むと、飛び降りればとても無事では済まない高さで、軽いめまいを覚え後ずさりするアーサーに、背後から魔物の一群がゆっくりと近づいてきた。
「アーサー様」
巨大な猪のような怪物が、感情を持たないかのように冷たく、低い声で話しかけてくる。
「残念ですが、ここでお別れです。
あなたは優しい、善良な人間のようだ。
無駄な抵抗をしなければ、せめてもの情けに安らかに主の御許へ送って差し上げます」
「いやだ……いやだ、いやだ、いやだ!
ぼくは死にたくない!
こんなのぜったいおかしいよ!」
アーサーは怪物に向かい、振り絞るように叫んだ。
「傷ついて、憎んで、殺しあって、こんな……
こんなの、永遠に終わらないじゃないか!」
「そうですとも」
怪物の声がわずかに震えている気がした。
それは怒りなのか、悲しみのせいなのか。
アーサーにはわからなかった。
「富める者、力を持つものが支配し、
抗おうにも、あまりにも強固なこの世界。
弱き者の声はどこにも届かず、誰も見向きもしない。
踏みにじられ、傷つけられた者たちの魂は
誰も救ってはくれはしない。
神が創りし、完璧で美しい調和を持つこの世界で
人間だけが憎み、傷つけあう歪な存在。
これこそが、未来永劫、変えることはできない
この世界の残酷な真理なのです」
そこまで話すと、怪物は後ろ足で立ち上がり
天に向かって絶叫した。
「ならば!
神が我々を救ってくれないのなら!
人間を、弱き者を見捨てるというのなら!
私は神を捨てる!
神と戦う!
例え魂を悪魔に売り渡そうとも、
この世界への復讐に、我が身を捧げる!」
それを合図とするかのように、怪物とそれを囲む魔物達が一斉にアーサーに襲いかかってきた。
「何で……わかってくれないんだよ!!」
アーサーの金髪が逆立ち、その目が真紅に染まった。
全身を怒りのオーラが包み込み、アーサーは獣のような咆哮を上げて、魔物たちへと立ち向かっていった。
その頃ウォルズリーの城では、ノーラが窓から遠くの崖の方を見つめ呟いていた。
「間違えちゃダメよ、アーサー」
そして視線を室内に向けると、壁にかけられた一枚の肖像画に心の中で語りかけていた。
『お願い、あの子を導いてあげて』
同じ頃、離れの塔ではハワードが秘密の部屋の巨大な壁画の前に立ち、意識を集中させていた。
壁画は様々に変化を続けながら、ぼんやりと描かれていたシルエットを徐々に鮮明に描き出していく。
やがてそこに現れたのは、怪物と戦うひとりの少年の姿だった。
「そうだ、戦え、戦うのだ。それこそがウォルズリーの血を引く者の宿命なのだ」
満足そうに笑うハワードの周りを、小さな光が哀しげにゆっくりと漂っていた。




