帰路
夕闇が迫る郊外へと続く少し荒れた道を、車のライトが照らし出す。
風はもう冷たくなって来ている。
ロンドンからの帰り道、アーサーはずっと黙り込んでいた。
「ちょっと遅くなっちゃったな。アーサー君、寒くないかい?」
ヘンリーが前を向いたまま話しかけてくる。
「あ、いえ、大丈夫です」
「今日は僕の用事に付き合わせてくれて、悪かったね」
「いえ、今のイギリスのことや、おじいちゃんやレスターさんのこと。いろんな事がわかってよかったです」
「そうかい?なら、よかった」
『この人はやっぱり、優しい人だな』
アーサーは改めて思った。何をどうしたらいいのか、まだよくわかっていない自分のために、口だけじゃなく、理解できるよう導いてくれる。
「僕は貴族や政治家はあまり信用しないけど、ハワードさんがいい加減な人じゃないのはわかっただろう?」
「はい。みんなが感謝しているのもわかったし。
おじいちゃんがスゴい力を持っているのもわかりました。
でも……だったら、なんで……何もしないのかと思って」
「うん」
ヘンリーが小さくうなずいた。
「もっと早く対応していたら、おじいちゃんの兄弟だって、おばあちゃんだって亡くならなくて済んだんじゃないのかなって。
やっぱり……怖いんですかね」
「何でだろうね」
ヘンリーの声が少し低くなった。
今のアーサーには、ハワード自身がこの事件を一族内で解決しようと考えていることはまだ伝えないほうがいいだろう、とヘンリーは考えて言葉を飲み込んだ。
「あのう……ヘンリーさんはなんで……スパイの仕事に進んだんですか?怖く……ないんですか?」
「うーん、怖くないといったら嘘になるかな。道端でフィッシュ&チップスを売るのとは訳が違うからね」
「レスターさんは、何と言ってるんですか」
「正直な話、心配はしていたみたいだけど、もう諦めているみたいだよ」
「卑怯なようだけど、僕は意味のない殺し合いにはできるだけ加わりたくないんだ。
スパイなら、自分の体一つで情報を集めて、戦争の危機を避けることに役立てる仕事だからね」
「でも軍人なら戦争にならなければ死ぬことはないけれど、スパイはバレたら終わりじゃないですか」
「誰かが明日への道を照らさなきゃいけない。それが自分だとしたら、何かができるとしたら、やるだけだよ。
今はまだわからないが、ハワードさんもそれを考えているんじゃないのかな。
アーサー君は怖いのかい?」
膝の上で握りしめたアーサーの両手が震えている。
「……怖いです。最初は、おじいちゃんのためにルーパスさんをやっつけたら済むと思っていたのに、いつのまにかドイツやイタリアとか外国も巻き込んだ大きな話になっていて。
ぼく、何にもできないし。
魔法が使えるといっても、まだまだだし。
家族に会えなくなるかもしれないって思ったら、怖くて仕方ないです」
ヘンリーが片手を伸ばし、震えているアーサーの両手の上にそっと重ねる。
「ママやノーラが君を選んだのは君ならできると信じたからだと思うよ。
だから君も、自分自身を信じてあげなよ。
それに、この僕もいるだろ?ちょっとは頼りにしてくれてもいいんだぜ?」
ヘンリーは笑顔でウインクをした。
「……はい」
信じてあげる、か。
その言葉に、アーサーは幼い頃の家族揃っての夕食時のひとときを思い出していた。
晩酌に少しずつ、大切そうにスコッチウイスキーを飲む父親の膝の上で、留学時代の話を何度も聞かされた事を。
宮大工の家系に生まれたけど、西洋建築を学びたくて英国留学した事。
大学で学生だったママと出会い恋に落ち、怒ったママの親族に撃たれかけた事。
二人で鉄道で上海まで逃げて、そこから一番安い船のチケットを買って日本へ帰ってきた事なんかを、すごく懐かしそうに話してた。
その間中、ママはいつもニコニコして話を聞いていた。
いかにして父親の目を盗んで酒の肴をつまみ食いするかだけを考えていたため、ちゃんとは聞いてなかったけど、
留学中に出会ったいろんな国の人や宗教について話してた事が印象に残っている。
『太郎、大きくなったら海外へ出てごらん。
世界は広い。自分の物差しでは測れない、
信じられないことばかりだ』
『もちろん、いいことばかりじゃない。悪い人間もいるし、嫌なこともたくさんある。
でもね、嫌な人、理解できない事に出会った時に、簡単に悪い人だと決めつけてはダメだよ。
なぜその人はそうなったのか、
自分と出会うまで、どんな道を歩いて、どんなものを見てきたのか。
それを考える事を忘れちゃダメなんだ。
パパはおまえに、他人を信じることができる人間になって欲しいんだ』
アーサーはルーパスや魔女狩りの話を聞いて、父親の言葉の意味がぼんやりとだけどわかる気がした。
『ルーパスさんや、ドイツの魔女があんな風になったのも理由がある訳だし。
できる事なら戦うんじゃなく、直接会って話し合って解決できないのかな』
しかし、そんな自分の甘い考えがあんなにも悲しい結末を招くとは、アーサーは知る由もなかった。




