ダウンタウンとヘンリー
車が市内の中心部を離れ、テムズ河の東側へ進んで行くに連れ風景が変わって行くことにアーサーは気づいた。
街全体が薄汚れていき、道端で寝ている人間や、街角でたむろしてこちらをじっと睨みつけている人間が増えてきたのだ。
「……ヘンリーさん、この辺りはなんだか雰囲気が違いますね」
ヘンリーは前を向いたまま静かに語りだした。
「この辺りはね、世界に冠たる大英帝国の首都・ロンドンの栄光や繁栄から落ちこぼれた地域なのさ。
地方から出てきたものの、大都会に適応できずその日食べるのが精一杯の労働者。戦争で怪我を負い、まともな仕事に就けなくなった元軍人。ろくな仕事に有り付け図、差別される植民地からの移民。
それにアルコール中毒や薬物中毒患者など、社会からはみ出してしまった連中。
そんな人々が最後に流れ着く場所なんだ」
あきらめとも、憐れみとも取れる話し方だった。
「アーサー君、僕に自分の国が豊かになって嬉しくないのか?って聞いただろう」
「あ、はい」
「イギリスは確かに長年栄光の歴史を歩み続け、世界の中心で輝いている。だけど、光が強ければ強いほど必ず影はできる」
「……そうですね」
「その影を少しでも照らし、落ちこぼれた連中でも人間らしい生き方ができるのが本当の意味での豊かな国だと僕は思うんだが、今のこの国はそんな方向にはとてもじゃないけど進んでいない」
いつものユーモア溢れるヘンリーとの違いに、アーサーは戸惑いながらも、自分の考えを述べた。
「でも、それはイギリスだけじゃなく、世界中、どこでもそうなんじゃないですか?」
「そうだ。ヨーロッパはもちろん、君の国もそうだし、世界中が軍事力を背景にした強者の論理で行動している。
だけどね、そんな社会は、やはり歪なんだよ。
踏みつけられ、蹂躙されてきた側の悲しみや怒りはどこへ向かっていくんだ?
今のままじゃあ、この世界はいつかとんでもないしっぺ返しを食らう。僕にはそう思えて仕方がないんだ」
アーサーは言葉が出なかった。日本も戦争に勝ち続け豊かになっていった。それはダメなことなんだろうか。
負けた人は可哀そう。それは理解できるけど、負けてしまったら、大切な人たちの命が奪われてしまったら、何にもならないんじゃないのか。
「……噂をすれば、そんな連中が現れた」
信号待ちで止まったのを機会に複数の男たちが飛び出してきて、車を取り囲んで何かを叫んでいる。
「おい××××××××に乗ってるじゃねえか!」
「どこのお金持ちだか××××だか知らねえが、×××××××にも少しばかり恵んでくれよ!」
「お前ら××××、どうせ××××なんだろう?」
車を囲んで、わめき散らしているのだが、下町訛りのせいか何かの中毒患者なのか、半分ぐらいは聞き取れない。
今まで生まれ育った環境でこの手の人間を見たことがないアーサーは、恐怖と混乱で固まってしまった。
『ど、どうしたらいいんだろう……』
ヘンリーはしばらく黙って聞いていたが、わめき散らしてた連中が一息ついたところで
突然、もの凄い勢いで怒鳴りだした。
「うるせえぞこの××××野郎!おいてめえら、誰にタカリかけてんのかわかってんのか、この××××××××野郎が!
母親の××××から××××××××なクズが!この車に触ったやつからブチ殺すぞ!」
ヘンリーの口から「人を言葉だけで殺す罵り方コンテスト」があればダントツで優勝すると思うほどの汚い言葉が、マシンガンのように溢れ出て男たちを射抜いていく。
「おめえらみてえな×××にやるゼニなんてビタ一文ねえんだよ!ガタガタ抜かしてると全員引きずり回して×××××××××にしてドブに叩き込むぞ、さっさとどきやがれ!」
あまりの迫力に男たちは小さな声でブツブツ言いながら全員後ずさりして離れていった。
「本当に最近のバカは口の利き方もわかっちゃいねえ!ふざけるな!」
男たちの姿がはるか後方に遠ざかっても、ヘンリーはまだ怒っていた。
アーサーは人殺しみたいな目つきで運転するヘンリーに恐る恐る話しかけた。
「あ、あのう、ヘンリーさん?」
「ああ、ごめん、ちょっとビックリさせちゃったかな?」
急に優しい口調でにっこり笑った。
この人が一番怖いのかもしれないと、アーサーは思った。
「は、はい。ちょっとじゃないですけど。ヘンリーさんはこのあたりの出身なんですか?」
「まあ、そんなもんだ。連中はアレぐらい言わないと、わかってくれないんだよ」
ヘンリーは苦笑いしながら話した。
「あんなキレイごと言っといてケンカしてたら仕方ないんだけどね。お、そろそろ着くよ」
車は一軒の古い建物の前で止まった。門には大きな看板で「ウォルズリー孤児院」と書かれている。
「え、ここって?」
「ハワードさんが援助をしている孤児院で、ぼくの生れ育った場所さ」
その時、建物の中からたくさんの子供達の歓声が聞こえた。
「あ、ヘンリー兄さんだ!うわあ、すっごい車に乗ってる!」
「おかえり!ヘンリー兄さん!プレゼントは買ってきてくれた?」
「兄様、お帰りなさい!」
窓からたくさんの子供たちが手を振り、我先にヘンリーの元へ駆け寄ってきた。
「チビども、みんな元気だったか!?」
満面の笑みで子供達をハグすると、ヘンリーは車から大きな荷物を降ろした。
「ほらプレゼントだ!仲良く分けるんだぞ!」
やったあ、とはしゃぐ子供たちの輪の中からシスター姿の女性が現れた。
「お帰りなさい、ヘンリー。いつもありがとう」
「とんでもない。お久しぶりです、院長先生」
「ヘンリー、こちらの方は?」
院長先生は、アーサーの方を向いて微笑む。
「彼がお話ししたウォルズリー家のご令嬢であるアン様のご子息のアーサー君です」




