いざロンドンへ!part1
翌朝。
今日の朝食は、昨日、鹿肉料理を食べ損ねたノーラの機嫌を直すために、好物である新鮮な羊のキドニー(腎臓)のソテーが加わっている。
「ノーラはよく食べるよねえ。ぼく無理だよお」
基本が魚料理で育ったアーサーには、キドニーの独特の風味はどうしても受け付けられずほとんど手をつけていなかった。
「あんたねえ、好き嫌いしちゃダメよ。何でも食べなきゃあ!う〜ん、幸せ」
口調は怒っているものの、朝から好物を味わうことができてノーラは満面の笑みを浮かべている。
フローレンスがその食べっぷりに感心したように話しかける。
「ノーラ様は本当に美味しいものをよくご存知ですねえ。きっと喜ぶでしょうから、料理長に伝えておきますわ。でも、あちらのお国ではこういった料理はなかなか食べられないんじゃございませんか?」
「まあね。でも、新鮮な魚を使った料理があんなに種類があって美味しいなんて、日本に行ってから初めて知ったわ。あれはあれでいいものよ」
「そうなんですか。よろしいですわねえ、いつか私も食べてみたいです」
ノーラは黙って微笑んでいる。
「そうだ、フローレンス。メリッサと連絡は取れた?」
「ええ、ノーラ様。今晩にでもこちらに参りますとのことです」
「今晩、ね。わかったわ、ありがとう。あら?」
二人の会話のスキにアーサーがお皿を下げてもらうようにしているのを、ノーラは見逃さなかった。
「アーサー!残すんじゃないの、内臓料理は身体にいいのよ。そうだ、あんたのマフィン貸しなさい、どうしてもキドニーがムリなら、このレバーペースト美味しいから、たっぷりぬって食べるのよ。」
ノーラはトリュフ入りの薄い茶色のレバーペーストを山盛りにしてアーサーに差し出した。
「え〜ムリムリムリ!そんなの食べられないよ!」
「わがまま言うんじゃないの!」
二人のやりとりをレスターが微笑ましく聞いていたその時、アーサーが急に動きを止めた。
「…あれ、何の音だろう?」
「そんな事でごまかされないわよ、何も聞こえないじゃない」
「ええ、聞こえないノーラ?どんどん近づいてくるよ、ほら!」
アーサーとノーラは席を立って窓から外をのぞくが、特に何も変わったことはない。
「ほら、ごらんなさい!…ん、いったい何?」
ずうっと遠くの方から雷のような音が城に近づいてくるのがわかった。
ヴォオオオオオオオオオオオン!
爆音を響かせながら1台の真っ赤な車がこちらに近づいてくるのが見える。
朝のウォルズリー城には似つかわしくない轟音に、いったい何事かとメイドや下僕、庭師など多くの使用人が庭に飛び出している。
だがレスターだけは何かを察したようで、苦虫を噛み潰したような顔でその場を一歩も動かずにいる。
車は正面玄関にピタリとつけると運転席からゴーグルと革手袋をした男がおりてきてこちらを見上げて叫んだ。
「さあ、準備はいいかいアーサー君!ロンドン観光に出かけようぜ!」
ヘンリーだった。
「アーサー様」
レスターがため息まじりに呟いた。
「どうか、お気をつけて行ってらっしゃいませ」
「ヘンリーさん、この車、どうしたんですか?」
アーサーは朝食もそこそこに慌てて着替えて車に乗り込むと、ヘンリーに話しかけた。
ボボボボボボボボボボボボボボボ!
「えー、なんだって?」
けたたましいアイドリング音で会話ができない。
耳元まで近づいて叫ぶ。
「だーかーらー!こーのー車ー!なーんーでーすーかー!」
「ああ、これ?いいだろう!我が国が誇る高級車、アストン・マーティン・アルスターのMI6スペシャルバージョンだよ!これからは機動力の時代だからね!」
「この間のトライアンフはどうしたんですか!?」
「あー!あれね、ここのところ長距離ドライブが続いてエンジンがいかれちゃってさあ!
担当しているやつがーまあ、ぼくの親友なんだけどねー怒っちゃって没収されたんだよ。
で、代わりにコイツを拝借してきたんだ」
「それって、勝手に借りてきて大丈夫なんですかー?」
「まー慣らし運転だと思えば大丈夫だろう!さあ、乗った乗った!おっと、ゴーグルも忘れずにね」
アーサーがスパイがこんな派手な車を乗り回していいのか考え込んでいると、
「さあ、行くよ!」とヘンリーがアクセルを踏み込んだ瞬間、車は爆音とともに凄まじい加速で走り出した。
ヴォオオオオオオオオオオオン!
周りの風景がすごい勢いではるか後方へと飛び去って行く。
「うわああああ、す、すごいですねえ!」
「えー、なんだって?」
「もういいですー!」
「ところで、今日は化け猫の姉さんは?」
「そんなこと言って、バレたら絶対にビンタされますよ!今日はやる事があるからって言ってました」
「ビンタはおっかないねえ!そうか、まあ色々やらなきゃいけない事はあるからなあ!」
「何だか、みんな忙しそうですね。ぼくのことなんか放ったらかしですよ」
ヘンリーは運転が忙しいのか、アーサーのグチに無反応だ。
「ごめーん、なんか言ったかい?」
『聞こえてないんかい!』アーサーは心の中で全力で突っ込んだ。
「いえ、何でもないです。ところで、これ、結構揺れますねえ!」
「えー、なんだって?」
「いや、揺れて、揺れ、揺れ…なんか気分悪くなってきましたああ!」
「えー、なんだって?」
「まだ、だ、だいぶ、ぶぶぶぶぶぶかかるんでふかあああああああああ」
「あーそうだなあ、1時間くらいかな?」
「あの、も、も、もう、もうっムリムリでふうううううう!」
「えー、なんだって?あ、おい、吐くなら車の外に、ああああ!」
げろげろげろげろげろげろげろげろげろ
アーサーは心の中でママに話しかけた。
『ママ、イギリスに来てから辛いことばっかりです。ぼくもう帰りたいです』
「ノーラ様、どうされました?」
その頃、ノーラは窓からアーサーたちを見送りながら、レスターの呼びかけも無視してじっと考え込んでいた。
『あたしですら気づかない気配に、あんなに早く反応するなんて。どうやらハワードが考えていたより早い段階で計画を進める必要があるかもね』
「ううん、何でもないわ。レスター!」
「はい、ノーラ様」
「あたしもちょっと夜まで出かけてくるから。後はよろしく」
「かしこまりました。お気をつけて」




