ルーパスの悲劇 part3
それから1時間近く歩き続けて、やっとの事でルーパスは城へと帰り着いた。
「まあルーパス様、ひどい格好!どうされました!?」
泥まみれで帰ってきたその姿を見て、二十歳になったばかりの若いメイドが驚いた声をあげ、駆け寄ってきた。
「あ、うん、馬から落ちちゃって……」
「お怪我はございませんでしたか!医者を呼んで参りましょうか?」
「い、いや、大丈夫だよ。ありがとう、メリッサ。本当に大丈夫だから」
ルーパスが恥ずかしさで、すぐにその場を立ち去ろうとした時だった。
「何をしているんですか、ルーパス!」
振り返るとそこには、二人の弟を連れた母の姿があった。
「あ、は、母上……」
「無断でお茶会に遅れ、その上、その汚らしい格好は何ですか!恥を知りなさい!」
「ち、違うんです、母上!これは、あの、」
「口答えするんじゃありません!もうすぐパブリックスクールへの進学も控えているというのに、それでもウォルズリーの人間ですか!」
「も、申し訳ありません。母上。あの……父上は?」
「あなたを待っていては、大臣との会合に遅れてしまうから、とうの昔にお出かけになられています!」
母の厳しい叱咤が続く間、後ろの兄弟たちは顔を見合わせてニヤニヤと笑っている。
「メリッサ!」
「は、はい、奥方様」
「早くその子を何とかしなさい!臭くて仕方ないわ」
母はメリッサにそれだけを申し付けると、弟たちを連れてさっさと立ち去ってしまった。
「ルーパス様、とりあえず、浴室へ参りましょう」
メリッサが手を引くが、ルーパスは固まってしまったように動こうとしなかった。あまりの惨めさに、今、動けば涙が零れ落ちるからだった。
メリッサがこの哀れな次男坊にかける言葉を探していたその時だった。
「一体どうした。何の騒ぎだ?」
低く、張りのある落ち着いた声が聞こえてきた。
そこに立っていたのは、何人もの執事や使用人を従えた、二十歳になったばかりの兄のハワードだった。
メリッサが慌てて頭をさげる。
「フランスからもうお帰りになられていたのですか、ハワード様。ご当主様の名代、ご苦労様でございました」
ハワードはメリッサを無視して、ルーパスに問いかけた。
「……ルーパス。おまえまた弟たちにからかわれていたのか」
「い、いや、僕は、その」
「言い訳はよせ、ルーパス」
ルーパスは思い切って、ハワードに訴えた。
「ハ、ハワード兄様!ぼ、ぼくは、な、何もしていないのに弟たちが!」
興奮のあまりしどろもどろになるルーパスに、ハワードは静かな声で語りかける。
「ルーパス。おまえもウォルズリー家の人間なら、誇りを持て。誰よりも強くなれ。
私たちには普通の人間にはない力とともに、大いなる責任が課されているのだ。
今のままだと、おまえはおまえの中の臆病者の手にかかって死ぬ事になるぞ」
取り繕うルーパスを無視し、ハワードは切り捨てるように告げると、その場を立ち去った。
他のメイドや使用人たちもそれに従ってついていき、広い玄関ホールにはルーパスとメリッサの二人だけになってしまった。
「ルーパス様……」
そっと顔をのぞき込むと、ルーパスは唇をかみしめ、震えながら涙をこらえていた。
メリッサは俯いてふさぎ込んだままのルーパスの手を引き浴室へ連れて行くと、身体中をきれいに洗ってガウンを着せ、部屋まで連れていった。
「何かお飲物をお持ちいたしましょうか?」
ベッドに腰掛けたルーパスの長い黒髪を海島綿のタオルで優しく拭きながらメリッサはたずねたが、返事はない。
「ルーパス様?」
突然、ルーパスはメリッサの手をとると抱きしめてベッドに押し倒した。
「!!」
あまりの出来事にメリッサが固まってしまっていると、ルーパスはメイド服の上からメリッサの胸に顔を埋め、強く抱きしめた。
「ルーパス様!おやめください、ルーパス様!」
必死であらがうメリッサの声を無視するようにルーパスは抱きしめて離さない。
メリッサが人を呼ぶかどうしようか迷っていると、ルーパスの動きが止まり、小さな声が聞こえてきた。
『う、う、ううううううう〜』
もうすぐ十三歳になろうとするルーパスが、赤ん坊のように泣きじゃくっている。
「ぼくなんか、ぼくなんかこの家にいらない子なんだ!必要ないんだ!」
激しい嗚咽と共に、ルーパスは長年心の底に溜まっていた思いをぶちまけた。
「父上も、母上も!誰も彼も、この家の人間は、ぼくを愛してくれない!じゃあ、じゃあ何でぼくを母さまから引き離したんだ!母さま、母さま、母さま、本当の母さまに会いたい!」
声をあげて泣き続ける姿を見て、メリッサは遠い故郷の家族との別れの日の事を思い出していた。
貧しい家庭に育ち、父親が亡くなり家計を助けるため、ウォルズリー家にご奉公に上がる事を決めたのだが、涙を浮かべる母親や幼い妹や弟との別れがどれほど辛かったことか。
だが、自分には愛してくれた父の記憶や母の愛、家族の温もりがあった。
『この方には、そういったものが、何もないのだ……』
メリッサは突き放そうとしていた両手をルーパスの背中にまわすと、そっと抱きしめた。
「ルーパス様、お顔をあげてください」
ルーパスが涙でくしゃくしゃになった顔を上げると、メリッサは優しく微笑みながら語りかけた。
「だいじょうぶ、私がおります。メリッサはどこにも行きません」
ルーパスはひときわ大きな泣き声を上げると、メリッサの体を強く抱きしめた。
やがて二人は唇を重ね、シーツの海へとゆっくりと沈んでいった。




