魔法の夜に part1
アンが母親からの手紙を読んだ次の夜。
「ここを……こうして、いや、ここを動かすのが先か。うん?うーん」
アーサーは自分の部屋のベッドの上で、手のひらに乗るほどの小さな寄木細工の箱をあちこち触っては首を傾げていた。
多くのイギリスやヨーロッパの国々がそうであるように、独立心を養うという教育理念により、アンは子供達が小さな頃から自分の部屋をもたせていた。さすがにまだ小さい妹の華子は母親と同じ部屋で寝ていたが、アーサーは小学校に上がった頃から子供部屋で一人で寝るのが普通になっていた。
部屋は二階の階段近くにあり、外開き式の大きな窓がついていて、風の強い夜や雨の夜は複雑で奇妙な騒音を響かせ、誰かが窓を叩いているんじゃないか、何かが窓から覗き込んでいるんじゃないかといらない想像を掻き立てさせる。
「あーもう、わかんないや」
ふうっとため息をつき箱を枕のそばに放り出すと、自分もそのままベッドに倒れこんだ。
天窓から差し込む柔らかな月の光が、ふてくされているのか、ふくれっ面のアーサーの顔を照らし出す。寝そべったままの姿勢で先ほどの箱を再び手に取り、じっと見つめる。
彼の持っている箱は、建築家であり、現在闘病中の父親が入院する前に作ってくれたもので、建築現場であまった様々な木片を組み合わせて作ったとは思えないほど精巧な出来映えの寄木細工だ。
何重にも仕組まれた仕掛けを順序よく解かないとフタが開かないようになっており、アーサーはヒマさえあれば触っているのだが全然開かない。
「パパ、早く帰ってこないかなあ」
アーサーはぽつりと呟いた。
ぼくはお兄ちゃんだから。
パパと約束したんだから。
ママのお手伝いをすること、
華子のお世話をすること、
ちゃんと学校に行くこと、
ノーラにご飯をあげること。
パパの看病と仕事、
そしてまだ幼い妹の世話に明け暮れているママが、もうすぐ十歳になる自分の事を後回しにしているのも十分理解はしているつもりだ。
…だから、学校のことも、言っちゃダメなんだ。
ママに余計な心配をかけちゃうから。
ひとりぼっちは苦手だけど、我慢しなくちゃいけないんだ。
布団にもぐり込み、頭からかぶって目を閉じると、この世界はすべて幻で真っ暗闇に自分しかいない気がする。
もし神様がいるなら、どうしてこんなに寂しい思いをさせるんだろう。
パパ、ママ、華子。みんな揃って一緒に笑っていたいだけなのに。
学校も、友だちも、普通にしゃべって、遊んで、過ごしていたいだけなのに。
どうして。
なんでなんだろう。
鼻をすすり、小さな嗚咽がしばらく部屋に響いていたが、やがて静かになったと思うと布団の中から小さな声が聞こえた。
「……オシッコ行きたい」
アーサーたち家族の部屋は二階にあるのだが、トイレは昼は建築事務所として使われている一階にしかなく、夜は当然のごとく人っ子ひとりいない。
アーサーの一番苦手な場所なのだ。
しばらく我慢していたが、限界が近づき、自分なりの一大決心をしてベッドから身を起こした。
夏とはいえ、山の上に建っているだけに夜は冷え込む。サイドボードの上のガウンを羽織ってベッドから降り立った。
このガウンはイギリスに住むまだ会ったことのないおばあちゃんが、お祖父ちゃんには内緒で誕生日プレゼントとしてロンドンにある高級デパート、ハロッズで購入して送ってくれた物で、アーサーのお気に入りの一着だ。
これを羽織ると、まるでどこかの国の王様になったかのようで、勇気が湧いてくるのだ。
ただ、本人は気付いていないが、純日本人的なパンツとランニングの上に王室御用達の豪華なガウンという、ものすごく頭の悪い星の王子様のような不思議な格好ではあるのだが。
階段を降り、不気味な静けさに包まれた月明かりが差し込む長い廊下をそろりそろりと歩き、盛大にちびってしまう寸前になんとかトイレにたどり着くことができた。
しょぼしょぼしょぼしょぼしょぼしょぼしょぼしょぼしょぼ……。
「ふうう~」
アーサーの顔に長年生涯をかけて探し求めていた財宝が見つかった海賊のような、安堵の笑みが浮かんだ。
もっと小さい頃は、夜中にこのトイレに行くのがどうしても怖くて、無理やり我慢してちびってしまう事もあった。
それを考えると、われながら成長したなあ、とにんまりと笑いながらドアを開けると、
目の前に巨大な虎がいた。
「????」
後ろを向いて考える。
……これは夢なの?
アーサーはそーっとパンツに手を伸ばし、股間に触る。
ちゃんとトイレに行ってオシッコをしたつもりが、実は夢の中で、失敗したことが以前にあったからだ。
濡れてない。ホッと胸をなでおろす。
よかった、これは夢じゃない。
ん?と言うことは?
「グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」
虎が凄まじい咆哮を上げ、アーサーの体がびりびりと震える。
な、なにこれー!!!!!!!!!!!!
「うきゃああああああああああああああああああああ!」
アーサーも、お返しのように、家中のガラスが全部割れてもおかしくないぐらいの悲鳴をあげた。




