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第五十五話「対特務艦隊戦」(5)

 メルビスには、訳が分からなかった。

 ワープで逃げようとした、その瞬間。ホワイト・キャットの動きがとまった。高速ではあるものの、慣性に任せて移動するのみである。

 理由は分からない。しかし、逆転のチャンスであることには違いなかった。

 一度は離れた戦闘機群が攻撃を再開し、戦艦と巡洋艦が追従した。メルビスとしては、せっかく動きをとめた獲物に対し、戦艦の主砲による攻撃を加えたかったが、この時ばかりは、味方の戦闘機が邪魔になった。

 戦闘機を下がらせるかどうか、メルビスは迷った。けれど結局、必死で戦っているパイロット達の、闘争本能を優先させた。かつてはメルビス自身も、パイロットの一人として戦闘機を操縦していたのである。

 戦闘機の数は、すでに十八まで減っている。あまり褒められた思考ではなかったが、さらにあと少し減少したら、戦闘機の隙間から、狙い撃ちも可能であった。

 勝てるかもしれない。

 メルビスの心に、消えかけた闘志の炎が戻ってきた。


 ユーキは、スクリーンを見ていた。

 もはや何も考えていなかった。

 ミサイルが来る。来るから落とす。ただ、それだけであった。

 レーザーも来るが、それはユーキには関係のないことであった。

 たまにミサイルを撃ち損ねると、体が揺れた。それが何故かは、考えられなかった。考えると、嫌な気分になるだけであった。

 ユーキを護れ。

 どこかで、誰かが、言った気がした。それは、遠い過去の出来事のようであった。

 スクリーンの片隅に、いつ開いたのか分からないモニターが存在した。

 黒いふたつの物体が動いていたが、その意味するところを、考える余裕はなかった。


 シンは、口の中の血を吐き出した。

 吐き出した血は、宇宙服の中の吸収口に吸い込まれる。

 黒豹と戦いはじめて、すでに二分。自分の体が動くことが、不思議であった。宇宙服がなければ確実に死んでいたであろう攻撃を、何度も受けていた。

「まだ、排除できないか」

 黒豹が、ゆっくりと近づいてきた。

 辛うじて立ち上がるシンに、もはや後ろはない。右には、ドアに続く短い通路があったが、そこに逃げる訳にはいかない。

 黒豹は静かに立ち止まり。その身をかがめ、攻撃の姿勢をとる。

 シンは息を整えた。左右のサンダー・ナックルも傷だらけで、限界に近づいていた。

 黒豹が床を蹴った。

 上方から襲いくる、漆黒の野獣。

 ふっ。

 息を吐き出し、体を床に滑り込ませる。

 黒豹と、通路の、僅かな隙間。

 太い前足が振り下ろされる。

 身を捻り、躱す。同時に、朱色のスパークを纏わせたビーム・ソードを胴体に叩き込む。

「!」

 黒豹が、突然の衝撃に身を固くし、そのままの体勢で壁に激突した。

 最後のチャンス。

 シンは、通路の奥めがけて床を蹴った。十メートルの距離を、一気にゼロにする。

 あと一歩。非常停止ボタンまで、あと一歩。

「シンっ」

 反射的に振り向いた。

 それはユーキの悲鳴であった。

「!」

 そこには、ユーキがいた。

 そこには、キキがいなかった。

 否。

「それはキキだよっ!」

 スピーカーが叫んだ。

 変形自在。

 キキの特性を思い出した時には、もう遅かった。勢いのまま後ろに跳び下がろうとしたシンの体を、人ならぬ速さで近づいた“ユーキ”が抱きしめた。後方に伸ばした腕が、赤いボタンまであと数センチのところで、体ごと“ユーキ”に抑えられる。

「きっさまぁっ…!」

 シンが怒りを口にした。

「やめて、シン。ね、お願い」

 ユーキの顔で、ユーキの体で、ユーキの声で。キキはシンに訴えた。

 シンに加えられる力だけが、人間のものではなかった。

 ユーキの仮面をかぶった、野獣の筋力。

「きさまぁぁぁぁぁぁっ…!」

 だが、シンは、それを撥ね除けようとした。

 驚いたのは、キキの方かもしれない。豹の姿をしている時よりも、加えることのできる力は劣らざるをえない。だがそれでも、人間と比較されるような、そんな力ではないのである。

「お願い、やめて、シン」

 “ユーキ”は宇宙服姿であったが、ヘルメットは着けていなかった。透過率ほぼ百パーセントの球型ヘルメットまでは、キキといえど真似できなかったのかもしれない。

 ユーキの顔をシンに近づけ、ユーキの唇で、シンのヘルメットに口付けをした。

「お願い」

 “ユーキ”の宇宙服が、その体の中に吸い込まれていった。

 プロテクト・スーツが消えた。

 カヴァード・スーツが消えた。

 ボディ・スーツが消えた。

「お願い、シン、もうやめて」

 裸身の女神が、訴えていた。

「ぐ…う…う……」

 シンの身体に、さらに力が加わる。

「お願い」

 その言葉を言ったのは、“ユーキ”であったのか、ユーキであったのか。

 増した力に、シンは抗う。

「いやぁああああああああああああああああっ!」

 “ユーキ”と、ユーキが叫んだ。

 船体が揺れる。一回、そして二回。

「シンさん、ユーキさんがっ!」

「ユーキっ、ユーキっ!」

 クリスとナチアの声に、別の声が重なる。

「お願い、わたしを否定しないでっ!」

「お願い、わたしを否定しないでっ!」

 ユーキと“ユーキ”が叫んだ。

 船体が大きく揺れる。微かな爆発音も聞こえた。

 シンは体を捻じり、片腕を引き抜いて“ユーキ”の顔を押さえつけた。ひとつ違えば、自分の首が折れていたかもしれない。“ユーキ”の頭部を、力ずくで引き離す。

「否定しないでぇええええええっ…」

 押し離すのは、ユーキの顔。

「いやぁああああああああああああああああっ!」

 瞬間、僅かな隙間を作り、掌底を叩きつける。続けて、二撃、三撃。

 しかし“ユーキ”は離れなかった。シンの体が、宇宙服ごと、強烈な力で締めつけられる。

「いやぁああああああああああああああああああああああああああああああああああ…」

「いやぁああああああああああああああああああああああああああああああああああ…」

 二人の叫び声が、マーベリックの艦内にこだまする。

「やめてよっ、キキぃいっ」

 クリスの声が響く。

「ユーキっ、モニターを切りなさいっ。ユーキっ、ユーキっ…!」

 ナチアの声が連呼する。

 シンはユーキを叩き続けた。反動を利用して、もう片方の腕でも叩きつける。

 悲鳴はやまず、船体は傾いだ。

「キキっ、キキっ、キキぃいっ!」

 クリスが叫び続ける。

 だが、想いは届かず、ユーキと“ユーキ”の叫びはとまらない。

 裸身の少女は、シンを抱きしめたまま離れない。

「やめるんだぁああっ!」

 ひときわ大きなクリスの声が、すべての音を掻き消した。

「やめるんだぁっ、ユーキぃいいいいいいっ!」

 その瞬間、“ユーキ”の力が、抜け落ちた。

 シンは勢いをとめられず、力を抜いた“ユーキ”の顔面を殴りつけた。

 シンから離れ床にぶつかり、撥ね返る“ユーキ”。

 事態が掴めなかったが、シンはすぐに後ろを向いた。

 クリスったら…。

 背中から聞こえた。

 透明のカバーごと、赤いボタンを叩き込んだ。砕かれたカバーが空間に舞う。

 やっとその名を、呼んでくれた…。

 声にならない声に振り向くと、そこには小さな黒猫が、座った格好のまま凝固して、静かに倒れていた。

 しばし目を奪われたシンの耳に、船体の爆発音と、スピーカーからの叫び声が飛び込んできた。

「いやぁあああああああああああああああああああっ…」

 倒れたキキの横を抜けようとして、足がもつれた。

「クリス、ワープに入れっ」

「はいっ!」

 体力など、すでに残っていなかった。

「ナチア、ユーキのドアを強制排除っ」

「わかりましたわっ」

 膝をつき、そのまま床に倒れる。

「シンさんっ、ワープ移行まで二十秒っ、急いで何かに掴まってっ!」

 悲鳴は続いていた。

「構うな。ナチア、ユーキを頼む」

「お任せをっ」

 返答を確認し、シンは、目の前の黒猫の前足を握った。小さいが、自分よりは重い。どう繋がっているのか分からなかったが、床に固定されているかのように動かない。

 口の中は鉄の味。

「ワープだ、クリス…」

「はいっ!」

 黒い猫を載せた白い機体は、急加速で、空間を切り裂いていった。

続く

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