第八話「模擬」
ユーキは呆然として、喜びの奇声を聞いていた。
「よーし、やるぞ! やる気がでてきた! シン、指示を頼むぜっ!」
シンの名を聞いて、ユーキの頭が現実に戻る。
そうだ、シンならば。
ボーイを抑えてくれる。
そう思ったユーキの希望は、続くシンの返答で、もろくも崩れ去る。
「了解した。せいぜい努力しよう」
声が笑っていた。
ユーキの中に、小さな怒りが芽生えた。
だが、ユーキの怒りが育つよりも早く、もう一人の怒りが爆発した。
「少尉っ、ボーイっ、あなた方、なにを考えていますのっ!」
ナチアである。
「どーした、ナチア?」
浮かれた声が、返答する。
「どうしたもこうしたもありませんわ。どうして、この状況で浮かれてますのっ」
「今、浮かれないで、いつ浮かれるんだ。あ、デートが確定した時かぁ」
ボーイは、ナチアの怒りを意に介さない。
まいったね、こりゃ。などと呟いていた。
「少尉。笑ってないで、なにか言ったらどうですの」
ボーイでは話にならないと判断して、ナチアが矛先を変える。
「どうした、ナチア。何か問題があるのか?」
シンの言葉に、ナチアが詰まる。
問題はある。あるが、それを認めてしまうのは、プライドが許さない。
「ナチア、それにユーキ」
シンの声から、笑いの成分が消える。
「なんですの?」
「はい…」
「勝てないと思うか? 現状はそれ程に悪いのか? 一般的にではなく、この、俺達にとってだ」
ナチアもユーキも、即座に答えられない。
「ヘブン着任から今まで、どんな逆境にも耐えられるよう、訓練をしてきた筈だ。それでも勝てないと、本当に思うのか?」
四対一で教官に勝てないと思うのか。
「…いいえ、思わない」
「…勝てますわよ」
二人の回答に満足してか、シンが穏やかに言葉をかける。
「そういう事だ」
ユーキは赤面した。久しぶりの実機演習で、平常心を失っていた自分が恥ずかしかった。
ナチアは奥歯を噛んだ。初めての実機演習で、冷静さを失っていた自分が悔しかった。
自分達に比べ、シンとボーイの余裕はどういうことだ。
今まで、四人は同格だと思っていた。それぞれに得手はあっても、格差という程のものはない。そう、思っていたのに。
「そういうことだぜぇ」
「あなたに言われたくありませんわっ」
「おっ、調子出てきたじゃないか」
ボーイの余裕が、ナチアには口惜しい。これが経験の差なのか。
「ユーキ、ナチア、ボーイ」
シンの声が、三人のヘルメットの中に響く。
「はい」
「なんですの?」
「おう」
三者三様の答えが返り、シンが話しはじめる。
「これは、チーム・マーベリック初の共同作戦だ。模擬戦とはいえ、負けるわけにはいかないだろう」
シンの言葉に、三人は頷く。
意見は完全に一致する。負けるわけにはいかない。
「教官には悪いが、全力で敵機を撃墜する」
悪いとは思わないですけど。
ナチアは心の中で反論するが、口には出さない。
「全機、加速準備。天頂固定。レーダー全面展開。第一種臨戦態勢へ移行」
シンの、ユーキの、ナチアの、そしてボーイの機体が戦闘態勢に入る。
真っ先に、天頂及び正面の方位設定が行われる。シンの機体を基準として、直上方向が天頂に、船首方向が正面として各機に認識される。以降、シンの機体を含めて、各機がどのように動こうとも、航空管制はこの天頂設定が基準となる。
「コンソール・クラス、BおよびGを開放」
四機のレーダーとフォーカスの演算処理が共通化される。
「ユーキは火器、ナチアは航空管制の演算処理を担当」
「了解」
「わかりましたわ」
「ボーイは全チャンネル、独立閉鎖の用意をしておけ」
「オーライ」
「全機、コン・シールド展開。レーザー、スタンバイ。加速と同時に最大戦速に移行、攻撃を開始する」
四つの機体がレーダー撹乱用のシールドに包まれ、一瞬、蜃気楼のように姿を揺らす。
「少尉、リュゼ重力圏、離脱ポイントに到達しますわ。…あと、五秒」
短いカウント・ダウンが進む。
「二、…一、…」
シンが静かに宣言する。
「攻撃、開始」
ヘレンは、四人の到着を待っていた。
惑星マギスタンから、僅かに離れたポイントである。
メイン・スクリーンには、リュゼを従えたマギスタンの姿が拡大表示されており、その後方には、無限の星空が続いている。
すでに機体は戦闘態勢を整え、レーダーは「敵機」の存在を示していた。
ヘレンとて、四人の実力を低く見ているつもりはない。この三週間、彼らを指導してきたのは、他ならぬヘレンである。
宇宙でも最高の四人だ。そう思っている。
自分と、あと少しで到着するもう一人を合わせれば、最高の六人になる。偶然などではない。そういった人間を選抜したのだ。そのために、あらゆる手段を講じたのだ。
だからといって今回、負けてやるつもりはない。
ヘレンの分析では、自分と四人の機体の性能差は、五対一を超える。つまり、操縦者の技量が同じであれば、ヘレンの一機に対して、四機では勝てない計算になる。そしてヘレンは、自分のパイロットとしての腕が四人に劣っているとは、思っていなかった。四人がヘレンに勝てるとすれば、虚を突く作戦と、完璧な連携が必須条件であった。当然ではあるが、戦術コンピュータに頼っていては、奇跡は起こせない。
どのくらい、楽しませてくれるのか。
四つの機体が目前に迫っていた。あと少しで、スクリーン上に機影が描かれる筈であった。無論、実際に見えるわけではない。広大な宇宙の中で、高速で動く戦闘機など、肉眼で見えはしない。たとえそれが戦艦や空母でも、かわりはない。超高感度のレーダーが捕らえたエネルギー・グラフが、三次元映像にデータ変換され、拡大されてスクリーン上に描かれるのである。
ふふ。
心の中で笑う。
スクリーン上に、ひとつ目の光点が表示された。
さあ、やりますよ。
機体が、ゆっくりと加速を強めた。
最初に射程距離に入ってきたのは、ボーイの機体であった。
方位は、0‐9・0‐0。
より正確に記すならば、0‐9‐0・0‐0‐1。つまり、天頂から数えた仰角が九十度、正面から時計回りに方位角が一度である。ヘレンの機体がここまで正面にしか飛行していない以上、ほぼ真正面にあたる。
明らかに囮。
機体に性能差がある以上、一対一では勝負にならない。
本命は、続く三機。ヘレンはそう判断した。とはいえ、目の前の機体を逃すこともない。続く三機がいまだ有効射程距離圏内に入ってこない以上、各個撃破は戦闘のセオリーである。
ボーイの機体が迫ってくる。
互いに、まだ撃たない。両機とも、すでに照準レーダー撹乱用のコン・シールドを展開している。光学・電磁障害と重力バリアによる妨害フィールドの影響を逆算し、照準を正確に合わせなければ、レーザーは当たらない。
「!」
しかし突然、スクリーンは白色に輝き、レーザーが側面を通過したことを知らせる。
少し驚いた。そして即座に理解する。
モードD‐Ⅱの模擬戦闘においては、レーザーが掠っただけでも、当たった、と判断され撃墜のマークがつく。その際、ダメージなどは評価されない。
どうせ性能差があるのならば、数を撃って、ひとつでも掠らせようというのである。レーザーも最大限に角度を広げれば、当たる確率は上がる。
小細工ですね。
ヘレンは苦笑する。
モードをD‐Ⅱに設定したのは、あまり多くの演算能力を模擬戦のシミュレーションに割いてしまうと、実際に必要な、航行や照準調整等の演算に支障が出てしまうからである。ヘレンの機体ならばともかく、四人の機体では、その支障は致命的なものとなりかねない。
ヘレンの配慮が、逆手にとられたのである。
悔しさはない。むしろ、戦いの入り方として悪くない。
経緯はどうあれ、ボーイの提案によって、この模擬戦は真剣勝負になった。ならば、どんな手を使っても勝つべきなのだ。双方が許容する最低限のルールはあるにせよ、戦争とは、そういうものだと理解している。
気を取り直し、ヘレンもレーザーの角度を広げて反撃を開始する。できる限り相手のコン・シールドを逆算解除して、ボーイの機体へと攻撃を加える。
今回のルールは、モードD‐Ⅱ。それ以外はフリー・ハンドのノー・ルール。
一撃を、当てた方が勝つ。
模擬戦とはいえ、緊迫した戦いが繰り広げられた。
だがそれも、長い時間ではなかった。
そうきますか!
機体を急旋回させる。それまで機体が存在した空間を、三方からレーザーが通過する。
際どいタイミングであった。ボーイの機体に気を取られていた。いつのまにか残る三機に、両側面と、直上を押さえられていた。三方向からのレーダーを統合処理すると、遠方からでも、ターゲットの位置を正確に把握することが可能になるのである。
実戦でも有効な手段であり、正攻法で落とされるところであった。
さすがですね。
相手を褒める余裕は、まだある。
解析された自機のコン・シールドの再設定を行いながら、三方から迫る機体への応戦を試みる。しかしながら、崩れた体制からのレーザーが簡単に当たる筈もない。ましてや、相手のコン・シールドの逆算も済んでいない。
そうして、ヘレンの攻撃は当たらず、三機の攻撃もヘレンの機体のすぐ横を通過していった。もし、シン達の機体が、あと少し高性能であれば、ここで決着がついていたかもしれなかった。
残念でしたね。
三機の包囲網を突破し、レーダーを見直す。
「…!」
眼前に一機が現われた。ボーイの機体である。ヘレンの回避方向を、予め知っていたとしか思えない待ち伏せである。
それでも攻撃を回避したのは、ヘレンの反射神経と、操縦技術の高さ故であった。
よい連携です…。シンですね。
ヘレンの推測は当たっていた。他の三機に指示を与えているのは、他ならぬ黒髪の青年であった。
恐ろしい子。
普段のシンは、真面目な努力家である。チームの中でも優秀な能力を持ちながら、訓練には率先して取り組む。その一方で、必要と判断した時には、規則や常識を逸脱するのに躊躇をしない。結果として癖のある三人を纏める統率力が、何よりも驚異である。敵にはまわしたくない人物であり、そして今、シンはヘレンの敵であった。
ボーイの攻撃をかろうじて回避したヘレンを待っていたのは、ボーイの機体を除いた三機による、完全同期攻撃であった。
これには、さすがのヘレンも舌を巻いた。
まさか、ここまでするとは、予想していなかった。
完全同期攻撃とは、ある特定の一機に合わせて複数の機体が追随し、あたかも全体で一機の戦闘機であるかのような連携をとって、攻撃を行うことである。これにより、リーダーの機体以外は操縦の必要性が薄れるため、レーダーや照準合わせなど、特定の演算処理に集中できるというメリットが生まれる。攻撃力が倍増することに関しては、言うまでもない。
だがその一方で、旋回運動性能の低下という、大きすぎるデメリットが発生する。これを嫌い、小回りの性能を上げようと機体間の距離を縮めると、ミサイルのような範囲型の攻撃による、被弾面積が広がってしまう。また、一機が攻撃を受けると、他の機体に対して、誘爆やレーダー障害を起こす可能性が高くなる。したがって、この戦法が実戦で使用されるのは、玉砕覚悟の特攻の時くらいであった。当然、ヘレンも行なったことはなく、マニュアルの片隅に載る程度の戦法であった。だからこそ、予想ができなかったのである。
しかしながらこの戦法は、大きな威力を発してヘレンを追いつめていった。実際に攻撃されてからヘレンも気付いたが、モードD‐Ⅱの模擬戦に限っては、この戦法のデメリットが、ほぼ完璧に消えるのである。
モードD‐Ⅱでは、ミサイルを使用しない。また、レーザーを当てられた機体は「消滅」したと見なされるため、僚機が「誘爆」を起こすような認識もなされない。シン達は、それらをいいことに、機体間の距離を縮め、旋回性能の低下を防いでしまったのである。
襲いくる三機に追われながら、ヘレンは敗北を覚悟した。
機体の性能差は「欠点の無い完全同期攻撃」が採用された時点で、消え失せた。そうなれば、ボーイという遊撃部隊のいる四人が優位に立つのは、必然である。
さらにシンの怖いところは、ヘレンに勝利することを前提として、ボーイとの約束を守らせようとしている点にあった。
これまでの戦法において、一貫してボーイを独立的に動かし、最後に倒すのは、ボーイに任せようとしているのである。逆に言えば、ボーイに殊勲をとらせようと、作戦立案した節が窺える。
現にヘレンは、シン達の三機に動きを抑えられて、横からのボーイの攻撃を避けるのが次第に困難になっていた。
ボーイの機体を襲えば、後方から残る三機に襲われる。
シン達の三機と戦えば、側面から残るボーイ機に狙われる。
最初に決めた制限時間まで、残り約三分。このままでは逃げきれない。ヘレンは選択を迫られていた。
そして、ヘレンは決断する。
ボーイを倒す。
一対一ならば、ボーイ機には負けない。それは確信できる。
残りの三機も、いくら近接して飛んでいようと、単独一機の場合に比べれば、小回りの性能は落ちざるをえない。引き離すチャンスはある。その一瞬のチャンスに、ボーイを倒す。そこまでいけば、もはや時間がなくなる筈である。完勝を手にすることはできないが、辛勝程度にはなる。
決断を下したヘレンは、縦横無尽に機体を操り、シン達の三機を引き離しにかかった。
三機も必死に追うが、やはり小回りに差がでる。
…今!
残り時間一分を切った時、ヘレンは、その瞬間を手に入れた。
急旋回で三機を引き離す。
同時に、前方にボーイの機体を捕らえる。
最大戦速に加速し、機体の全演算能力を駆使して、ボーイ機のコン・シールドを逆算解除する。
いくつもの光の束が機体の横を通過する。その内の、ひとつでも当たれば、敗北が決定する。
額に汗が流れる。
残り時間は、三十秒を切っていた。
ボーイの機体がスクリーン上に拡大する。
近づく。
そして、交差。
すれ違うと同時に、レーダーにヒット・マークが点灯する。
やった。
ボーイの機体を撃墜したのである。
ヘレンの心を、満足感が包み込む。近年、味わったことのない充実感。実戦ですら得るのは難しいかもしれない。それほどに部下達の攻撃は厳しかった。
けれど次の瞬間。スクリーンが白色に輝き、レーダーの中央にヒット・マークがひとつ増えた。
まさか。ありえない。三機は引き離した筈であった。
けれどレーダー上で、三機はもはや、完全同期攻撃の態勢をとっていなかった。
一機が後方。一機が側面。一機が直上。
三方向からの位置演算と、コン・シールド解除。そして、一斉射撃。
セオリーどおりの攻撃であった。
振り切られたあと、シン達は分離し、失われた機動力を取り戻していた。そうして、ボーイ機を囮にして、最後の攻撃を仕掛けたのである。
最初から最後まで、裏をかかれた。
ヘレンは天を仰いだ。
無限なる星々の光が、ヘレンを包み込む。
まいった。
思わず、笑みがこぼれた。
残り時間は、四秒でとまっている。
スクリーンの一個所で赤い光が点滅し、通信が入っていることをヘレンに教えてくれる。
チームへの評価が、また一つ上がった。
まいりましたよ。
赤い光点に向けて、ヘレンはぽつりと呟いた。
喜ばしい。これで、明日からの訓練は、さらに強度を上げられる。
<次回予告>
ボーイは、酒を呷っていた。
自棄酒であった。
ボーイとシンの部屋の中。まわりには、いつもの三人がいた。
次回マーベリック
第二章 第九話「自棄」
「なあ、そうだろ、ひでえよなあ」