90話-イノ家の洗礼
残りの長期休暇の間、イノ家に滞在することがなし崩しに決まりました。リーリエは立ち直ったように見えますが、心配だったのもあります。
そんな考えがあったにもかかわらず、すっかりこの生活を堪能している私でした。
ローウェンの屋敷はあくまで騎士の駐屯所だったため、華やかさはほとんどありませんでしたが、ここでは別でした。
料理は量こそ一般的なものに戻りましたが、豪華で高級な品々ばかりでした。調理も抜群です。服も日中は煌びやかなドレスで、夜ですら可愛らしいヒラヒラしたものを着せてもらいました。常に運動着の私では考えられない世界です。
物語に出てくるお姫様の生活を体験しいたのでした。
そんな生活が3日過ぎ、そろそろ慣れてきます。初日はリーリエの部屋で寝ましたが、それ以降は客室を用意され、そこで寝起きしていました。
朝目覚めると、既に着替えが用意してあり、それに袖を通します。
毎日違う服で、今日のものは白の生地に涼やかな青い刺繍が施されたドレスでした。夏物ということで、肩と背中が露出するようになっています。
普段着慣れないものなので、きちんと着れているか確認するために、鏡の前で一回りします。服と共に、髪も舞います。高価な洗髪剤を使っているせいか、髪は見違えるほど艶やかでいい香りがしました。肌もツルツルでつい撫でてしまう癖がつきそうなくらいです。
「またやってしまいました」
鏡の中の私は赤くなりました。着飾った自分がちょっといいかも、と思っている事が恥ずかしてたまらないのに、毎日こうして見惚れてしまうのです。
部屋から出て、私は食堂に入り、すぐに挨拶します。
「おはようございます」
「可愛いわ」
「可愛いな」
「可愛いわね」
既に食堂に集まっていたフィル様、フィオーレ様、ジョゼットさんが順々に私を褒めます。これが彼女らの朝の挨拶でした。
「やっぱり、セネカはこういう爽やかな服が似合うわね。私の見立て通りよ」
自慢げな顔をして、ジョゼットさんが言いました。イノ家の滞在中の私の衣類は、フィル様、フィオーレ様、ジョゼットさんの順番で用意してくださっています。なので、明日はフィル様が選んだ服を着ることになっていました。
リーリエを除いたイノ家の人々は、服が大好きで、私に何を着せるかで小一時間話潰したほどです。
そうも白熱されると気恥ずかしいのですが、嬉しくもあります。私は服に頓着していませんでしたが、それは剣に集中するためであったようです。現にこうした可愛らしい服を着るのが楽しいのですから。
この気持ちを全て口にすれば、当分彼女らの顔を直視できそうにないので、感謝の言葉だけ発することにします。
「ありがとうございます。とても涼しくて、可愛らしいので私も好きですよ」
「へえ、セネカはそういう露出が多い服が好きなのか」
「そういうわけではないですよ、フィオーレ様」
私は慌てて否定しました。可愛らしい服を着ることは好きでも、肌を出すのにはまだ抵抗があったからです。
「フィオーレはそういう所が抜けているのよ。セネカちゃんは恥ずかしがり屋なの。ちょっと大胆なのを着ると、赤くなっちゃうのよね?」
フィル様はそう言って席を立ち、私の元にやってこちらの頬に手を置き、
「ほら、見てみなさい。こんなに赤くなって。可愛いんだから」
と呟き、私の肩に唇を軽くつけました。
「お母様はほんと、セネカを気に入っているなあ」
「お姉様、他人事のように仰っていますが、私の気のせいでしょうか?」
「失礼、お母様も、だったね」
フフフ、と口を抑えて笑う姉妹に私は助けを求めるのを諦めました。
服や生活に加え、このような美しい家族に、少しいかがわしいような気のする触れ合いをされると、本当に夢の話のような気がします。
ちょっとしたことで触ってきますし、その時の表情がカッコ良かったり、一生懸命だったりして、毎回ドギマギされるのでした。
というか、この夢の登場人物が魅力的すぎるのがいけないのです。私がおかしくなりそうなのはむしろ正常のことでしょう。
「これが正解だよ」
突然、脇腹をつつかれ、私は椅子から飛び退き、こけてしまいます。何があったのか、と混乱しているとフィオーレ様がニコニコしながら手を貸してくれました。
「ごめんよ、セネカ。でも、君が悪いんだぜ? 考え事に耽ったりしちゃうから」
「ああ、ごめんなさい」
頭の中がゴタゴタしていましたが、とりあえず謝ります。その時、リーリエが視界に入りました。
食堂に彼女が来たことに気づいていなかったので、相当深く考え込んでいたようです。内容はお粗末なものでしたが。
照れ笑いを浮かべていると、リーリエがこう言いました。
「本当に聞いていなかったんだね、セネカ」
「はい。何の話をしていたんですか?」
「お母様とお姉様が、セネカのどこが可愛いかって話をしてたんだ」
やれやれ、といった口調でリーリエが声にしました。そこには、申し訳ない、という気持ちも含まれているようでした。彼女では、イノ家の方々の暴走を止められないのです。