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第一人者  作者: 近衛 キイチ
第二章
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逃亡

 四十日の行程を想定して計算する。

 一日に必要な小麦の値段は銅貨二枚。

 馬一頭の値段は小銀貨千枚か同数の黄銅貨。

 馬の食糧は小麦の半分の値段で買える大麦をこれに充ておき。

 関所を通る際の税は一人当たり銅貨二枚から四枚。

 賄賂として一つの関所に付き小銀貨一枚から三枚。

 乗船には大銀貨二枚から十枚。

 オスロ到着後の生活ために、一年分の生活費が必要と見るが、それでもオスロの物価は高い考え、大陸に在る都市よりも倍は有ると見ておかなければならないか……


 外の世界を夢見ていたアンネリーゼだが、彼女はやはりお姫様、路銀として準備していたのは、金貨と大銀貨のみだった。それもそのはず、彼女は城下に買い物に出る事はなく、城に来る商人から物を買うばかりで、大銀貨以下の額が必要な場合がないので、日常品の購入に使われる小銀貨や黄銅貨及び銅貨の存在を殆ど認識していなかった。


 アンネリーゼが元々用意していた金貨や大銀貨に加えて、城に出入りする農民や使用人との取引で小銀貨と黄銅貨を及び銅貨を集める。関所や換金の際に宝石類は、見る人が見れば直ぐに王族の物と気付かれるし、換金するだけの金を持っている人は、無法者と役人の双方に繋がっているで、彼らの興味を引く事は避けなければならない、なのでアンネリーゼが指に填めている一つのみであとの物は置いて行く。


 お金に変えられる物として、刺繍が入った軽い織物を三十枚、両手に収まる程度の物でもそれなりの値段で売れるはず、それから入手に手間取ったが馬具を二式、その他には短剣や火おこしと調理の道具、アンネリーゼは使い慣れた針に加えて、何種類かの糸と布を持って行く。


 手に入れるのに最も苦労すると思われた、ヴェツアーク国内の地図だったが、これはアンネリーゼが執務室にから持ち出す事に成功しており、何とか記憶する事ができた。キュキュンベル伯の領内を通る事になるのだが、それは問題ない。

 今よりも幼い頃、キュキュンベル伯の許まで旅した際、戦略の基本として、主要都市の名前や要塞の場所に加えて、その道順を記憶させられたからだ。


 ヴェツアークの外に出る事ができれば、ジョルジュによる追跡は殆ど不可能となるはず、一番の不安は、ランツの知識が歴史的なことばかりに集中し、その国内の地理に疎いことだ。

 商人や旅芸人と共に行動すれば良いが、無法者と繋がっている案内人に当たった場合、とんでもない目に遭う可能性がある。




 小分けにした荷物を脱出口まで持って行くのに数日を費やし、逃避行を決めた日より三十日後の夜、ジョルジュがマニシッサ河へ向かった日を狙う、城自体が解放された様な雰囲気が漂う、宮廷の役人や騎士や半数が王と共に旅立つので警備が緩くなるからだ。


 彼女の部屋に在る脱出用の通路を通る、出口は外に通じておらず庭園に在る彫像の後ろに出るだけだ、予めカンヌキを外しておいた鎧窓を開け、半年前まで自分が寝泊まりしていた給仕達の居住区に入る。

 城主の命を護る重要な脱出口なのに、城主や騎士も来ない使用人達が使う場所にあるのかといえば、長い年月使われずにいる内に、増築と改築が繰り返され、その存在を皆が忘れてしまったのではないかと思う。


 アンネリーゼは階段の前で立ち止まる、たかが六段しかない階段だが、そこから降れば使用人の居住区になる、彼女は使用人の場所に入る事を躊躇している、自分には良く解らないが、恐怖と戦う様な表情をしている、そこまでの事なのか疑問に思うが、ここで時間を取られる訳にはいかない。

「キミが今から行く世界では、キミの事をお姫様なんて思う人もいなければ、そんな風に呼んでくれる人もいない、あの場所に向かうまでの十数日か数十日の間、暖かい寝具の中で眠る暇もなく、追手の足音に恐怖する事になるんだ、それを理解しての決意ではないのか」

 自分の言葉に頷き、彼女は一歩を踏み出す。


 貯水池に繋がる石段の前、牢に閉じ込められている給仕の叫び声が時折聞こえて来る。足音が響かない様に裸足なり、蝋燭に火を点けて石段を下りる、狭いながらも大理石の壁は良く研磨され火の明かりに濡れた様に輝く、石段の縁は使い込まれて丸みを帯びているが、足元がふら付くような凹凸はない。


 長く続く石の階段を下り切った所で、水の流れる音が聞こえて来る、そこは蝋燭の明かりでは全体を見通すことができず、横も縦もどの位の広さがあるか解らない、蝋燭の火を松明に移す、油を浸み込ませた松明は黒い煙を上げながら燃える。

 高く切り揃えられた石材を組み合わせた幾つもの柱、上を見ると大きな梁が何本も見えるが天井はやはり見えず、今まで下りて来た石段の数以上に高さがある様に感じる、壁一面には恐ろしい顔をした魔獣の顔が彫られており、こちらを睨んでいる者もいれば泣いている者もいる、現在の彫刻ではこんなに細部まで造り込まれた像はない、何度見てもこれらを日中見ることが出来たらどんなにすばらしい光景だろうと想像せずにはいられなかった。


 レムリア王国の技術は大抵が失われている、残っている物も頑丈で強固なものだから残っているだけで、どうやって造られたか解らない物が多い、巨大な石をどうやって運んだのかも謎のままだ、レムリニアスの死後、息子達と将軍により分割された国は長い年月を掛けて細分化され、その過程で多くの技術が失われた、超技術を持つ国同士が数百年も内乱に明け暮れたのだから残るものも少ないだろう。かつて教わった大人達が、そんなことを言っていたのを思い出す。


 壁際を通る足場の上をアンネリーゼと歩く、そして大きな口を開けた目と顔が彫られた魔獣の顔が床に三ヶ所あり、その口から溢れた水が外の川に流れる仕組みになっているのだ、しかしここが脱出口ではない、その口に耳をかざせば空気が抜ける音がするので、確かに外に繋がっていると確認できるが、その穴の大きさは人が通るには余りにも小さい。


「ここを通るの、無理だよ、途中で身動きが取れなくなるよ」

 何も聞かされていないアンネリーゼは、排水口の小ささを見て驚く。

 一方の自分には、鮮明に脱出路の扉が見えているのだが、やはり彼女には見えていない、恐らくこの城が造られてから随分と長い期間、自分以外にはあの扉が見えていなかったのだろう、確実に外に出る事のできる扉が在るこの貯水池に、一切の鍵が付けられていないのがその証拠だ。


『キンナールの血に連なる者以外の使用を禁じる』


 続く足場の先端、貯水池の一番奥にある石造りの扉、その中央に刻まれた古代レムリア文字により、人々はこの扉が見えているのにも関わらずその存在を認識できない。

 おとぎ話として、かつてレムリニアスが魔王と戦った際に使ったという魔法、彼が言葉を発するだけで炎と風が生じた、その子孫である諸国の王達の祖先も不思議な力を使えたらしいのだが、今現在この力を実際に使えるのはライオネルのみだろう。


 眼前に有る扉を発見した事で、自分にも何らかの特殊な力が有る事を知ったが、自分には効力を付けたり消したりする能力はない、方法や技術を知れば誰でも使えるものかもしれないが、先生達の誰一人としてそんな話をしなかったから、すでに失われた技術なのだろう。そんな風に思っておこう、深く考えたくはない、自分は特別ではない、何処にでもいる子供だ、今までも使用人の何人かがここを抜けて逃げ出していたに違いない。


 深呼吸をして扉の方に歩き出す、自分が行き止まりに向かって進む事に疑問を持つアンネリーゼの視線を背に感じながら、その扉に肩を押し当て力の限り踏ん張り扉を開くと、アンネリーゼから驚きの声が漏れる、やはり彼女にはこの扉が見えていなかったのだ。


「どうする、これは賢く生きようとしている者や後から考えれば愚かな行いかもしれない、今なら引き返せるけど」

 扉に手を当てたまま振り返りアンネリーゼに言う、目と口を大きく開けていた彼女だが、直ぐに自分が言いたいことを理解し応える。

「行こう、今は取りあえず進まないと、時には愚かに生きるのも悪くないかもよ」

 松明の揺れる炎に照らされる彼女の顔は、とても自信に満ちていた。

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