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2.4 ここだけの秘密だよ

 今年のGWは平日が飛び石のように混在している。


 俺はその一日を利用して地元の病院を訪れた。どこの病院でもそうだと思うが、診察は平日にしか行われないので、こうして遠く離れた土地に暮らす今は通うだけでも大変な重労働だ。大学のほうは飛び石を無視した八連休に突入しているため、今回は好都合な状況にある。


 願い事をかなえるのは結局は自分自身だ。俺はそう悟っている。


 なぜかって?


 神も仏も親も他人も、俺の心からの願いをかなえてくれたことなど一度もないからだ。魔法を使える誰かがそっと願いをかなえてくれるなんて、そんな甘くて優しい世界は現実にはどこにもない。


 だから病院を訪れている今、俺は自分のために行動を起こすことにした。


 この日も老年の主治医からは分かりきった説明を受け、形だけの定期検診は何の感慨もなく終了した。服を整えながら、カルテに何やら書きこむこの主治医に俺は質問をした。


「先生、俺が小六のときにここに入院していたとき、同じ病気で同い年のヨウっていう奴がいたと思うんだけど」


 おや、という顔をして主治医がその目を俺に向けた。どうして今さら、とその素直な目が俺に語りかけてくる。人は目で語る生き物だというのは本当だ。


 だから俺は正直に答えた。人は正直を好む生き物だし、この主治医が素直な患者を好むことは長いつきあいでよく分かっている。


 そう、相手を知るということは大切なことなのだ。


 なのに俺はこれまで失態を犯していた。


 俺はヨウのことをほとんど知らない。


 あれだけくだらないことばかりを語り合っていたというのに、ヨウが自分に関わることをあまり語っていないことに今さらながら気づいたのだ。


「実は俺、ヨウとメール交換をしているんです」


「へえ、メール? そんなに君たち仲がよかったんだ」


 いい反応だった。君たち、ということは、この先生は俺とヨウ、両方のことを知っているということだ。だがそれは想定の範囲内。この病院に入院していて同じ病気だったということは、この権威ある先生を主治医としていることと同義だからだ。


「はい、今も仲良くしているんですよ。でも俺、最近パソコンを壊しちゃって、ヨウのメールアドレスが分からなくなっちゃったんです。住所とか電話番号とかも全部パソコンの中で。だから先生、ヨウの住所教えてくれませんか。手紙を書いて状況を連絡してやらないと、ヨウの奴、俺からのメールが来ないって心配になると思うから」


 案の定、主治医は思案する顔をした。それも当然、個人情報を簡単に開示するほうがおかしい。だけど主治医は俺のまっすぐな嘘偽りのなさそうな瞳にあてられて、結局は住所を教えてくれた。


 先生、人は目で語る生き物だけど、それが本当のこととは限らないよ。


 そう言う代わりに俺は頭を下げ、そして口止めをした。


「先生、このことはヨウには秘密ね。突然アナログな手紙が届いたほうが驚くしさ、俺がヨウと仲がいいこともここだけの秘密だよ」


 そしてもう一つ口止めをした。


「それと先生、ヨウには俺の……は絶対言わないでね」


 そのときの主治医の瞳は、たぶん本心を語っていた。


 先生、本当のことを知るのは辛いよね。


 だから俺はあの日、彼女に何も言えなかったんだ。


 そう思うんだ。



 *


 

 俺は病院を出ると、その足でヨウの実家へと向かった。


 岐阜県に住んでいると聞いていたが、主治医に教えてもらった住所は静岡県だった。近いようでいて遠い、似ているようで似ていない。


 電車に揺られ、窓から外の景色を眺めていたら、とたんにむなしくなってきた。


 ヨウ、お前は俺に嘘をついていたのか。


 俺はお前に何一つ嘘なんてついていないのに――。


 目的の駅に着き、バスに揺られて、歩いて、とうとうヨウの家の前に着いて、しかしそこで動けなくなってしまった。呼び出しのためのチャイムを押す、その一動作がどうしてもできず、俺は――。


 気づけば俺はバス停まで戻り、すぐ近くのコンビニに入っていた。


 挙動不審なまま知らない家の前で立ち続けるのは居心地悪く、かといってヨウに会うことをあきらめることもできない。だからコンビニに入ったのだ。


 だけどここにずっといるわけにもいかない。読みたくもない雑誌をぱらぱらとめくりながら、ガラスごしに外を見たり手元を見たりを繰り返す。そうしているうちに、このコンビニから見えるバス停には、けっこうな頻度でバスが入ったり出たりを繰り返していく。それは時が刻まれ過ぎ行くことを痛感させた。


 三冊の雑誌を読んだところで、俺はこの場にとどまることの限界を感じた。


 雑誌はどれも面白くないし、店員があからさまに俺のことを邪険に見やっている。


 壁時計を見上げる。日帰りで大学のある街に戻るためにはそろそろ決断しなくてはならなかった。タイムリミットだ。


 もう一度家まで行ってみるか、このまま引き返すか。


 手にしていた雑誌を棚に戻したところで、また新しいバスがやってきた。停車したバスの向こう、一人が降り、数人が乗りこんだことが、車体に隠れていない足だけで分かる。 


 いかにも環境に悪そうな黒い排気ガスを威勢よくまき散らすと、物憂げにバスが動きだし、おっとりと走り出した。車体が消え、その場にいた人物の姿がはっきりと見え――。


 俺は目を疑った。


 思わず何度か瞬きし、よくよくその人物を見た。


 けれど何をどうしても、その人物は俺のよく知っている人だった。



 *



 ここまで説明すれば大方のことは予想できるだろう。


 ほとんど知り合いのいない俺がその姿を見て驚いたのだ。であれば結末は簡単に予想がつく。


 そう、そこにいたのは彼女――木下さんだった。


「あっ」小さく声が漏れた。


 さっき訪ねたヨウの家、表札に「木下」と書いてあったではないか。


 彼女は俺がすぐそばのコンビニにいることなどまったく気づかず、すでに通りを歩き出している。その方向にはもちろんヨウの家がある。


 次に起こることの結末も予想できていたが、それでもこの目で確かめるべく、コンビニを出てそっと彼女の追跡する。人には頭で分かっていても確かめたくなることがあるものなのだ。たとえそれでどれだけ衝撃を受けようとも――。


 つかず離れずの距離を保ち、俺は彼女の後を追った。行先は分かっているから見失うことなどない。


 彼女は慣れた足取りで通りを進んでいき、そしてその家へと自然と入っていった。ドアを開け、「ただいまー」そう言った彼女の声は近しい人、そう、肉親に対する気楽さで彩られていた。ドアが閉まる間際、親らしき人の声が聞こえた。


「おかえり、ヨウコ……」


 ぱたん、とドアが閉じられた。

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