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1.5 明日……楽しみだね

 高揚感と胸の高鳴りとを持て余しながらも二人顔を突きつけて話し合った結果、今年、俺は彼女と同じ授業をとることにした。


 さっそく、この四月は充実した一か月となった。


 第二外国語はドイツ語にした。なぜドイツ語にしたのか、それには特に意味はない。俺はなんでもよかった。彼女が「ドイツ語がいいかな」というのでそれに合わせたというのが正直なところだ。


 大学内の生協でおそろいのドイツ語の辞書を買った。併設の図書館で二人で宿題に取り組んだ。英語以外の外国語は難解だったが、協力して教科書の一節を読解できたときはうれしさのあまり、どちらからともなく声をあげてハイタッチをしていた。その後周囲から白い目で見られてこそこそと図書館をあとにしたけれど、奇妙な背徳感が心地よかった。


 体育は陸上を選択した。陸上とは名ばかりの学内のコースをマイペースに走ればいいだけの気楽な授業だ。ぜんぜん辛くない。俺は彼女と春の風を感じながら走るこの時間が好きになった。たぶん季節が夏や秋にかわっても、冬になろうとも、嫌いになるなんてことはないだろう。


 ほかにも必須科目や自由科目で、俺は彼女の隣に常に座った。教室の移動もランチも登下校も、ほとんどの時間を俺は彼女とともに過ごした。


 五月に向けて着々と気温は上昇していく。


 俺の熱情も上昇傾向にある。


「なあなあ、GWに映画に誘ってもいいかなあ」


 俺は今日もヨウとチャットで語り合う。


 彼女ともこのチャットツールは使うが、まだ少し他人行儀なものだった。もちろん俺はそれだけでも十分満足している。今までの人生において零だったことに一点でも加点されれば、それに満足せずしてどうするというのだ。俺は基本的には謙虚な男なのだ。人は謙虚であるに越したことはない。


 だが、いくら謙虚だとはいえ、俺も立派なホモサピエンスであり、単純な生き物である。つまり、はっきりいえば、できることなら――ここらで彼女との関係を進めたい、そう思うようになっていた。人である前に一人の男なのだから仕方ない。


 するすると画面最下部にヨウからの返答が表示された。こいつは相変わらず返信が早い。


『お、とうとうデートか』


「デートっていうか、見たい映画があるから」

「それだけだから」


 俺の照れ隠しなど、ヨウには何の効果もない。今、俺のことを誰よりも理解しているのはこの男なのだ。


『はいはい』

『その見たい映画のチケットは「偶然」手に入ったものなのか?』


 よく分かっている。さすがは俺の相棒といったところか。


「そういう設定にしようと思って」

「今日買ってきた」


 これに対して、ぷぷっと吹き出すキャラクターのスタンプが画面上に浮かび上がった。続けて、


『ベタだね(笑)』


とこれまた人を小馬鹿にしたような一言が返ってきた。


「うっせえ」

「俺みたいな恋愛初心者にはベタがベターなんだって!」


『く、くだらないだじゃれ……』


「まじうるせえ」


 握りしめた拳のスタンプを送信する。だがヨウは一向に解さない。


『で、どんな映画にしたの?』


「レヴェナント」


『ああ、レオ様の出てる話題作だね』

『俺もちょうど観たかったんだ(笑)』


 つまらない冗談にすぐさまレスを入れた。


「いや、お前は一人で見に行け」


 すると「HAHAHA」と笑うアメコミのキャラクターのスタンプが送られてきた。これも俺とヨウが好きなアニメだ。俺はそれにつられて笑った。一人だけのボロいアパートに俺の低い笑い声が響き、なんともおかしな空気が生成される。座っていたベッドの上で、意味もなくあぐらをかいてみる。


「そういえば、ヨウは好きな人とは最近どうなんだ?」


 何の気なしに尋ねていた。


 ヨウは地元の大学に通っている。ちなみに知り合った当初からヨウは演劇に熱中していて、中学、高校でも演劇部に所属していた。大学でも続けるつもりで、目下、入会するサークルを選別中らしい。


 そして演劇同様に、長い片思いを継続中だと聞いている。


 初志貫徹、それが信条なのか。それとも好きなことには一途なタイプなのか。


 俺が先ほどした質問にはこんな返事がきた。


『少し進展あり』


「えっ?!」


 本当に驚いたときはスタンプなんて送信する気にならないものだ。俺はしばらく「うそお!」「全然知らなかった!」「そうなの?!」と同じような文面ばかりを送信してしまった。一通り、驚けるだけ驚いたところで、ポン、とヨウからの一言が届いた。


『なんでコースケがそんなに興奮してるの(笑)』


 今目の前にこいつがいたら、きっと苦笑しているだろう。


 チャットでよかった。


 今のあわてぶりを見られたら恥ずかしくて死ねそうだ。


「そ、それはそうだけど」

「進展って、何がどういうふうに進展したんだよ!」

「教えろ!」


 ああ、がっつきすぎたかも、と気づいたが、送信してしまえばもうその事実は消せはしない。目の前の画面にはこれらの質問をした事実がしっかりと記録されている。既読されたことも通知によって丸分かりだ。こういうとき、たとえ気楽な文字の応酬であっても、これがまごうことなきコミュニケーションツールだということを嫌というほど実感してしまう。


 めずらしく時間をおいて、ようやくヨウからの返事が届いた。小さな画面に向かって思わず身を乗り出してしまう。


『子供のコースケには、秘密』


 え、そんなにすごいことなの?


 思わずつばを飲みこんでいた。ごく小さく抑えた音楽以外、何の音もしない狭いアパートの部屋に、そのごくりという音が違和感をもって響いた。


 そこで俺は思い出した。


 そういえばこいつ、嘘つくのが得意だったな。


 そこから遅れて取り繕うかのような一言が追いついてきた。


『なんてね』


 その言葉にぷっと笑ってしまった。


 こいつのこういうところが俺は好きだ。


「そんな冗談言ってるがな、俺のほうがよっぽど大人だっつーの」

「だが大丈夫!」

「将来大物俳優になればヨウもきっと今よりもモテるはずだ!」


 実際のところ、俺はヨウの未来を真剣に心配してなどいない。いつも朗らかで愛嬌があって。優しくてユーモアがあって。一生懸命で。なんでこいつみたいないい奴が俺のような人間と友達になってくれたのか、たまに不思議に思うくらいなのだから。


 あの日あの時あの場所にいた二人。


 普通ならば出会うことのないような、遠く離れた場所に住んでいた二人。


 そして今、手のひらサイズの機械を通して俺とヨウは繋がっている。


 俺とヨウとの間にも、俺と彼女との間にあるような運命とか奇跡とかいうものがあるのかもしれない。


 俺はふと思いついたことをタップした。


「なあ、お前が演技しているときの写真ってないのか?」


『そんなのどうするんだよ』


「彼女に見せようと思って」


『見せてどうするんだよ』


「いや、こいつ俺の友達って自慢したいじゃん?」


『なんで演技しているとき限定』


「だから、将来は大物俳優になるんだろう?」

「今のうちにヨウのことを宣伝しといてやるよ」


『そんなこと言って』

『俺の話でデートの間をつなげようとしているんじゃないか』


 図星だった。でもこれも本心だから、俺はもう一度お願いしてみる。


「いや、本当にお前の演技しているところを見てみたいって思っただけだから」


 するとこれまたしばらくたってから「No」と書かれたデコ文字が送られてきた。


 当然と言えば当然か。これまでヨウのほうから自分の写真を送ってきたことはない。俺も自分の写真を送るなんて行為、寒すぎてやりたいとは思えない。俺たちのような年頃の青少年なら誰でもそうだろう。


 するとヨウが別の話題を振ってきた。


『コースケは彼女にはデートでどんな服を着てきてほしい?』

『ちなみに俺だったらタキシードを着ていくけど(笑)』


 俺は最後の一文はスルーして、何も悩むことなく返信した。


「どんな格好でもいいかな」

「昔はひらひらしたスカートの女の子が好きだったけど、今は違う」

「どんな格好でも彼女だし、普段どおりで十分」


『おおー!』

『コースケは本当に彼女のことが好きなんだね』

『なんだか見直しちゃったよ』


「だろう? えっへん」


『えっへんって……なんか古いね』


「うっさい」


『うっさいって……』


「馬鹿か」


『馬鹿って言った奴が馬鹿なんだからな』


「しつこい!」


『しつこいって言った奴がしつこいんだからな』


 最後はあきれて返事をせずに終了にした。





 ヨウとのバカバカしい会話のすぐ後、俺は彼女に同じチャットツールを使ってメッセージを送った。平日は毎日会っているけれど、面と向かって直接デートに誘うなんてことは絶対にできない。この春になってから俺はこつこつと相当量の勇気を使い続けている。勇気という名のバロメーターがあったら、すでに枯渇しそうなことが一目瞭然なはずだ。しばらく充電しないと使い物にならないくらいに減っている。


 こんなときは文明の利器、スマートフォンがある今の時代に深く感謝する。


「GW、暇かな」

「もしよかったら映画を観に行かない?」


 あとはさっきヨウに書いたとおりのことを本当らしくつらつらと再現した。ポンポンと文章を画面に表示させながら、内心では胸がばくばくしてはち切れそうだった。


 人は恋の動悸によって死ぬことがあるのだろうか?


 彼女は俺が身を持ってこの疑問を検証する前に返事をくれた。


『誘ってくれてうれしい』

『わたしもその映画観たかったんだ』

『ありがとう』


 それらの言葉ひとつひとつに胸が躍った。その勢いのまま待ち合わせについてまで決めて――それからは、直接会ってもデートについての話は一度も出なかった。出せなかった。


 ただ、そのデート前日の帰り道、「前野くん」と彼女が僕を呼んだ。


「明日……楽しみだね」


 夕焼け色に染まる彼女の全身。


 その向こうでたゆたう雲、飛んでいく名も知らぬ鳥。


 さざめく海。


 今日も彼女はきれいだった。

 

 そう素直に思える人だった。


「うん、楽しみだね」


 そう言って俺は彼女の横を並んで歩いた。


 夕暮れ時の暗く沈みこんでいくような海を見ても、なぜか悲しみを感じることはなかった。



 これから訪れる夜ですら――闇一色の世界ですら正視できそうだった。

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