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1.4 勇気だせよ

 次の日、教室に行くとすでに彼女はいた。窓際に一人ぽつんと座っていた。


 近づいて「おはよう」と声をかけるその声が少しうわずってしまい焦った。すると彼女のほうも「おはよう」とやや高い声を発した。


 まるでちいさな恋のものがたり。いや、それよりもよっぽど初心だ。


 でも挨拶一つでこんなふうに胸が高鳴る自分が嫌ではない。いつか恋することに慣れたら、こんなささやかなことで感動できる自分を忘れてしまうだろうから。


 人は慣れる生き物なのだ。どんなに激しい恋でも三年ほどで鎮静化するというではないか。だったら俺は今のままでいい。そう思った。だって、うれしいと思うことがうれしくなくなるなんて、悲しいじゃないか。


 隣に座ると、彼女はなぜか机の上を見つめながら小声で言った。


「あの、今日よかったら一緒にランチしない?」


 心臓がドクンと跳ねた。


「う、うん! 一緒に食べよう!」


 女子に食事に誘われるなんて初めてのことで、うれしさのあまり返事に力が入りすぎてしまった。「あ、ごめん」笑われるかもと覚悟して照れ隠しに頭をかくと、彼女は下を向いたままそっと首を振った。そして今日も桃色に頬を染めている。


 やっぱり、これって、もしかして。


 勘違いでは……ない?


 彼女の隣に座ってはみたもののそわそわとして落ち着かない。


 この喜びを表現したくて、ポケットからスマートフォンを取り出すと、おなじみのチャット画面へと入る。


「彼女にランチに誘われた!」


 それからガッツポーズを決めるアニメキャラのスタンプを三連続で送信した。



 *



 午前中の新入生のためのオリエンテーションを終え、俺は彼女と学食に来ている。約束通りランチをとるためだ。


 一皿いくらというビュッフェ形式のこの学食で、俺はほうれんそうの胡麻和えとから揚げ、それに大盛りのごはんとみそ汁をトレイに載せた。これで五百円しないというのは、赤貧の学生にとっては本当に助かる。


 彼女はというと、サバ味噌ときんぴらごほう、そして小盛りのごはんとみそ汁。彼女が俺のトレイを見てうれしそうににっこりと笑った。


 俺は彼女と空いた席に座り、大勢の学生たちで賑やかな食堂の中、あらためて親交を深めていった。


「え、木下さんもあの商店街の近くに住んでいるの?」


 木下さん。苗字とはいえ女子の名前を口にするのはずいぶん久しぶりだ。口がうまく回っていないような気がしたとたん、額に汗が浮かんできた。たかが苗字にテンションがあがってしまって困る。こういったことについては早々に慣れてしまいたい。


 彼女が少しはにかんだ。


「うん、そうなの。家賃も安いし、海を見ながら大学に通えるのがいいなって思って」


 その言葉に俺は深く感動し、箸を持つ右手をぐっと握った。


「俺も! 俺もそう思ってあそこに住むことに決めたんだ! 俺、海を見るのが好きでさ。実家も海がすぐそばにあって、いつも見に行ってた。休みの日なんて朝からずっと、何時間でも見ていられるってくらい好きで」


 本当に運命のような二人だ。だけどそれを口に出すような愚かな真似はしない。言えばひかれてしまうのは目に見えている。


 彼女が箸を両手で持ち、胸の前でもじもじとさせた。


「あの、よかったら、時間の合うときだけでいいから一緒に登校したりしない?」


 上目づかいに見つめられ、俺は反射的にうなずいていた。男は誰でも女子のこの仕草に弱いはずだ。


「そうしよう!」


 ポケットに左手を入れ、スマートフォンを軽く握る。


 今こそ、勇気を。


「……よかったら、この後どんな授業をとるか一緒に考えない? 同じ授業をとれば、その、試験対策も一緒にできるしいいかなって思うんだ」


 それに一緒にいられるし、登校だけでなく下校も一緒にできるかもしれないし。


 心の中でごにょごにょとつぶやき、今度は強くスマートフォンを握りしめた。





 学食に来る前のこと、お手洗いに行くと、ちょうどヨウからの返事がきたのだ。けどそれは正しくは返事ではなかった。


『指令』

『同じ授業をとりたいと彼女に言うこと』


 まじかよ、と思わず声が漏れたが、誰の注意をひくこともなかったようで、俺は急いでこの汚い場所で返事を書いた。


「むりむり」

「絶対無理!」


 両手でバッテンを作るスタンプも送信すると、すぐさま応答がきた。


『無理じゃない!』

『勇気だせよ!』

『ID聞き出して満足して、今日ランチしてそれで終わりか?』


 次々と表示される辛辣なそれらに、けれど俺ははっとした。


 確かに出会ってから今まで彼女に誘われてばかりで、この奇跡に対して俺は一貫して受け身でいただけだった。


 もとはといえば、彼女が俺に声をかけてくれたから、だから今があるのだ。はじめの一歩という一番大変なことを彼女は実行してくれた。俺だったらいくら勇気が満タンの状態でも絶対にできっこないそれを――。


 だから俺はもう一度なけなしの勇気をふりしぼった。ポケットの中のスマートフォンを握りしめて、ヨウのパワーを分けてもらって。



 彼女はそれに満面の笑みで答えてくれた。

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