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1.3 一緒に行きませんか

 彼女の名前は木下さん。


 俺と同じ大学、同じ機械工学科の一年生だ。


 これだけでも彼女と出会いに奇跡を感じる。なぜならうちの大学の機械工学科、一学年二百名近くのうち女子は十名ほどしかいないからだ。


 なのに彼女と俺は出会った。


 二人が出会った海沿いの場所は人通りがほとんどなく、俺の通う大学までは遠回りとなるから普通であれば行かない。


 なのに俺たちはあの海の見える場所で出会った。


 それって奇跡的なことではないだろうか。


 今朝、俺と彼女は海を横目に見ながら大学までの道のりを一緒に歩いた。今まで誰ともつきあったことがない俺にとって異性と二人で歩くというだけでも大ごとだった。しかも彼女はこれまでの高校の同級生たちとは違い、うっすらと化粧をほどこし大人びたスーツを着ていた。しかも好みどんぴしゃの容姿ときたら緊張するのも当然だ。


 普段ならこんなすばらしいシチュエーションに持ちこむことなど絶対にできない。そんな勇気、俺にはない。


 しかし今日はやはり奇跡の日だった。


 今朝、目が合った後、なんと彼女のほうから声をかけてきたのだ。「もしかしてI大に行きますか?」と。そして誘ってくれたのだ。「よかったら一緒に行きませんか」と。


 俺は彼女と入学式に出席した。彼女も俺と同じで、この大学で他に知り合いはいないらしい。いや、正確にいえば、俺には何人かの知り合いはいた。だがそれは本当に知っているというだけで、隣の席に座って入学式を楽しめるような仲の人間ではなかった。


 式を終えた後も二人でシラバスを受け取りに学科別に指定された教室へと移動した。そこで俺は今日起こった奇跡についてあらためて実感し、そして感動した。この男ばかりの荒れた海原のごとき教室で彼女が一番光り輝いていたからだ。彼女以外の女子は、こう言ってはなんだか、もさっとしていて男だか女だか判別できないような風貌だった。さすがは機械工学科、なのかもしれない。それとも我がI大のみの現象で、都会の一流大学であれば違うのだろうか。


 入室した瞬間から彼女は教室内の男子たちの注目を十分に集めた。けれど彼女はそれらをまったく意に介さなかった。


「でさ、モテ慣れているからそういう態度をとるのかなって思ったんだけど、なんか違うんだよな」


『違うって何が』


 どう返信するかためらっていると催促された。


『いいから早く言えって』


 ためらいの後、やんわりと断った。


「いいや。なんでもない」


『なにそれ』


「やっぱり俺の勘違いかもしれないからいいや」


『なんだよそれ』

『気になる』


 それから幾度も尋ねられたが、俺はのらりくらりと回答することを避けた。いつもヨウには何でも話してきたが、これはちょっと恥ずかしすぎるだろう。


 俺は自意識過剰なのかもしれない。


 今日、彼女は俺と一緒にいることに緊張しているようだった。入学式やこれから控える新生活にではなく、俺に対して緊張しているように感じたのだ。


 その証拠に、彼女は俺と目が合うたびにぽっと顔を赤らめた。そしてそわそわと視線をそらし、けれどしばらくするとまた俺のほうをちらちらと見つめてきた。そして目が合うと頬を染め……その繰り返しだった。


 もしかして彼女は俺のことを?


 そう勘違いしたくなるのも当然だろう。


 人は恋をした相手を見つめたくなるもので、だけど目が合うと恥ずかしくてたまらなくなる不思議な生き物なのだ。漫画に出てくる少女たちはみんなそうだったではないか。


 だが俺はこのことも実体験から知っている。


 人は勘違いをする生き物なのだ。


 そして俺はそんな典型的な生き物なのである。


 だけど俺はこの勘違いに自分の未来のすべてを委ねることにした。この勘違いを糧に、別れ際に思いきって彼女にチャットのIDを尋ねたのだ。俺のような恋愛初心者にとってIDを尋ねるという行為は「あなたのことが好きです」と告白しているのも同じである。


 だけど今日、この出会いの日に訊くのが正解だと俺には思えた。明日以降、これほどまでに衝動的で揺るぎのない勇気がわくとは到底思えなかったのだ。自分のことを信じていないわけではない。自分自身をよく知っている、それだけのことだ。


 そしたら彼女は泣きそうな顔をして俺のことをじっと見つめてきた。実際、その大きな瞳が揺らいで見えた。


 そして彼女はこくんとうなずいた。

 うなずいてくれたのだ。


 俺はそんな彼女に恋をしてしまった。


 とうとう恋というものをしてしまったのである。


 でもこのことはヨウにはまだ言わないでおこう。

 きっとからかわれるだけだ。

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