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3.3 誰にだって本当の人生は一つきりしかないんだよ

 ヨウはもともと嘘が得意な奴だった。


 子供のころに入院していた病院では、プレイタイムという時間がもうけられていた。病気による絶望感や鬱屈感はもとより、入院によって閉塞感を感じる子供たちのため、大人のボランティアが週に一回訪問する時間帯のことをそう言っていた。


 プレイタイムでは、ボランティアが提案する複数の遊びを体験することができた。合唱、楽器演奏、紙芝居、手品、あやとり、けん玉、オセロ、囲碁……。本当にいろいろな遊びができた。


 俺はその全てを網羅した。今しかできない、そう思っていたから。


 命には限りがある。ならその有限の命は最大限に活かすしかない。つまり、がむしゃらに行動する、やれることはやりつくすということ。嫌な言い方をすれば『生き急ぐ』ということと同じだ。


 そして最後、演劇のグループに入ったそのとき、俺はヨウに出会った。


 ヨウは出会ったときから野球帽をかぶっていた。


 そして飛びぬけて演技が上手かった。


 じいさんにばあさん、サムライに王子様、赤ちゃんに犬。


 普通に考えたら誰もやりたがらないような役でも、ヨウは自ら志願し見事に演じきった。なんら恥ずかしがることもなく役に入りこむそのさまは、子供のお遊戯にしては卓越しすぎていて、他の子供たちからは浮いてみえていた。実際奴らの一部は演技中のヨウを堂々と指差し笑いものにもしていた。


 だけど俺は違った。ヨウのその才能に心底しびれてしまった。


 笑うところなんてどこにもない。その心と体を酷使して一心不乱に何かに取り組むその姿の、なんと――。


 「尊い」という言葉の意味、尊さを感じる人との出会い。別次元の感覚を、俺はこのヨウとの出会いによって知ったのだった。


 なんでそんなに千差万別、色々と演じ分けることができるのか。その秘儀を知るべく、真向から本人に尋ねた。するとヨウはにこっと笑い、帽子のつばを人差し指でくいっとあげ、そしてこう答えた。『俺は嘘が得意なんだ』と。


 その言い方が大人びていて、でもふてぶてしい子供らしさもあり、そのアンバランスさがなぜかぐっときた。


 そしてヨウが俺と同じ病気を抱えていると知れば、俺はもうヨウに対して並々ならぬ好奇心と親しみを感じざるをえなかった。


 人は多くを共有できる人のことを好きになるものなのだ。


 自分と正反対の人間がこの世には多すぎた。


 当たり前のように未来を語る奴らばかりだった。


 だけどヨウは違った。


 そう、ヨウは最初から俺にとって特別になり得る存在だったのだ。


 それからも、ヨウはどんな役でもひどく真面目に演じ続けた。馬鹿らしい端役でもかっこ悪い犯罪者でも、真剣に演じていった。俺は退院するまでの残りの期間、演劇を、ヨウの演じる姿を眩しい思いで見つめ続けた。


 こんなふうに一生懸命に何かに取り組む人を、俺はヨウに出会うまで知らなかった。


 一生懸命に。その言葉がこれほど似合う人を、俺は今でもヨウしか知らない。


 それだけ真摯に取り組めるということは、ヨウはその有限の命を懸けてするべきことを理解しているということだ。


 それに引き替え俺は知らなかった。


 この命を懸けてまでするべきことがこの世にあるとは信じていなかった。


 確かに当時の俺はただのガキだったが、それはヨウも同じだった。ヨウも俺と同じただのガキだった。なのにヨウだけは俺のなしえない悟りの境地にいたのだ。


 そして俺は今でも何にも分かっていないあの時のままだ。


『ねえ知ってる?』


 ある日、ヨウは照れくさそうに帽子のつばで半分顔を隠しながら、そのとっときの知識を披露してくれた。


『こんなふうに誰かの人生を演じるってのはね、「普通」の人にとってもとてもいいことらしいよ』


「なんで?」


 釈迦の説法を拝聴する弟子のごとく、しかしそれをおくびにも出さず尋ねると、ヨウがつばの奥からその瞳を輝かせた。


『他の人の人生、思考を疑似体験するとね、この世にはいろんな人がいるってことがちゃんと理解できるようになるんだって。するとね、みんなが他人に優しくできるようになるんだって。俺、それ聞いて、なるほどなあって思ったんだ。演じれば演じるほどそれが本当なんだって分かってくる』


「それでなんで普通の奴らにもそれがいいことなわけ? だって、奴らはいくらでも長生きできるじゃないか」


『ふふ、コースケらしいね』


 ヨウはそのときどんな瞳で俺のことを見ていたんだろう。


『だって、命に限りがあるのは俺達だけじゃないんだよ。長かろうが短かろうが、人は誰もが最後には死ぬんだ。誰にだって本当の人生は一つきりしかないんだよ』


 あのときのヨウの瞳を、表情を思い出すことはできない。


 だけどあのときのヨウはお得意の嘘をついていなかった。


 心からそう思っていた。


 それこそが――ヨウが演劇を続ける理由だったのか。


 ふいにそう思った。




 追憶から現実に意識が戻る。


 開いたままのトーク画面に目をやり、指を動かしていく。今撮影したばかりの朝焼けに染まる海の写真を添付し、送信する。


 続けて文章を打ちこんでいく。


「バイト帰り」

「海、きれいだろ?」


 まだ誰もが微睡の中にいる時間、当たり前だがヨウからの反応はない。


 俺はそれでも書きこんでいく。


「俺さ、海が好きだってしょっちゅう言ってるけど、本当はこの写真みたいな朝の海しか好きじゃないんだ」

「だから、好きだから、ヨウにも見てほしいってそう思って」

「そう思って俺はいつも写真を送っていた」

「ヨウはどんな海が好き?」

「どんな景色が好き?」

「あともう一つ教えて」

「ヨウはどうして今も演劇を続けているんだ?」


 なぜ今もプレイタイムを続けているんだ――?




 

 俺はその次の日から、大学へ行くのをやめた。


 真夜中のバイトにいまだ体が慣れず疲労困憊していたことも理由だが、それ以上に、彼女と会うことを恐れていた。


 彼女のことは今でも好きだ。


 会いたいと思う。

 思い出すだけで胸が高鳴る。

 どきどきとする。

 体がほてる。


 だけどそれ以上に、彼女に会うと思うだけで、恐怖で体がすくむのだ。


 まだ俺は知らない。ヨウがどうしたいのか、なぜ俺の前にその姿をあらわしたのか、まったく分かっていない。


 俺が彼女の前に立ち、彼女がヨウと同一人物であることを知っているというそぶりを見せてしまったら――。


 彼女の望まない何らかの失敗を犯してしまったら――。


 そういったことが分かるまでは俺は彼女に会えない。そう思ったのだ。


 人は特に未知の体験について怯える生き物なのだ。それは本能といってもいい。この危機意識があったからこそ、人類は今もこうして地球上に在り続けるのだ。そうだろう?


 ヨウからはぽつぽつと、文字通りぽつぽつと返事がきた。


『いつも写真サンキュー』

『俺も海を見るなら朝が一番好きだ』

『というか、俺もお前と同じ』

『朝以外の海は好きじゃない』

『昼はまぶしすぎるし、夕方は物悲しくなるし、夜は怖くなる』


『なんで演劇を続けているかっていうと』

『演じるのが楽しいからではないのは確かだね』

『人が息をするのにいちいち楽しさを感じないのと同じだと思う』

『でも演じることでしか得られないことも確かにあるんだ』


 一つ一つの返答にタイムラグがある。授業と授業の合間に、登校時間に、就寝前に、考えながら返答してくれていることが分かる。ヨウも俺も決してこの会話を急いではいない。言わなくても、この会話が俺たち二人にとって重要であると、共通認識されている。既読表示が出ているだろうに俺が返事をしないことにも、ヨウはこちらの意図を感じてくれているようだった。





「で、その後どうなった」


 その日、バイト先のコンビニで鈴木にそう尋ねられた。


 相も変わらず客はほとんどこない。とはいえ、鈴木は俺の状況を推理して楽しんでいるわけではなさそうで、俺も真夜中にありがちな非日常的な魔法にかかってしまったかのように、この頃では素直に答えるようになっていた。


「少しずつ会話をしているところです」

「そうか」


 鈴木が目を細めて笑った。「よかったな」と言っているようだ。


 友達とうまくいっていない、その程度のバックグラウンドしか説明していないのに、俺の心情については細部まで把握されているような気がする。


 言葉はなくても伝わる。


 言葉がないほうが真実が正確に伝わってくる。


 ならば――。


「……鈴木さん」

「なんだ」

「文字だけの、言葉だけの繋がりって……どう思いますか」


 すると鈴木は端的に答えた。


「どうもこうもない。要は前野くん次第だろう」

「俺次第?」

「ああ。前野くんがどう思うか、それだけだよ」

「そうですかねえ……」

「前も言ったけどさ」


 鈴木の目に鋭い光が浮かんだ。


「大切にしたいことは大切にするしかないだろ。大切なことを捨てたら一生後悔するよ」


 一生後悔する――。


 そんな陳腐な言葉を、まさかこの俺が言われる日がこようとは思ってもいなかった。


 けれど言われてみると、それはすとんと胸の中のあるべき位置に収まった。


 レジの前、隣に立つこの男に礼を伝えるべきだろうと頭を下げかけると、鈴木はそれを表情一つで制した。


「俺が言いたくて言ったんだからそういうのはなしで」

「あの、でも」

「いいんだって。年下は年上には絶対に勝てっこないことがあるの。それは経験の差。俺はいろいろ経験してきたからさ、いろいろ知ってしまったってわけよ。他にもいろいろあるけど聞きたい?」


 にやりと笑ったその顔が初めて見る表情で、俺は思わずうなずいていた。すると鈴木がわざとらしく驚いた顔をしてみせた。


「ええっ、本当に聞きたいの?」

「なんですかそれ。鈴木さんがそう言うから俺も」

「いやいや。確かに時として他人のアドバイスが役にたつときはあるよ。だけど大半は無意味だ。自分が経験して実感したことじゃないと、たとえ偉人の言葉でも心には響いてこない。だから人はいつまでも苦しみから逃れられない。だろう?」

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