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3.2 もっと素直になりなよ

 バイトをはじめて一週間がたったころ、レジの前、並んで立つバイト仲間の鈴木が話しかけてきた。


「前野くんは友達いる?」


 それは初日以来の会話らしい会話だった。

 そして俺にとっては今週初めての他人との会話らしい会話だった。


 それがこんな無礼とも思える質問なのが悲しかったが律儀に答える。


「いるのかいないのかよく分かりません」

「なんで分からないの、自分のことなのに」


 俺の支離滅裂な回答に、鈴木はなぜか丁寧に道を探すように会話を継続してくる。ちらりと鈴木を見ると、彼は意外にも真摯な目つきでこちらをじっと見ていた。だぼっとしたシャツにぺたんこのやや長い髪――なのにその目だけが不釣り合いなくらいに力強い。


 視線を正面、店内の陳列された商品のほうへと戻す。この時間、店内に客が来たことはほとんどない。賑やかなポップとカラフルな商品ばかりなのに、この場は閑散としている。


 ふいにあの夜の電車に戻ったかのような気分になった。


「……自分のことをよく知っている人なんているんですか」


 ぽつりとつぶやいたそれは、これで会話を打ち切りたいという願いも幾分かこめていた。しかし鈴木は不思議なことに、俺のより強い願いのほうをすくい上げてきた。


「それもそうだね。すまない」


 あまりにも率直に謝られ、逆に俺のほうが申し訳なくなった。


 この一週間、彼女との接点がまったくなかったわけではない。だけど俺は言葉少なく、彼女も同様だった。会話を続けようとしない俺に対して、彼女は加害者にでもなったかのように遠慮がちに口をつぐんでいた。


 人は何かしらの劣等感をいだくと、無意識に被害者然としてふるまってしまうものなのかもしれない。

 それは他人を問答無用で加害者にしてしまうということだ。


「すみません、俺のほうこそ変なことを言って」


 しかし鈴木は意外なほど強くそれを否定した。


「変なことなんかじゃない」

「え?」

「自分について考えることは大切なことだ。変なことじゃない」


 そう言われ、ふいに全身から力が抜けた。やけに肩が重く感じる。いつからこんなに重荷を背負っていたんだろう。それでも無理やり笑顔を作って鈴木のほうを見た。


「なんでさっきあんなこと聞いたんですか?」

「あんなこと?」

「ほら、友達がいるかどうかって」

「ああ……」


 鈴木が少し思案する顔をして、それから俺のほうを見た。


「友達がいそうな奴だと思っていたんだが、最近の様子を見ているとそれが違っているように思えてきて、それでつい尋ねてしまった」

「なんですかそれ」


 苦笑する俺にかまわず、鈴木は続ける。


「いや、初めてのとき、前野くんは俺に適当な態度をとってただろ」


 適当、という言葉は、少し考えれば反省すべきものでしかなかった。が、鈴木は別に生意気な新人を指導したいと思っているわけではないようだった。


「あのときの適当さ、それは他に心に気にかかることがある人間の態度だと俺は感じていた。その理由は人間関係によるものだと推測していたんだが」


 深夜のコンビニで、なぜか名探偵並の洞察が披露されていく。


「だが最近の前野くんは、逆に人との接点のない世界で生きているように見えてな」

「でも俺、こうして毎晩ここでお客さんに会ってますけど」


 正確には夜の早い時間と明け方、わずかな客だけではあるが。


 俺の主張に対して、鈴木は目を伏せ、そして首を振った。


「少なくとも、これまでの深い人間関係を失いつつあるんじゃないか?」


 その言葉は俺にとっては図星すぎて、束の間息をするのを忘れるほどだった。


 トリックを暴かれた真犯人の気持ちとはこういうものなのだろうか。だとしたら、俺は死ぬまで犯罪を計画しないだろう。この動揺一つで死ぬことができるんじゃないかと思うくらい、心臓がはねた。


 あっという間に干からびた口の中、それでもわずかに残る唾を飲みこみ、震える口を開いた。


「……なぜそんなことを言うんですか」

「なぜ? それを聞いてどうする。今、前野くんにとって大事なのはそういうことじゃないんじゃないか」

「……というと」


 面倒くさそうに目が隠れるほどに伸びた前髪をかきあげ、鈴木がその鋭い視線を俺に向けた。


「俺が思うに、その人との関係は失うべきではないんじゃないか」


 その一言が俺の心を芯から凍りつかせた。


 何か言い返したい。

 だけどそれ以上に何も言いたくない。

 俺が何を言おうと、この男がどう解釈しようと、それで何が変わるというんだ?


 ふっと隣で鈴木が笑う気配を感じた。


「前野くんって、おもしろいね」

「……何がですが」

「お、答えてくれた」


 ふざけた調子で答える鈴木を軽く睨みつけると、鈴木は肩をすくめてみせた。


「おもしろいって言ったのは、前野くんが分かっているのに分かっていなくて、だけど分かっていないのに分かっているところだよ」

「は……?」

「年寄りの俺からのアドバイス、いい?」


 無邪気な言い方が、俺の眼光から虚勢を奪い去った。今、俺は温かなまなざしで見返されている。


「もっと素直になりなよ。自分が一番やりたいこと、大切にしたいこと、本当は分かってるんじゃない?」





 明け方、コンビニからアパートまでの帰り道、海のよく見える場所で俺の足は自然ととまっていた。ここは俺だけが知る絶景ポイントだ。誰も知らない、誰も見たことのない景色。


 今日というコンディションでしか見ることのできない海がここにはある。そしてそれは俺だけのもの。


 朝が好きだ。


 明るくなるだけで世界が希望で満ちるような気がするから。

 そこかしこに命が満ちていくような気がするから。


 大嫌いな夜としばしの別れができるから。

 暗闇以外の何もない世界とおさらばできるから。


 空に昇りつつある日の光を吸収すると、とたんにブラックホールのごとき墨色の海に、鮮やかな色彩が戻っていく。朝日にノックされて、裏側に潜んでいた世界が目の前にあらわれる。正反対の世界が今またここに誕生する。


 朝日を浴びることで海は再度生まれる。

 海を支配していた死の成分がかき消える。

 俺のいるこの世界から死という概念が消えうせる。


 きっと神や仏にも成しえない奇跡――。


 こういうとき、俺がいつもしていたことといえば。


 無意識のうちのポケットをまさぐり、スマートフォンを取り出していた。誰からも連絡が来ないのに、当たり前のようにそこに収められていたこの機械。


 構えて、ぱしゃりと写真を撮る。


 久しぶりにチャットツールを起動し、久しぶりのトーク画面に入る。


 そこには俺が自分で送った最後の言葉が入っていた。


「深夜のバイトを始めるから、しばらくチャット休むわ」

「落ち着いたらまた連絡する」


 それに対するヨウの返事はこうだった。


『分かった』

『体には気をつけろよ』

『だけど急にどうしたんだ?』


 俺はそれに対して何の回答もせず今日まで来ていた。


 急にどうしたのか。

 そんなの決まってる。


 ヨウ、お前が俺に嘘をついてきたからだ。

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