3
「…へっ?…っ」
もう、色んな事が突然過ぎて頭が回らないのに。
振り返った澄香の目に飛び込んできたのは、いつだって心を掴んで離さないその瞳で。
「…なんで俺がこんな用もない場所にいると思う?」
「え…。」
じっと真っ直ぐ見つめられるだけで、澄香は海に投げ込まれたように苦しんだ。
「俺、人より耳が良いんだ。」
「………………へ?」
突然話題が変わって、澄香は思わずきょとんとする。
掴まれた左腕はそのままに、滝井くんは少し言いにくそうに視線を逸らした。
「その…。千葉の友達の“胡桃”って子、声デカいよな…。」
「え…。あ、うん…割と…。」
…え、何…もしかして、
“胡桃の事が好きでした。”って事なのだろうか。
それは…。
ちょっと悲しすぎる。
めまぐるしく回転する脳みそに、澄香が半泣きになりそうになっていると、滝井くんは更に言いにくそうにチラリとこちらを見た。
こんな失恋間近の状況でも、ドキリとしてしまう自分に嫌気がさす。
澄香は出来るだけ笑って済まそうと涙を流さないように目頭に力を入れた。
「その…、よく聞こえるんだ。」
「うん。」
「この前の練習試合も、…いただろう?」
「うん。」
そうだそうだ、わざわざ二人でグラウンドの隅まで見に行ったのだ。
胡桃と二人で。
「それに、…残ってよく一人で練習してるだろ。歌。」
「…うん?」
いや、それは私だけど。と澄香は少し首を傾げた。
「あの、残ってよく下手な歌、歌ってるのは…それは私なんだけど…、」
胡桃じゃなくて、練習が必要な私なんだけど…。
「え?あ、うん。あれ千葉だろう?」
「え?うん。」
あれ?微妙に話が噛み合ってない。
「…ん?」
「……あーっもーーっくそ。」
更に首を傾げる澄香に、滝井くんは坊主頭をわしわしと照れくさそうにかいた。
「俺さ、自惚れてたんだ。」
「…?」
「その、ほぼ毎日聞こえてたから。」
「……。」
「だから、いつも無意識に受け身になってて。」
「…。」
「クリスマスとか、バレンタインだとか、勝手に意識して、期待して…完璧にほんと受け身で。気が付いたら二年になってクラス離れるし…。」
まくしたてる彼が何を言わんとしているのか。
澄香は彼の珍しく良く動く口元ばかりに目が言って。
一瞬、フッと冷静に戻った頭が、澄香をパニックの渦に叩き込む。
“毎日聞こえて”
“胡桃の声が大きい”
「…………………。」
あ。
澄香は固まった。
『おーい!今日もあんたの愛しの滝井くんが出てるよー。』
『はぁー。相変わらずあんた滝井くん大好きだねー。』
『あ、滝井くんが三振してるよ!澄香の願掛け効いてないんじゃない?』
『澄香ーっ!次滝井くんの番みたいだよー!』
『私はあっちの松浦くんの方がワイルドで好みだけど…なんであんたそんなに滝井くんが好きなの?やっぱ顔?』
あ、
あ、
あーーーっ!!
やっと全部の話がつながって、澄香は顔から火が出そうになった。
滝井くんは、間接的に何度も澄香の告白を受けていた事になる。
「…全部、聞こえてた?」
「…うん。まぁ、だいたいは。」
「…いつから?」
「…え、千葉がコーラス部に入部してから、かな?」
「…。」
「…。」
「…。」
「…………千葉?」
絶句して全く動かない澄香を滝井くんが覗き込むと。
「………ぅギャーーッ!!」
澄香はとうとう、叫びながら逃走した。
「千葉っ!!」
バタバタバタバタと普段からは考えられないスピードで廊下を走る。
信じられない信じられない信じられない!!
全部聞こえてたの?
この一年、筒抜けだったの?
く、
胡桃のバカーっ!!!
友人の声量に初めて恨み事を飛ばしながら澄香は恥ずかしさで瞳に涙を滲ませる。
そしていつもの駅のホームにぼんやり立ちながら、ほんのちょっと冷静さを取り戻し、思った。
逃げちゃった…。