第8話 繋げてはいけない線
最初に違和感を覚えたのは、ハウスメーカーの担当者の声だった。
「先生、この案件ちょっと急ぎで」
電話越しでも、少し浮ついているのがわかる。
「奈良市内の土地なんですけど、かなり条件良くて。売主さんも早く現金化したいらしくて」
うまい話には、大抵裏がある。
不動産の世界では、なおさらだ。
◇
面談場所は、大阪市内のホテルラウンジだった。
高級すぎず、安すぎもしない。
人目はあるが、話もしやすい。
もし地面師なら、こういう場所を選ぶ気がした。
◇
先に来ていたのは、仲介業者の男だった。
三十代後半。
派手すぎないスーツ。
よく喋る。
愛想が良い。
「どうも先生、初めまして」
名刺交換。
都内の不動産会社。
聞いたことのない会社名だった。
だが、それより先に白い線が見えた。
男の頭上から伸びる線。
その先に、別の名前。
今日同席予定の司法書士だった。
兄弟。
偶然にしては、出来すぎていた。
「今日はよろしくお願いします」
「こちらこそ」
仲介業者は笑う。
だが目だけが笑っていなかった。
◇
少し遅れて、売主の女が来た。
六十代後半。
地味な服装。
ブランドバッグだけが不自然に新しい。
「すみません、遅れて」
関西弁。
どこか芝居がかっている。
その顔を見た瞬間、背中が冷えた。
頭上に見える名前。
本人確認書類の名前と違った。
◇
運転免許証。
印鑑証明書。
住民票。
権利証。
固定資産税納税通知書。
書類は揃っている。
少なくとも表面上は。
だが違和感が消えない。
売主は、父親から相続した土地だと説明した。
相続で取得した不動産なら、親族関係の線が自然に見える。
だが、女の頭上に見える父親の名前が、資料上の先代名義人と違っていた。
◇
さらに隣の司法書士を見る。
四十代。
無駄に落ち着いている。
その頭上から、仲介業者へ線が伸びていた。
やはり兄弟だった。
偶然ではない。
そんな気がした。
◇
地面師事件は、世間では派手に報道される。
だが実際は静かだ。
怒鳴り声もない。
脅しもない。
淡々と書類が並び、自然に話が進む。
だから怖い。
普通の取引にしか見えないからだ。
◇
「先生、どうですか?」
ハウスメーカー担当が聞く。
全員の視線がこちらへ向く。
空気が少し張る。
だが、この場で止めるだけの決定的な不備はない。
感覚だけで、司法書士は仕事をしてはいけない。
証拠が必要だ。
◇
俺は書類を閉じた。
「すみません」
できるだけ自然に言う。
「こちらで追加確認したい事項があります」
仲介業者の目が細くなる。
「追加確認ですか?」
「はい。本日は確認が完了しません」
「どのあたりが?」
「細かい部分です。こちらで確認します」
曖昧に濁す。
相手も探っている。
だが向こうも強く押してこない。
ここで無理に急がせると、逆に不自然になるからだ。
◇
空気が悪くなる。
売主だけが、不自然に笑っていた。
「慎重なんですねぇ」
「仕事ですので」
俺は答える。
しばらく沈黙が続いたあと、その日の話はそこで終わった。
◇
ホテルを出たあとだった。
ハウスメーカー担当が焦った顔で聞いてくる。
「先生、何かありました?」
俺は周囲を確認してから、小さく言った。
「かなり怪しいです」
「え……」
「理由は今は言えません。ただ、この取引はやめた方がいい」
担当者の顔色が変わる。
「そんなにですか」
「別の司法書士を探して進めるなら、私は受任しません」
そこまで言うと、相手も察した。
長い付き合いだった。
俺がここまで言う時は、本当に危ない時だけだと知っている。
「……わかりました」
◇
後日。
あの案件は、業界の中で静かに噂になった。
「あそこの土地、話流れたらしい」
「本人確認で止まったとか」
「なんか危なかったみたいやな」
誰も詳細は言わない。
守秘義務がある。
だが、それで十分だった。
危ない案件は、空気で伝わる。
そうやって次の被害を防ぐこともある。
◇
事務所へ戻る。
机の上には、今日処理できなかった書類が積まれていた。
コーヒーは冷めている。
窓の外は、もう暗かった。
白い線が浮かんでいる。
親子。
兄弟。
夫婦。
人は繋がって生きている。
司法書士の仕事は、その流れを止めずに繋ぐことだ。
相続。
売買。
遺言。
誰かから誰かへ。
止まりそうな流れを、最後まで繋いでいく。
だが時々、繋げてはいけないものもある。
偽物の関係。
金のためだけの繋がり。
誰かを騙すための流れ。
あのまま進めていれば、誰かの人生が壊れていた。
だから今日の仕事は、“繋がなかった”ことだ。
◇
ふと、今日会った連中を思い出す。
兄弟の線。
偽名の女。
嘘で塗り固めた関係。
どれだけ取り繕っても、線だけは誤魔化せない。
人は、誰かと繋がって生きている。
そしてその繋がりは、時々その人間の正体を暴く。
窓の外の街を、人が歩いていく。
無数の白い線が、夜の中で静かに揺れていた。




