第5話 名前が見える
最初に気付いたのが、いつだったのかは覚えていない。
物心がついた頃には、もう見えていた。
人の頭の上に浮かぶ文字。
白い線。
そして、その人を中心に枝分かれしていく家系図みたいなもの。
幼い俺には、それが何なのかわからなかった。
ただ、みんなにも見えているものだと思っていた。
◇
「お母さん、あの人の上に字がある」
スーパーのレジに並んでいた時だった。
若い女の店員を指差して、俺はそう言った。
母親は怪訝そうな顔をする。
「何言ってるの」
「ほら、白いやつ」
女の頭の上には、確かに文字が浮かんでいた。
当時はまだ字が読めなかったが、白い記号みたいに見えていた。
そこから線が伸び、別の名前へ繋がっている。
男。
女。
子供。
蜘蛛の巣みたいだった。
母親は最初、冗談だと思ったらしい。
だが俺が何度も言うので、気味悪くなったのだろう。
病院へ連れていかれた。
脳の検査。
視力検査。
だが結果は異常なし。
「想像力が豊かなんでしょう」
医者は笑っていた。
母親も安心したみたいに頷いていた。
でも、俺には本当に見えていた。
◇
小学校へ上がり、字を覚えてから、それが“名前”なのだと理解した。
人を見ると、知らない漢字が大量に浮かぶ。
気になって仕方がなかった。
だから調べた。
辞書を開き、漢字を覚えた。
周囲は感心した。
「すごいね」
「天才だ」
教師はそう言った。
小学六年の時、漢検一級に合格した。
地元新聞にも載った。
漢字博士。
神童。
好き勝手に呼ばれた。
だが、本当は違う。
ただ読めなかっただけだ。
視界に浮かぶ文字を。
◇
能力が危険だと知ったのは、小学四年の頃だった。
友達の家に遊びに行った時。
その家の母親が、ジュースを持ってきてくれた。
優しそうな人だった。
俺は何気なく言った。
「和彦さんって、お父さん?」
空気が止まった。
母親の顔色が変わる。
「……なんで、その名前知ってるの?」
今の父親じゃなかった。
頭上に見えていたのは、昔付き合っていた男の名前だったらしい。
母親は執拗に聞いてきた。
「誰に聞いたの?」
「ねえ、誰に?」
怖かった。
俺は適当に誤魔化した。
「テレビで見た」
「なんとなく」
当然、信じてもらえなかった。
その日を境に、俺は余計なことを言わなくなった。
人には、見えてはいけないものがある。
子供ながらに理解した。
◇
中学生になって、『デスノート』の映画を観た。
死神の目。
名前が見える能力。
スクリーンを見ながら、妙な感覚になった。
――これ、俺と同じだ。
もちろん違う。
寿命なんて見えない。
だが、人の上に名前が浮かぶ感覚は、妙にリアルだった。
作者も、昔こういうものが見えていたんじゃないか。
そんな馬鹿げたことを、本気で考えた。
◇
能力を初めて“使った”のは、中学二年の時だった。
三宮の高架下。
友達と流行りのコンバースを買いに行った帰りだった。
薄暗い路地で、三人組の高校生に囲まれる。
「金持ってる?」
煙草の匂い。
逃げ道はない。
友達は顔が引きつっていた。
俺は相手の顔を見た。
名前が浮かぶ。
親の名前。
兄弟。
白い線が一気に広がる。
「お前、田村の息子やろ」
真ん中の男の顔が固まった。
「は?」
続けて、もう一人の母親の名前を言う。
男達の顔色が変わる。
「なんで知ってんねん……」
さらにもう一人の弟の名前を言った瞬間、三人は完全に怯えた。
化け物を見る目だった。
「言わんとてくれ」「行こ」
三人はそのまま逃げた。
友達は呆然としていた。
「なんで知ってたん?」
「前に見たことあった」
俺は適当に嘘をついた。
でも、その時わかった。
この力は、人を支配できる。
◇
社会人になり、営業職に就いた。
最初は成績が悪かった。
愛想もない。
口下手。
だが、ある日気付く。
人は、“自分を知っている相手”に弱い。
「徳永さんって長男ですよね」
「え、なんで知ってるんですか」
「なんとなく、そんな気がして」
笑いながら誤魔化す。
それだけで距離が縮まる。
初対面なのに、昔から知り合いだったみたいな空気になる。
契約率は跳ね上がった。
営業成績トップ。
周囲は、人懐っこい性格だと勘違いしていた。
違う。
俺は、人の情報を盗み見ているだけだった。
◇
繁華街で、酔っ払いに絡まれている女を助けたことがある。
「なんや兄ちゃん」
大柄な男だった。
酒臭い息。
俺は男の顔を見る。
名前。
子供。
「美香ちゃんのお父さんですよね」
男の顔が止まる。
「娘さん、小学生でしたっけ」
空気が変わった。
男は舌打ちし、そのまま去っていく。
「ありがとうございます!」
女は何度も頭を下げた。
その時、少しだけ思った。
この力にも、使い道はあるのかもしれない。
◇
やがて俺は、司法書士になった。
理由は単純だった。
相続が、一番“見える”からだ。
戸籍を追う前から、誰と誰が繋がっているかわかる。
複雑な親族関係ほど、白い線は濃くなる。
「どうしてそんなに早いんですか」
同業者に聞かれても、笑って誤魔化すしかない。
まさか見えているとは言えない。
そんなことを言えば、頭のおかしい人間だと思われるだけだ。
◇
だが最近、時々思う。
これは本当に能力なのだろうか。
人と人を繋ぐ線。
切れたように見えて、まだ残っている線。
憎しみ。
後悔。
執着。
愛情。
そういうものが、俺には見えているだけなんじゃないかと。
今日もまた、誰かの頭の上に白い線が浮かぶ。
家族。
血縁。
法律。
人は、その繋がりから逃げられない。
俺だけが、それを少し早く見つけてしまう。




