第三話 ワキガ、出発する。
教会の長椅子に腰掛け、俺はリャーナから少しずつ話を聞いた。
ここはアルムホーラ王国。
首都アムピットから馬車で六日ほど離れた小さな村だという。
「じゃあ……どうして村は襲われたんだ?」
リャーナは膝の上で小さな両手をぎゅっと握り締めた。
「……」
長い沈黙。
やがて、か細い声が漏れる。
「……家族。」
「家族?」
少女は小さく頷く。
それ以上は何も言わない。
言えないのか。
言いたくないのか。
俺には分からなかった。
「村の人たちは……?」
その言葉に、リャーナの肩が小さく震える。
赤い瞳から涙が一粒、静かに落ちた。
「……私を、隠して。」
「……」
「みんな……死んじゃった。」
教会に静寂が流れる。
村人たちは、この子を守るために戦ったのだ。
そして、全員命を落とした。
俺は何も言えなかった。
前の世界でも、人を慰めたことなんて一度もない。
困っている誰かのために動いた記憶もない。
自分のことばかり考えて生きてきた。
だから励ます言葉なんて出てこない。
それでも。
このまま、この子を一人残せばどうなるかくらいは分かる。
「……なあ。」
リャーナがゆっくり顔を上げた。
「一緒に来るか?」
少女は少しだけ目を丸くした。
数秒の沈黙。
やがて、小さく頷く。
「……うん。」
それだけで十分だった。
「よし。」
まずは首都アムピットへ向かおう。
この世界のことも。
リャーナの家族のことも。
きっと何か分かるはずだ。
俺たちは教会を後にした。
焼け落ちた村を振り返る。
風に乗って灰が舞う。
誰もいない。
もう、この村へ戻ってくる人はいないのだろう。
酒場に残されていた干し肉と水を少しだけ分けてもらい、護身用の剣を腰に差す。
村の外へ続く一本道。
俺とリャーナは並んで歩き始めた。
「この辺りに危ない生き物とかいるのか?」
リャーナは前を向いたまま答える。
「……いる。」
「魔物。」
魔物。
ようやく異世界らしい単語が出てきた。
少しだけ胸が高鳴る。
盗賊は倒した。
剣も手に入れた。
今の俺なら、ゴブリンぐらいには負けないだろう。
そんな根拠のない自信が湧いていた。
ガサッ。
草むらが揺れた。
現れたのは、一匹の獣。
犬……ではない。
不揃いに並んだ長い牙。
赤黒い毛並み。
異様に発達した前脚。
ハイエナをさらに凶暴にしたような姿だった。
「これが……魔物。」
リャーナが俺の服を小さく掴む。
「……野犬。」
「下がってて。」
俺は剣を抜いた。
「盗賊相手も、なんとかなった。」
落ち着いてやれば勝てる。
そう思った。
野犬が低く唸る。
次の瞬間。
地面を蹴った。
「速っ――」
視界から消えた。
ズンッ。
鈍い衝撃が脇腹に突き刺さる。
「あ……がっ!」
息が止まる。
足から力が抜け、その場へ膝をついた。
温かい液体が服を濡らしていく。
脇腹から大量の血が流れていた。
「うそ……だろ。」
一撃。
たった一撃だった。
こんなの勝てるわけがない。
野犬が再び飛びかかってくる。
「ま、待――」
反射的に両手を空に突き出した。
その瞬間だった。
野犬の動きが止まる。
次の瞬間には泡を吹きながら力なく地面へ倒れ込み、そのまま動かなくなった。
「……え?」
俺は何もしていない。
剣も届いていない。
魔法陣も見えなかった。
なのに。
また助かった。
「防御魔法……?」
無意識に発動したのか。
それとも別の能力なのか。
考える余裕はなかった。
急速に意識が遠のいていく。
「やば……。」
視界が暗く染まる。
最後に見えたのは、慌てて駆け寄ってくるリャーナの姿だった。
◇ ◇ ◇
目を開ける。
白い顔がすぐ目の前にあった。
赤い瞳が心配そうに俺を覗き込んでいる。
「あれ……。」
痛みがない。
慌てて脇腹を触る。
傷は塞がっていた。
服だけが裂けている。
「治ってる……。」
リャーナが小さく言う。
「……ヒール。」
「え?」
「……かけた。」
「助けてくれたのか?」
少女は静かに頷いた。
どうやら回復魔法が使えるらしい。
「ありがとう。」
リャーナは何も言わない。
ただ、小さく頷くだけだった。
倒れた野犬へ目を向ける。
「……これ、食べられるのか?」
リャーナは少し首を傾げる。
「……食べないの?」
どうやら、この世界では魔物も普通に食材らしい。
「じゃあ料理は……」
「できない。」
即答だった。
どうやら触れてはいけない話題だったらしい。
俺も料理なんてまともにしたことがない。
魚すら捌いたことがないのに、魔物なんて無理だ。
「……諦めよう。」
干し肉は少ない。
水も少ない。
金も心許ない。
地図もない。
俺はこの世界のことを何一つ知らない。
それでも。
白髪の少女と並んで歩きながら、不思議と絶望はしていなかった。
「……まぁ、何とかなるか。」
こうして俺とリャーナ、二人の旅が始まった。




