表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
1/2

第一話 先輩ワキガじゃないっすか?


「……先輩。」


「ん?」


「ワキガじゃないっすか?」


……

…………は?


三十六年生きてきて。

人生で一番衝撃だった言葉は、この一言だった。


「……は?」


聞き間違いだ。

そうに決まっている。


「今、なんつった?」


俺が聞き返すと、向かいに座る後輩は気まずそうに目を逸らした。


「いや、その……。」


「気のせいならいいんですけど……。」


「先輩、ちょっと臭うっす。」


空気が止まる。コンビニ前のベンチ。夕方の住宅街。車の音だけがやけに大きく聞こえた。


俺は三十六歳。世間では「広告代理店の社長」ということになっている。もちろん嘘だ。本当の俺は、無職。朝までソシャゲをして、昼に寝る。夕方に起きて、また朝までゲーム。そんな生活を何年も続けていた。ブランド物で固めた服装も全部コピー品。高級時計も財布もスニーカーも、本物じゃない。本物なのは、見栄だけだった。それでも、自分だけは特別だと信じていた。


だから今日も、昔から可愛がっていた後輩を呼び出した。理由なんてない。昔話をして、少しだけ優越感に浸りたかっただけだ。ただ一つ、いつもと違ったことがある。昨日から風呂に入っていなかった。忘れていたわけじゃない。面倒だった。ここ数年、そんな生活が当たり前になっていた。だから、その日も特に気にしていなかった。


「……で。」


俺は恐る恐る口を開く。


「冗談だよな?」


後輩は困ったように笑った。


「いや……。」


「マジっす。」


「結構、キツいっす。」


頭が真っ白になる。


ワキガ?


俺が?


三十六年間、一度も言われたことがないのに?


家族にも。


昔付き合っていた彼女にも。


いやいや。そんなはずがない。


「証拠見せろ。」


「臭いに証拠はないっす……。」


「じゃあ俺が確かめる。」


後輩が「やめた方が……」と言いかける。俺は聞かなかった。右腕をゆっくり持ち上げ、顔を近づける。


「そんなわけ──」


スッ。


そして。


「────ッ!!」


鼻の奥を突き刺す、強烈な刺激。


言葉では表現できない。


頭の芯まで焼かれるような異臭。


本能が叫ぶ。


――吸うな。


「ぐっ……!」


視界がぐにゃりと歪む。立っていられない。

耳鳴り。

吐き気。

世界が真っ白になり──

俺の意識は、そこで途切れた。


◇ ◇ ◇


「あれ……?」


風が吹いている。


草の匂いがする。


背中には柔らかな土の感触。


ゆっくりと目を開ける。

青空。

白い雲。

見渡す限りの大草原。


「……は?」


思わず起き上がる。

建物はない。

道路もない。

電柱も信号もない。

あるのは、果てしなく続く草原だけだった。


「ここ……どこだ?」


頬をつねる。


痛い。


夢じゃない。


夢であってほしい。


その時だった。


遥か彼方。


黒い煙が一本、空高く立ち昇っているのが見えた。


「なんで見える……?」


俺の視力は〇・二。あんな距離が見えるはずがない。しかも身体まで軽い。階段を上るだけで息切れしていた俺とは思えないほどだ。十分前までコンビニにいた。それから...自分の脇の臭いを嗅いだ。そして今、草原にいる。


「……異世界?」


ネット小説で何百回も見た展開が頭をよぎる。いやいや。ワキガで異世界転生なんて聞いたことねぇぞ。


「……行くしかないか。」


俺は煙を目指して歩き始めた。


この時の俺は、まだ知らない。


異世界へ転生しても。


剣や魔法を手に入れても。


前世から唯一引き継いだ能力が――


ワキガだったことを。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ