3、きみのためにできること、できなかったこと
学内の不祥事についての報告書に衝撃を受けて一か月。
その内容を疑う訳ではないが、それでも本当に本人なのか、ゼフィールはこの目で確認したかった。
できればイリスには悟られないままで。
どうせゼフィールには、顔を見て話す事など出来はしないのだ。
何を話せばいいのか判らなくなった挙句に、意味不明の話を投げかけたくなるのだから。
だからまずはケイン・バーカントンに探りを入れることにした。
結局まだゼフィールには側近も、傍付きの騎士もいないままだった。
なんとなく、これと思える相手が見つけられなかったからだ。
きっとこのまま、いつか他国の姫か女王の後添えになるとか、国家間の交渉に使われる可能性が高いんじゃないかと思うと、心を通じる相手を国内に増やす気になれなかったのである。
『ネリウス師とランドがいるので』
ここまでずっとそう押し通してきたのだが、ある意味丁度良かった。
「傍付き騎士を探そうと思って」そう言えば、卒業後には従騎士となる学園の生徒たちが訓練を積み重ねる場へふらりと立ち寄ることもできた。声を掛けるのも簡単だった。
剣の腕を褒め、卒業後の進路を軽い口調で訊ねる。
「卒業後は、エリントン家の令嬢と婚約はしているんで婿入りすることになっています。そこでエリントン辺境伯家の私兵団へ入団する予定です。でも、家が勝手に決めただけで。…あいつには兄がいるし、婿入りして辺境伯爵を受けられるのか判んないし。ホントはさ、なんか貧乏くじ引かされた気がしてる。やっぱりさ、三男ってホント損ですよねー。長男に生まれたかったとゼフィール王子も思ってるんでしょ?」
僕は王子とは言え王位継承権の低い第三王子だし年下だ。だから敬語を使う気になれないのかそれ以前に敬語を使い慣れていないのかどちらかは判らないけれど、話を続けていく内にあっという間に崩れ馴れ馴れしくなっていく言葉に萎える。
ケイン・バーカントンという男を傍付きに迎えることは無いなと笑顔で会話をしながら思う。
剣が強いだけでは騎士にも側近にも向かないと思う。一兵卒が関の山だ。さらに、「婚約者といっても可愛げもないし」ぼそりと付け足されたイリスへの評価に、こめかみへ余計な力が入る。しかし、それを表に出さないよう気を引き締める。
「へぇ。エリントン辺境伯の嫡男とは知り合いなんだ。兄は綺麗な顔をしてるのに、妹さんは違うの?」
愚痴を言いたそうにしていたので水を向けると、出るわ出るわ。イリス嬢への不満でケインの頭はぱんぱんのようだった。
「偉そうなんだよ、あいつ。婿を取るのはあっちだけどさ、跡取りな訳でもない癖に。それに…」
「女だてらに、騎士団見習いに所属してたんですよ、コイツの婚約者!」
「なー! 女の癖に『騎士になる~』なぁんて、いきっちゃってさぁ」
ゲラゲラと笑いながら闖入してきた仲間たちの茶々に、虫唾が奔った。
「とにかく可愛げもないし、令嬢もどきでしかない嫌な女なんだよ」
その言葉に、コイツ等全員絶対に泣かす、とゼフィールは心に決めた。
泣かせてやると心に決めた筈だったけれど、それでもやっぱり、ゼフィールは悩んでいた。
──イリスから、最愛の婚約者を取り上げて、その後はどうするつもりだろう。
ネリウスと話すのは、学園内の不祥事をどう処理するのかと、イリスとケインの婚約をケイン有責で破棄させるということばかりだ。
そこに未来のビジョンはまったくない。
それよりも。
僕は、本当に。彼女の恋を勝手に終わらせてしまってもいいのか?
ふらふらと歩いて行った中庭の木立の中で座り込む。
すると、最上級生の教室がある廊下の窓辺に、こちらに視線を向けているひとりの女子生徒の姿に気が付いた。
視線は僕からちょっとずれてるっぽい。
その表情までは見えなかったけれど。
あの時と同じ夕暮れが始まるピンク色の光が射しこむ廊下で、きっとまた彼を見つめているのだろう。
あの時と同じ想いをその瞳に宿して。
そう思った時、何かに気が付いた様子でその女子生徒が、慌てて窓から隠れた。
見つめていた先を探せば、少し離れた場所にある中庭のベンチの上で、ケインとあの報告書にあった特徴そのものをした女子生徒が仲良さげに寄り添っていた。
重なっていたふたりの姿が少しだけ離れた時、窓辺にいた彼女が何を見たのか、判った。
弾かれるように走り出す。
会えるとは限らないのに、ゼフィールは普段足を踏み入れない棟の階段を駆け上り、その人を探す。
(運動不足だ)
上がる息と普段と違う慌ただしさで刻む心臓の音に、もうちょっと身体を動かさないと駄目だなと思いながら懸命に足を動かした。もうすぐ彼女が立っていた筈の階につく、そう思ったところで、ひとつ上の階の階段の踊り場から、声を潜めて泣く声がした。
すすり泣くその声は、子供が必死になにかを我慢するそれに聞こえて。
ゼフィールは、それ以上そばに近寄ることが出来なかった。
ただ、そのすすり泣く声が聞こえなくなるまでずっと、そこに立ち尽くしていた。
「…フィール様? ゼフィール殿下!」
「うわっ?!」
いきなり耳元で大きな声で名前を呼ばれて、ゼフィールは驚いて立ち上がった。
どうやらいつの間にか授業は終わっていたようだ。クラスメイトはほとんどが教室から移動済だった。
「くすくす。授業中お眠りになられていらしたのですか? お昼、食べ損ねますよ」
ゼフィールを取り囲むクラスメイトのひとりに笑顔でそう言われて、思わず顔が赤くなった。
「違う。ちょっと、考え事をしていただけだ」
「まぁ! そういえば昨日の武勇伝、お聞きしてますわ」
「そうですわ、殿下。殿下から直接その武勇伝をお聞かせくださいませ」
きゃいきゃいと騒ぐクラスメイト達に思わず苦く笑った。
「武勇伝なんかじゃないよ。話せることも、特にないかな」
冗談ではない。何が悲しくて、あれだけ盛大に振られた話をクラスメイトたちの前で披露しなければならないのか。
「僕、行くところがあるから。食堂にはまた今度ね」
食欲なんか湧かない。というか食堂なんかに足を踏み入れてイリス嬢に会ったらどうすればいいというのか。会わせる顔なんかない。
今朝も、いきなり馬鹿なことを口にしてしまった。
これまでずっと想いを秘めてきたからだ。きっとそうに違いない。
もうイリスには婚約者はいない。
だから隠す必要はないのだと思うと、口から勝手に零れるように出て行ってしまった。
降車場には人も少なかったけれど、お昼の時間の食堂で再びそんなことになったらどんなことになるのか。考えたくもない。
イリス嬢にこれ以上迷惑を掛けたくなかった。
ガラリ
教室の扉を開いたところに、イリス嬢が立っていた。
「あの、昨日は…いえ、今朝もその…」
普段の凛々しいそれとは違う、赤くなって口籠る表情が愛らしい。
綺麗な立ち姿。手入れの行き届いた美しい髪。
初めて真正面で見る、恥じらいに潤んだその瞳に、ゼフィールはそこに星がある、と思わず手を伸ばした。
「綺麗だ。なんて美しい」
その指が、イリスの滑らかな頬にそうっと触れた瞬間、弾かれたようにパッとイリスが走り出した。
「あ」
その声は、誰のものだったのか。
廊下にひとり残されたゼフィールには分からなかった。
ヘタレ恋愛初心者カポー