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燃やした荷車にも、請求書は残ります

 北門を出た途端、焦げた木と濡れた灰の匂いが鼻を刺しました。


 街道脇の窪地で、六台の荷車が赤い炎に包まれています。割れた水樽から流れた水が火の裾を消し、白い蒸気を立ち上らせていました。


 その向こうに、黒鷲の紋章をつけた三十名ほどの男たち。そして、金箔の冠を戴いたレナードが馬上からこちらを睨んでおります。


「ようやく来たか、セシリア!」


 まるで待ち合わせに遅れたわたくしが悪いような口ぶりです。


 人の水樽を燃やしておいて、礼儀だけを要求できるご身分は、ずいぶん燃費がよろしいことで。


「これは王都の水だ! お前はまた、王国の財産をヴェルデンへ持ち出そうとした!」


「そちらは共同交易組合所有の荷車でございます。樽の水は王都へ届け終えておりますので、帰路は空でございました」


 レナードの勝ち誇った表情が止まりました。


「空……だと?」


「はい。おかげさまで北側の井戸は十八か所まで再開しております。今朝から水樽輸送は診療所と孤児院への二台だけに縮小いたしました」


 つまり彼が勇ましく燃やしたのは、空樽六つと荷車六台です。


 水不足の王都を脅すつもりで、貴重な薪を増やしてくださったらしい。


「嘘をつくな! ならば、なぜ兵をつけて運んでいた!」


「帰路の積み荷に、王国清算に必要な封印箱が含まれていたからです。殿下の立て籠もりが鎮圧された際、祭祀室から持ち出された親板が回収されました。再接続を防ぐため鉛張りの箱に封じ、ヴェルデンと十二席評議会の共同保管へ移送する途中でございました」


 エルネスト様が半歩前へ出ました。剣の柄には触れておりません。ただ、その場にいる全員へ届く声で告げます。


「荷車はヴェルデン大公国との共同交易契約によって保護されている。焼却した者には、車体、樽、遅延損失の賠償義務が生じる」


「黙れ、隣国の大公風情が!」


「ここは王都の北門外ですわ、レナード殿下」


 わたくしは訂正いたしました。


「それから、退位宣言により殿下の王位継承権は剥奪されております。現在の統治権は十二席評議会にございますので、王国軍を名乗る権限もございません」


「私は王だ!」


「王を名乗るのはご自由ですが、自由には請求書がついてまいります」


 わたくしは早馬の使者から被害記録を受け取り、その場で算盤を弾きました。


 荷車六台、樽六本、革覆い、鉄輪。交換所から代車を出す費用に、遅延半日分の補償。さらに街道上で火を使ったため、消火に動員した人夫の賃金。


「合計、銀貨千八百四十二枚でございます」


「たかが荷車に、そのような額を払えるか!」


「でしたら、命令を受けて火を放った方々へ按分して請求いたします」


 黒鷲衛兵隊の間に、低いざわめきが走りました。


 レナードは慌てて振り返ります。


「怯むな! 王都を奪い返せば、国庫から倍の褒美を出す!」


「国庫の支出には十二席評議会の承認が必要です」


「私の命令が承認だ!」


「先ほど申し上げましたでしょう。殿下には、その権限がございません」


 黒鷲衛兵隊の一人が、懐から折れた紙を出しました。


「では、この給与証書はどうなる」


 受け取って確かめると、金貨十枚の支払いを約束した証書でした。ただし押されているのは、もはや効力を失ったレナードの私印だけ。国庫の受領印も、評議会の副署もありません。


「王家の債務ではなく、レナード個人の債務でございます」


「そんなはずはない!」


「では、殿下ご自身の金庫からお支払いくださいませ」


 沈黙が落ちました。


 たいへん分かりやすい沈黙でした。


 二か月も無給だった北境騎士隊と同じことを、今度はご自分で雇った黒鷲衛兵隊にまでなさったのです。


 王位を失い、国庫を失い、それでも命令だけは以前のまま。


 冠を金箔で飾っても、中身まで金になるわけではございません。


「武器を置いた方には、街道放火の事情聴取を受けていただきます」


 わたくしは男たちへ告げました。


「ただし、水路清掃の働き手は不足しております。事情聴取を終え、評議会が認めた方には、半刻ごとの交代勤務を提示します。賃金は一日ごとに銀貨で支給いたします」


「我々を買収するつもりか!」


 レナードが叫びました。


「いいえ。働いた方へ、働いた分をお支払いするだけです」


 最初に剣を置いたのは、給与証書を差し出した男でした。


 次に二人。さらに五人。


 乾いた音が次々と街道へ落ちます。


 誰もレナードを裏切ったのではありません。初めから、支払われるはずの賃金を求めていただけです。


 契約を守らない雇い主のもとから、契約を守る仕事へ移った。


 それだけのことでございます。


「卑怯者どもめ!」


 レナードが馬首を返しました。


 残った数名が煙幕代わりに燃える車体を街道へ倒し、その隙に東の脇道へ駆け去ります。追おうとした兵を、わたくしは止めました。


「火を先に。追跡はその後です」


 逃げる一人を捕らえるために、王都へ続く街道を焼く必要はございません。


 消火後、交換所へ伝令を走らせました。三か所に置いてある共通規格の車軸と車輪を一組ずつ運ばせ、焼け残った鉄具を選別します。共同交易組合の荷車は、どこでも同じ寸法の部品へ交換できるよう整えてありました。


 日没前には二台が組み上がり、翌朝には六台すべての代車が揃いました。


 降伏した元黒鷲衛兵たちは、革手袋と長靴を受け取り、東側水路の泥を運び出します。腕力は十分。命令系統さえ正しければ、働きぶりにも問題はありません。


 さらに残る二本の井戸から沈殿を除き、北側の生活用水路はすべて再開しました。


 燃やされた荷車は戻りません。


 けれど、一本の道具が失われても仕組みそのものが止まらないようにしておけば、暮らしは翌朝から動かせます。


 それが、わたくしがヴェルデンで作りたかった強さでした。


 最後の火が消えた頃、エルネスト様がわたくしの右手を取りました。


「痛むだろう」


 見れば、火のそばで帳簿を押さえた際、手袋の端が焦げていました。掌には細い赤みが走っています。


「この程度でしたら――」


「仕事ができるかどうかは尋ねていない」


 彼は水で冷やした布を、わたくしの掌へ巻きました。大きな指が、傷へ触れぬよう慎重に布の端を結びます。


「君は、痛いときまで損失を小さく申告するのか」


「過大に申告して、嫌われたくはございませんもの」


 口にしてから、少々率直すぎたと気づきました。


 けれど彼は手を離さず、わたくしの掌ごと包みます。


「それで私が君を嫌うなら、見る目のない雇い主として解任してくれ」


「大公を解任できる役職は、筆頭顧問の契約にございませんわ」


「では、一緒に帰りたい者としての権限に加えてほしい」


 胸の奥が、消えたはずの火より温かくなりました。


「承認いたします」


「任期はヴェルデンまでだったな」


「本日の働きは良好でしたので、その先まで延長いたしましょう」


 彼の指に、わたくしから指を重ねました。


 そのとき、焼けた荷台を調べていた使者が駆け寄ってきました。


「清算人殿。封印箱が一つ足りません。銀板の親板を納めた鉛張りの箱です!」


 炎は水樽を焼くためではなかった。


 レナードは混乱に乗じ、マリエルの偽りの祝福を証明する親板を持ち去ったのです。


 わたくしは東の脇道に残る、深く沈んだ車輪跡を見ました。重い鉛張りの箱を積んだ荷車では、遠くまで走れません。


「三つの車軸交換所へ青二本の荷札を。レナードの一行には、車輪も馬も渡さないよう通達してください」


 追いかける必要はございません。


 あの道を走らせているのも、わたくしの仕組みなのです。


(第29話へ続く)

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