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第89話:長老と呼ばれる不死鳥


突風が耳元で轟音を立てて通り過ぎていく。


「ひぃぃぃぃぃぃぃっ!」


 迷宮都市ゴルドランのど真ん中、地下へと続く巨大な『迷宮の入り口』の正面。防波堤という名目で建てられた『白竜の翼』ギルドハウスの広大なモンスター・ランから飛び立った三体の巨竜は、瞬く間に分厚い雲海を突き抜けていた。


 俺、エルヴァンは現在、上空数千メートルという未知の領域で、己の握力が尽きないことだけを神に祈りながら必死にしがみついている。


 しがみついている相手は、全長三十メートルを超える白き巨竜――本来の姿のファルだ。普段は手のひらサイズのもふもふネズミとして俺のポケットや龍玉の中にいる彼だが、真の姿は神々しいまでの威厳に満ちた幸運の古竜である。


「どうじゃエルヴァン。空からの眺めは最高じゃろう?

 乗り心地も最高じゃろうて ワシの毛並みは、天上の雲よりも柔らかく温かいからのう」


「ファ、ファル……! お願いだから急に揺らさないで……っ! 落ちる! 落ちるから! 景色なんて見てる余裕ないよ……っ!」


 ファルは上機嫌で笑うが、背中の特等席に乗せられている俺の生きた心地はゼロだ。手は情けなく震え、目を固く閉じ、ファルの極上の毛並みに顔を埋めることしかできない。

 三十五年ローンで建てた愛しのマイホームが米粒のように小さくなり、やがて雲の下に消えていくのを見た瞬間、俺の恐怖心は限界を突破していた。


「アァンもう、坊やったらビビリねェ! せっかくの空の旅なんだから、もっと全身で風を感じなさいナ!」


 俺の悲鳴をよそに、隣を並走(並飛?)するのは、エメラルドグリーンの美しい鱗を持つ古竜、ジェイドだ。

 彼の頭にはハイビスカスの冠が咲き誇り、長い尻尾の先には大輪の向日葵が風に揺れている。上空の凄まじい風圧の中でも花びら一枚散らないのは、間違いなく古竜のデタラメな魔力のおかげだろう。

 ジェイドは空中で無駄に優雅なターンを決め、キラキラとした鱗の粉を撒き散らしながら煽ってくる。


「ジェイドも近寄らないで!  ぶつかる!!

  あと急に回転しないで、見てるだけで酔うから!」


「……人間の身では仕方あるまいが、情けないぞ我が主。我のように己の力で空を統べれば、恐怖などとうの昔に消え去るものを」


 ジェイドとは反対側、少し距離を置いて飛んでいるのは漆黒の古竜ゼノスだ。黒曜石のように輝く鱗と鋭い双角を持つ彼は、ジェイドの向日葵の種や花粉が飛んでくるのをひどく嫌がり、あからさまに不機嫌そうな顔で風上をキープしている。


 高度はさらに上がり、とうとう周囲は万年雪に閉ざされた峻険な山脈地帯へと差し掛かった。

 本来なら酸素が薄く、あっという間に凍死してもおかしくない極寒の世界のはずだ。しかし、ファルの白銀の毛並みから発せられる温かな魔力と、前方の山頂から届き始めた不思議な「熱気」のおかげで、俺の体は春の陽だまりにいるようにポカポカとしていた。


「ほら、見えてきたわヨォン。あそこの頂がアタシの親友、エターナちゃんの聖域よ!」


 ジェイドの声に恐る恐る薄目を開けると、真っ白な雪山の頂上付近に、そこだけ不自然に雪が解け、ぽっかりと円状に緑が広がる異空間があった。

 ファルがゆっくりと旋回し、その緑の空間へと巨体を降ろしていく。ドスッ、とわずかな地響きを立てて着陸すると、ゼノスとジェイドもそれに続いた。


「着いたぞ、エルヴァン。ほれ、降りるのじゃ。ワシは飛んだら腹が減ったぞ」

「あ、ありがとう……ファル……」


 ファルが前足を折りたたんで背中を低くしてくれたおかげで、俺は滑り降りるようにして地面に足をついた。

 しかし、極度の緊張と恐怖から解放された反動で足に力が入らず、生まれたての小鹿のようにガクガクと膝が震えてしまう。胃の中がぐるぐると回り、三半規管が完全に狂っていた。


「うぅ……地面が揺れてる……」


 フラフラと立ち上がり、何とか吐き気を堪えて顔を上げた俺の目に飛び込んできたのは、万年雪の山頂とは到底思えない、色鮮やかな高山植物が咲き乱れる美しい庭園だった。ほのかに甘い花の香りが鼻をくすぐる。


 そして、その中央。

そして、その中央。

白く輝く巨大な結晶樹の枝に、それは静かに留まっていた。


燃え盛る炎をそのまま羽毛に変えたような、神々しくも美しい一羽の鳥。

尾羽は夕日のように温かなオレンジ色に輝き、優雅に揺らめいている。全身から立ち上る炎は、周囲の草花を焦がすどころか、シリウスの青い炎と同じように、触れるものを優しく包み込むような慈愛の温もりを放っていた。


その圧倒的な神秘の気配に、俺は思わず息を呑んだ。

ジェイドから「おじいちゃん」と聞いていた俺は、もっとこう、目つきの鋭い巨大な老鳥か、しわがれた声で語りかけてくる仙人のような存在を想像していたのだ。だが、目の前にいるのは、造形美の極致とも言える華麗な炎の霊鳥である。


「おじいちゃーん! 遊びに来たわよォン!」


 ジェイドが嬉しそうに駆け寄り巨大な顔をすり寄せようとすると、枝に留まっていた美しい不死鳥が、スッと優雅に首を傾げた。


『……お久しぶりですわ、ジェイド。ですが、その呼び方は前世の時に禁止したはずですけれど?』


 俺の脳内に直接響いた「念話」の声は――鈴を転がすような、気品あふれる若い女性のものだった。


 目の前にいるのは神話に出てくるような炎の鳥だ。なのに、聞こえてくるのは完全にお城のバルコニーで紅茶を飲んでいそうなお嬢様の声である。


『わたくしは今、エターナという名のお淑やかな乙女ですのよ。もう、乱暴に揺らさないでくださる? 羽毛が乱れてしまいますわ』


 呆れたような、しかし上品な笑みを含んだ声。

 フェニックスは一定の期間を生きると灰になり、再びそこから生まれ変わるという。記憶を持ったまま転生を繰り返す彼女にとって、今の「精神的なマイブーム」がお嬢様ということなのだろうか。


(鳥なのに……お嬢様!?  しかもおじいちゃんって呼ばれてるのに!?)


 俺が内心で激しくツッコミを入れていると、枝に留まるエターナは、そのオレンジ色の瞳でファルと俺を捉えた。


『それに……あら、ファルおじい様。お久しぶりですわね。今日はお忍びの散歩かしら?』


「ほっほっほ、エターナも元気そうで何よりじゃ。今回はちと、ワシの主の頼みがあって参ったんじゃよ」


『まあ。それは構いませんけれど……』


 不死鳥はバサリと一度だけ炎の翼を広げ、ふんわりと地面に舞い降りた。そして、品を定めるような優雅な仕草で俺を見つめる。


『そちらの顔色の悪い人間が、貴方の新しい主かしら? ずいぶんと足腰が貧弱なようですけれど、息は出来ておりますの?』


「えっ、あ、はい……!  ていうか、ファルのことをおじい様って……

 ウッ、ちょっと待って、やっぱりまだ地面が回ってる……」


 神話級の存在であるはずの不死鳥。その神々しい鳥の姿と、「お嬢様」という強烈な口調のギャップ。さらには「おじいちゃん」と呼ばれていたのに、ファルのことを「おじい様」と呼ぶカオスな関係性。


 俺の混乱は深まるばかりだったが、休んでいる暇はない。これから彼女に「原初の暴食」の昔の生態を聞き出し、あの途方もない作戦を成功に導かなくてはならないのだ。

 俺はふらつく足に気合を入れ直し、気高くも謎めいた「炎のお嬢様鳥」に向き直った。

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