第39話:王都からの特使
『白竜の翼』のギルドマスター執務室。
木目が美しい真新しいマホガニーのデスクからふと顔を上げ、俺は壁一面に備え付けられた大きな窓の外へと視線を向けた。
窓の向こうに広がるのは、三十五年フルローンを組んでまで確保した、高い塀に囲まれた広大な中庭にあるモンスター・ラン。そこでは、本来の三十メートル超えの姿に戻ったファルが、青々と茂った芝生の上に寝転がり、口を大きく開けて大あくびをしている。
ファルの巨大な体を覆うのは、陽の光を浴びてキラキラと輝く美しい純白のロングヘア。風が吹くたびにその長い毛並みがふわりと揺れる様は、まさに神獣という言葉にふさわしい神々しさである。
……本人は現在、見事なまでにだらしない格好でへそ天になっているが。
そのファルのふかふかの腹の上では、シリウスが丸まってうたた寝をしており、周囲ではニーナとプルちゃんが楽しそうに追いかけっこをしている。
「はぁ……和むなぁ。ずっとあのフワフワの長い毛並みに顔を埋めたり、シリウスの温かい体を撫でたりしながら暮らしたい……。書類仕事なんて放り出して、今すぐあそこに混ざりたいぞ俺は……」
俺はセリアが淹れてくれた温かいハーブティーを啜りながら、心の底からの現実逃避を呟いた。
ここ数日、俺の胃はずっと重苦しい痛みを訴え続けている。原因は明白だ。王都の軍務局から『特使』がゴルドランへ視察にやって来るという知らせを受けているからだ。
予定では、明日の午後に冒険者ギルドの応接室で、ガストンさんという強力な盾を交えて面会する手はずになっている。こんな田舎のテイマーギルドに、なぜ王都の人間が直々にやって来るのか。胃の痛いイベントは一日でも、一秒でも先延ばしにしたいのが、小市民たる凡人の性である。
――ガチャァンッ!!
「エ、エルっ! 大変です!!」
平和な午後のお茶の時間を引きさくように、執務室のドアが乱暴に開かれた。
飛び込んできたのは、血相を変えたセリアだ。普段は冷静沈着で、完璧な秘書として立ち振る舞う彼女が、ノックすら忘れてここまで取り乱すなんて尋常な事態ではない。
「どうした、セリア!? まさかまたスタンピードの兆候でもあったのか!?」
「違います! たった今、ギルドの正面玄関に……王都の特使が直接乗り込んできました!!」
「……はい?」
俺の思考が数秒フリーズし、持っていたティーカップを危うく落としそうになった。
「いやいやいや、ちょっと待て! 面会は明日の午後、冒険者ギルドでって話だっただろ!?」
「向こうの予定の『前倒し』です! 重武装の護衛騎士を十人近くも引き連れて、こちらの制止を振り切り、強引に中へ……っ!」
セリアが言い終わるより早く、彼女の背後の廊下から、コツ、コツ、と硬質な靴音が響いてきた。
「――事前通達通りの視察では、あなた方が念入りに準備した『表の顔』しか見られませんからね。軍務局としては、虚飾を取り払ったありのままの戦力を査定させていただきたく存じますよ。新進気鋭のAランク冒険者、『蒼炎のテイマー』殿」
開け放たれたドアの向こうから、一人の男が執務室へと足を踏み入れた。
豪奢だが機能的な軍務局の制服に身を包んだ、銀髪の細身の男。切れ長で冷ややかな氷のような瞳の奥には、確かな知性が光っている。血色の薄い唇には、他者を初めから見下しているような、薄く優雅な笑みが張り付いていた。
その後ろには、威圧感たっぷりの王都の騎士たちがズラリと廊下を埋め尽くしている。
「初めまして、エルヴァン殿。私は王都軍務局・特務調査官のユリウス・フォン・ローゼンベルク子爵。本日は我が国の貴重な軍事資産の査定に参りました」
特使、ユリウス。
その丁寧で淀みのない口調とは裏腹に、俺を見る彼の目は完全に「道端の石」を見るそれだった。高慢で、嫌味ったらしい絵に描いたような貴族。だが、ただの傲慢なだけのバカじゃない。こちらの隠蔽工作や準備が整う前に、こうして『抜き打ち』で本拠地へ急襲をかけてくるあたり、相当頭が切れるし、性格も執念深いタイプだ。
「あ、ええと……これはご丁寧に。ギルドマスターのエルヴァンです。しかし、軍事資産とは穏やかじゃありませんね。俺たちはただの魔物好きの集まりで――」
「謙遜は不要です」
ユリウスは冷たく俺の言葉を遮ると、懐から綺麗に折り畳まれた一枚の書類を取り出した。
「追放された落ちこぼれテイマーが、悪魔種『ナイトメア』を従え、瞬く間にAランクへ昇格。さらに、高難易度の魔物を討伐し、一部の者からは『災厄喰らい』とすら呼ばれている……。随分と、ファンタジー小説の主人公のような輝かしい経歴をお持ちだ」
「うっ……」
それは俺じゃなくて、相棒たちが規格外なだけなのに……!
「ガストン支部長は『運が良かっただけだ』『彼はただ料理が得意なだけの若者だ』とあなたを懸命に庇っていましたが……私はね、エルヴァン殿。奇跡や幸運などという、非論理的で馬鹿げたおとぎ話は一切信じない主義なんですよ」
ユリウスの氷の瞳が、俺の眼球を真っ向から射抜く。
その視線には、隠し事を絶対に許さないという冷徹な意志が宿っていた。
「何かある。あなたには、国家の戦局すら左右し得る『隠された力』が必ずあるはずだ。……たとえば、古に失われた危険なテイム技術や、まだ誰も知らない『未知の強力な魔物』を裏で隠し持っている、とかね」
ドクン、と心臓が嫌な音を立てた。
こいつ鋭すぎ。完全にこちらの『隠し事』の核心を疑ってかかっている。
「さあ、見せていただきましょうか。あなたが隠し持っている戦力のすべてを。……まずは、この建物の見学からお願いできますかな?」
ユリウスが一歩、部屋の中へと踏み込んでくる。
その瞬間、俺の全身からブワッと嫌な冷や汗が噴き出した。
マズい。超マズい!!
俺の執務室の窓には、日差しを取り込むためにカーテンがついていない。
今この男がもう数歩前に出て、あの大きな窓の外を見下ろしたら……!
そこには、三十メートルの超巨大な幸運の白竜が、腹を出して芝生で無防備に昼寝している光景が丸見えじゃないかぁぁぁーーっ!?
「あっ、ちょ、ちょっと待って!!」
俺は悲鳴のような声を上げ、ユリウスと窓の間に立ち塞がるように、全力でデスクの上へとダイブしたのだった。
◆◆◆◇◇◇◆◆◆
読んでいただきありがとうございます。
少しでも面白かったと思っていただけたら、ブックマークや評価を頂けると幸いです。
皆様の応援が、モチベーションアップの原動力となります。
毎日、午前7時頃に更新予定です。よろしくお願いします!!




