光の円環さまおかしい
床屋のおやじ(名前を火鉢焼三郎といった)の紹介で無事に(?)宗教法人<光の円環>への入信を果たした夏樹は、まず、説明会に参加していた。
説明会が行われる場所は、建物一階にある大部屋で、この時には通常の活動は行われないようになっていた。
新しく加わる仲間への説明が、係の人間によってなされるのだ。
この時点ではまだ、代表者に会うことはできない。姿を見るのは、まだお預けのようだ。
「このように、光の円環さまは天照大御神の力を魂に宿すことで、通常の人間とは異なる構造の身体に変化を果たしました。そのため、体液にアムリタの成分が含まれますので、光の円環さまからは、とても甘くていい匂いがいたします」
そのような<光の円環さま>に関する説明が、映像や音声などの材料も使いながら延々3時間ほどは続いた。
なので、終わるころには光の円環さまにお会いしたくてたまらなくなったし、なんて素晴らしい人がいたのだろうと、感動で胸が一杯になっていた。
その後、参加者全員にふるまわれた飲み物は、白い花びらの浮かんだフラワーティーで、とても甘い匂いがするものだった。味はよくあるハーブティーのそれで、リラックス効果もあるのか、なんとなく心が落ち着いたような気がして、幸せな気持ちになる。
最後に、外部向けの教団パンフレットと、入信の証であるという白薔薇のピンバッジを渡される。活動を行う際には、目に見える場所に付けていてくださいねという話だった。
そこまでが入信初日のスケジュールで、その日はそれで帰宅となる。
後日━━これは信者それぞれの都合でいつでもいいらしいのだが、2回目からの活動で、より本格的なものを実践していくという話だった。夏樹は、なぜだかそれが楽しみになっているのを自覚していた。バイトもあるのでそれほど暇はないのだが、それでも時間がある日に来てみようと思う。なにしろまだ光の円環さまの姿も見てはいないので、これでは「調査」としても不十分だろう。それに、床屋さんともまだ会っていない。なので、それらを調べるのにも、2回目以降の活動は必須だった。
家に戻ると、リビングに設置された機器を片付けている初雪と季瀬姫に迎えられる。
彼女たちはここで、教団内部の様子と夏樹の行動を見ていたのである。
これには季瀬姫が開発した「絶対に見つからないカメラと盗聴機」が夏樹の身体に仕掛けられていたので、それを通すことで可能になっていた。ちなみに夏樹自身、自分の身体のいったいどこにそんなものがあるのか、いまだにわかっていない。彼が寝ている間に、季瀬姫がすべて仕掛けていたらしいのだが。
「ご苦労、お兄ちゃん。光の円環、感想は?」見ていたので内容はわかっているはずだが、それでも初雪は感想を求めた。
「別にこれといって、怪しい団体じゃなさそうだぞ。むしろ、床屋さんにとってはよかったんじゃないのか?」
「へぇ、そう」
思いの外テンション低く、それだけ言った初雪はもうそれ以上なにも訊いてはこなかった。
「はっちゃんのお兄さんには、もしかすると向いているのかもしれませんね、こういうの」
そんな季瀬姫の言葉に、いつもの夏樹であれば否定でもするところだったが、この時には「そうかも」と、肯定していた。
先入観で思っていたほどには悪いものじゃないという考えが、彼の頭を支配していたのだ。
*****
2回目の活動日。
この日はバイトが休みで(このために、わざわざ休みをもらった)、午前中の活動から参加することができた。午前と午後、それぞれに活動開始時刻があって、参加する場合はそれぞれの開始前までに到着していなければいけない。
光の円環の建物に入ると、玄関ホール兼待ち合い室のスペースに、数人の先客がいた。その中には、床屋の主人の姿もあった。
本来の目的の一つである、床屋のオヤジの動向を探るということも、引き続き行わなくてはならない。だがまあ、このままいけば家族に報告するようなことはなにもないと、夏樹は考えている。むしろ、彼の人生にとってプラスになるような気さえしていた。
この時の夏樹には━━
「ではみなさま、これよりクンクンバンバンバンを行いますね」
建物二階部分にある<修練の間>にて、床に座らされ(基本はあぐらの姿勢だが、できなければ正座でもいいらしい)整然と並んだ人々の、その正面に立つ中年の(上品な雰囲気でラフな格好をしている)女性がマイクを持って指示をだす。
同じ信者ではあるのだろうが、係の人がカゴを持って歩き、一人一人になにかを配る。
夏樹も、布を渡された。
よく見たら、かわいいハンカチだった。ハンケチと言ってもいい。夏樹は言わないけれど。
(で、これをどうするんだろう?)
横のオバサンを見ると、しかしその女性が持っているのはどう見ても靴下で、夏樹のものとは異なっていた。よくよく見てみれば、全員違うものを渡されている。いずれも衣類関係のもので、中には完全なる女性用の下着を手にしている人すらいた。
「はじめてのかたのために説明しますと、今お渡ししたものは光の円環さまが身につけた品々になります。ですので━━お鼻に近づけていただければわかりますが、とても甘い、いい匂いがいたします。これは、光の円環さまの身体から滲み出るアムリタによるものですね」
言われて匂いを嗅いでみると、確かに甘ったるい匂いがした。すごくいい匂いで、なんだか変な気分になる。
(これは……)梨理夢の匂いに近い。彼女が夏樹にまとわりつく時に、フワリと香る女の子のいい匂いと一緒だった。
無視するにはあまりにも魅力的な匂いで、つまりは男が抗えない類のものなのだ。
「まずはその匂いを……クンカ、クンカと2回大きく吸い込みます。もちろん、お鼻からですよ━━もっと嗅いでいたいですよね? でも、ダメです。きっちり2回吸い込みましたら、お鼻から離してくださいね」
言われた通りにやってみる。
すでに理解している人たちは、じっと黙って聞いていた。はじめて参加する信者だけが、覚えるために手を動かす。
「はい、そうしましたら手に持っていたものを、自分の足の上にポトリと落とします。空いた両手を横にしてぇ……床をバンバンバン! 激しく叩きましょう」
バンバンバンと、数人分の音が響いた。
「はい、そしてまた足の上の物を拾ってぇ、クンカクンカ━━匂いを嗅ぐことができます。これを一定の速度で何度も繰り返します。重要なのは、バンバンバンのタイミングを合わせることですね。普段の修練ではわたくしが合図をいたしますが、上級者になりますと合図なしでも合わせることができるようになりますので、是非ともみなさまにはそこを目指していただきたいと思います」
定められた目標に、夏樹はやる気が出てきていた。すでに、床屋の主人のことなどは、すっかり忘れ去っていた。
*****
「お兄さん、なんの疑いもなくがんばってますね?」
モニターの前で、季瀬姫が言う。
「こんな活動をするお兄さんも、なんだか素敵です」
これは、遊びにきていた梨理夢。初雪の背中に被さるようにして、隠し撮りの映像を一緒に見ている。
季瀬姫の隣で、梨理夢を背負いながらの初雪は、ちょっと鳥肌を立てながらその映像に見入っていた。
「こいつ……マジで終わった……クンカクンカバンバンバンになんの疑問も持ってない……」ちょっと名前を覚えきれていなかった初雪が呟く。
おそらく無心でその行為を繰り返す兄の姿は、はっきり言って恐怖以外のなにものでもなかった。
「動物園のサルが、似たようなことをしていたな」
と、冷ややかな目で観察していた春風が、そのままの冷たい言葉を発した。
「うわぁ……もう見てらんないよぉ……何分続けるの、これ?」
「知らん。死ぬまでやってるといいな」
バンバンバンという音が、スピーカーから鳴り続ける。
*****
数セットに及ぶクンクンバンバンバンと、その日は他に「渦巻き体操」と「ラーバダーツー・ジェット・チン」というものを覚えて、丸一日がかりの修練を行った。
最後に━━これは特別なことであると、司会進行役をしていた女性が大仰な身ぶりで話しだす。
なんと、滅多にお姿を拝見できない光の円環さま本人が、いらっしゃるというのだ。
それを聞いて、夏樹の胸は高鳴った。
いよいよご登場となると、なぜか照明が薄暗くなり、部屋の奥━━女性の後方にあった、ステージの緞帳がゆっくりと上がり、その向こうに誰かが一人で立っていた。
ステージ上の、その人物の周りにだけ、うっすらと光が当てられる。
顔の上部は布がかかってよく見えず、その口元だけが笑みを浮かべる。紅をさした口元は、どうやら女性で━━いや、全体を見れば、それは明らかに女性の身体だった。しかも、おそらく美しい。
絶妙に半透明な素材でできた衣服は、薄い光によって中の身体を浮き上がらせる。すっかり見えているわけではないのだが、身体のラインははっきりとわかった。そのシルエットに、夏樹をはじめ、男性信者たちの目は釘付けになる。女性信者もなぜか、生唾を飲み込みながら凝視していた。
「光の子らよ、おひさしぶりぃ。今日はなんだか新しい人が多いみたいだし、うふ、若い子もいるみたいだから、わたしが直接説明するわね━━単刀直入に、この教団への愛の証明(現金払い)が累計三百万ラブ(三百万円)になった人には、わたしがチュパチュパしてあげる。累計一千万ラブ(一千万円)になったら、うふふ、楽しみにしててね……」
それだけ言うと、怪しく、艶かしい声の光の円環さまは、その姿を緞帳の向こうに消した。絶妙なタイミングで、幕が降ろされたのだ。
彼女の語った「愛の証明」がなんだかわからなかったのだが、帰り際、その説明をようやく聞かされることになる。
「その日に配られた、クンクンバンバンバン用の衣類は各自でお持ち帰りいただいて結構でございます。もちろん無料ですが、皆様がたからの『愛の証明』はお受けいたします。ただし、1日にお受けできる上限を十万ラブ(十万円)とさせていただきますので、ご注意くださいませ」
床屋のオヤジが上限である十万円を<愛の箱>に入れていたようだが、夏樹は手持ちがなかったために、一円たりとも寄付することができなかった。
愛の箱を見守っていた係の人間が、笑顔でチッと舌打ちしたが、気づかなかった。
*****
「あっ、これ、母上です」
光の円環さま登場のシーンで、梨理夢が言った。
「えっ、これ、りりちんのママなの?」
「うん。お顔は隠れてますけど、間違いないと思う」
それに、と間を置き━━
「お金とお食事(若い男)をいっぺんに手に入れようとする感じが、すごく母上らしいです。あっ……これは、お兄さんが狙われますね……間違いなく」
梨理夢もそうだが、もちろん初雪も焦った。さすがにそれは、見過ごせない。
「りりちん、この教団潰してもいい?」
「いいですよー。でもその前に、わたしが母上に言ってやめさせます。どうせ飽きっぽい人ですから、すぐにやめると思うよ」
その言葉は本当で、後日、梨理夢からやめるように説得された梨理夢の母は突然「光の円環さま、やーめた」と言ってすべてを放り投げ、教団から姿を消したという。
だが、宗教法人<光の円環>自体はどうも存続しているようであるが━━愛の証明システムはなくなり、クリーンな運営に変化したようだった。現金に関してはあくまでも悪魔である梨理夢の母親だけが私的流用していたものなので、他の関係者はそもそも洗脳されていたのに過ぎなかった。
彼女が去った教団が、この先、果たしてどこまで続くのかはわからないが、少なくとも床屋のオヤジは通わなくなったらしい。
彼の目的は、やっぱり教主のチュパチュパだった。




