この家なにかおかしい
いよいよ待ちに待った冬休みに入った。夏も冬も、その他の季節もずっと休みばかり待ち焦がれている気もしないではないが、そこはみんな同じだろうと思っておく。
でも、同じ受験生だけれど、実質ほぼ入学する高校が決まっている初雪は、他のみんなより余裕があるのは確かだった。
試験がないわけではない。それでも、よほどのダメダメ頭脳じゃなければ大丈夫(月夜野氏いわく、かけ算割り算までできれば大丈夫だという話だが、さすがに芸能人御用達の学校でそれはないだろうと思われる)ということだったし、万が一初雪の試験結果がダメダメだった場合はプロデューサーが、ぼくの力とお金の力でなんとかするといったような、本気とも冗談ともつかないことを言っていた。
いずれにせよ、初雪とてまったく勉強ができないわけではなかったし、元々名門高校を志望していただけあってか、それなりに試験勉強は行っていた。
ただ、兄の夏樹には、妹がいったいどの空き時間で勉強をやっているのかは、いまだにわからなかったが。
アニメを見てマンガを読んでVRゲームに入り浸って、それでも勉強してますよと言うのだから、妹は超人かなにかなのだろうか。
寝ている間に勉強してるとか、そんなんじゃなければいいと思う。
「すげえ雪積もったね、たった一晩で」
前日の夕方頃から降りだした雪は、ベタッとした重く大きなもので、一番積もりやすい性質のものだった。
観測史上何番目とかいう大雪に交通機関は麻痺して、生活にも影響を及ぼす。
もちろん除雪車は走っていたけれど、それでもなお車の運転が難しいような状況では、よほどの用事でもなければわざわざ出かける人もいないだろう。
学校が休みに入っている学生たちは、通学の心配がないだけマシだった。こんな時は出歩かないで、コタツに潜っているに限る。
そう思った矢先、全身フル装備(そのまま雪山にも行けそうな)だった妹の姿を見て、嫌な予感がする夏樹。
「遊ぼうぜー」
その予感は的中し、すごく嫌なお誘いを受けた。地獄への誘いと言っていい。
「どこで……なにして?」
「外で……雪ダルマ作って……かまくら作って、あとは……雪合戦(兄に雪だまを叩きつける)」
「えー……出たくねーよ、コタツから」これは本心からの言葉だった。願いにも近い。
「えー、出ろよー。ほら、電源切った。プラグも抜いた。はい、もう冷えるぅー」
兄の願いは一秒もしないで潰えてしまう━━最悪だ。最悪な妹だ。断るという選択肢を絶対に用意してくれない。
それでも仕方なくコタツを這い出した夏樹は「ちょっと待ってろ」と言って、防寒具などを取りに向かった。震えながら。
「そういえば、アンヨちゃんは?」
戻ってきた夏樹が、マフラーを巻きながら尋ねる。同じ家にいるはずなのに、アンヨの姿を見かけることが極端に少ないのは、ずっと気になっていた。
「アンヨたんは虹色カタツムリさん(冬バージョン)の中だよ。やっぱり寒いのダメみたい。命に関わるわけじゃないみたいだけど、やっぱり、フェアリーランドって常春の世界じゃん?
だから、冬には慣れないみたい」
常春の世界じゃんとか言われても、その世界の知識がない夏樹にはわからない。
アンヨが寒さに弱いということは、わかった。
あとは……虹色カタツムリさんか━━初雪の部屋に入れてもらえればすぐにわかるのだけど、今のところその機会がない。これは、時を待つしかないだろうと思い、諦める。
「よしっ、じゃあ冬っぽい遊びスタートじゃ!」
勢いよく飛び出した初雪と、勢いなく踏み出した夏樹が新雪の上に立つ。玄関先ですでに、膝近くまで積もっている雪はすごかった。
距離的にはさほど離れていないものの、山岳地帯が近いからなのか、県内有数の豪雪地帯にある母の実家でなら、これくらい積もることはよくあった。でも、自分ちの庭先にこんなに雪が積もったのは、もしかすると生まれてはじめてのことかもしれない。
妹がはしゃぐ気持ちも、少しだけ理解できる気がした。
湿った雪は、転がすとあっという間にデカくなる。ギギ……ギギィ……みたいな音がしはじめるころには、もはや初雪の力では転がすことができない重量に育っている。夏樹に交代するも、半回転余計に転がせただけだった。止まってしまうと、もうそれ以上は動かせなくなる。
大きさは十分に思えるけど、形は悪くて歪だ。マンガのようなまん丸なんて、不可能に近い。
それでも胴体が完成したので、その上に乗せる頭を作る。こちらは簡単な作業で、雪だまをある程度の大きさで、なおかつ持ち上げられるくらいまで転がしてから、胴体に乗せるだけ。
あとは頭の部分に、適当な大きさの石を目と口を表現するようにぶち込んだら、それで完成だった。雪の「ダルマ」であるという部分にこだわる初雪は、あまり手までは付け足さない。都合のいい枝みたいなものがないというのも理由だった。
「でけた! 両腕両脚を切断された罪人お兄ちゃんの像」
雪ダルマじゃなかった。
夏樹の像だった。しかも残酷に過ぎる。
「次━━雪合戦だくらえ!」
言うが早いか、初雪が投げた硬い雪の玉が、夏樹の柔らかい細胞の玉に直撃する。
「うむんっ!」
膝から崩れ落ちて、そのままたっぷり三分間ほど苦しんだ。
そんな二人の目の前を、ふらふらと歩く人間がいた。
こちらには気づいていないようで、寒そうに身を縮ませながら、足元だけを見て歩いて行く。
横顔から、それが床屋の主人であることがわかった。
「床屋のおっちゃんだ……どこ行くんだろ?」
重度のパチンコ依存症になっていた床屋は、初雪たちのおかげで家族にそれが伝えられ、少なくともそれからはパチンコ屋には出入りしていないはずだ。
隠れて行っている可能性もあるが、以前のようなお金の使い方はできないはず。床屋の奥さんが売り上げやお小遣いの管理を厳しくしたことで、床屋が使えるお金は限られるからだ。
そんな中で、わざわざ勝負にもならない金額を捨てに行くとは、さすがに考えにくい。
まさか、本当に勝負にもならないような金額を捨てに行っているとでもいうのか?
初雪はもう、気になって仕方なかった。
本来、まったく責任のない立場ではあるが、一度関わった以上は、責任も感じてしまう。またパチンコ屋に出入りしているようであれば、報告の必要もあるだろうと考えた。
「よし、ちょっと追いかけてみよう……お兄ちゃん? なんでよろけてんの?」
「嘘だろ……もう忘れたのかよ」
まだ股関に手を当てたままの夏樹は、ようやく立ち上がったばかりだった。
女性が実感できない現象が起こり、睾丸が体内に緊急避難していたものが、危険が過ぎ去ったことで元の場所に戻りはじめたところなのだ。
「ちょっと、もたもたしてるとおっちゃん見失うじゃん。早く来てよ」
無慈悲な妹に急かされて、夏樹はピョコピョコ走りだす。細かい歩幅の滑稽な走り方が、なぜだか不思議と似合っていた。
寿々木家からさほど離れていない場所にある建物に、床屋は消えて行った。
そういえば空き家になっていた場所で、けっこう前から改築みたいなことをやっていた。誰が越してくるかも知らなかったので、それほど意識していなかったから忘れていた。
真っ白な外観の建物は、民家というよりは教会かなにかのような雰囲気に変わっていて、積もった雪と同化して見えにくい。玄関先までの雪だけが除かれていて、細い道になっている。
わりとたくさんの足跡が残っているところから、床屋だけが訪れたわけでもなさそうだ。
「この家、誰んち?」
「いや、訊かれても、オレだってわからん。ずっと空き家だったからな、誰かが買ったんだろうけど」
「この家なにかおかしいね━━行ってみよう」
物怖じしない初雪が、先頭きって玄関に立つ。インターホンを鳴らすと、すぐに返答があった。
『はい━━あら、どなたかの子供さんかしら?
こちらは光の円環でございますよ』
「へ? なにそれ?」
『みんなが幸せになれる団体活動を行っています』
「あー……宗教?」
『はい、宗教法人でございます。ご入信を希望ではないのですか?』
「あー……ちょっと考えまーす。そんじゃ……」
離れて見守っていた兄のところまで戻り、告げる。
「宗教だった」
「え、そうなのか?」
夏樹も驚いたようで、なにか手がかりを探すためか視線を動かすが、なにしろ雪に埋もれていて、表札などは一切見えない。
「なんか嫌な感じがするね、ここ……床屋のおっちゃん、ついに宗教に走ったか……」
「まあ、な。追い詰められると、誰かに助けを求めたくなるのは、仕方ないことなのかも。ってか、床屋さん、追い詰められてたのか?」
「というよりかは、自分で自分を追い詰めた感じなんだけどね━━そうか、よぉし……とりあえずなにやってんのか見てやろうじゃないか」
不敵に笑う初雪に、今度は夏樹が嫌な感じを覚える。
この笑いかたをする時は、やや危険な時である。そう、自分にとって。
「どうやって? あの手の団体って、関係者しか入れてくれないだろ、多分」
「だろうね。だから、関係者になればいいんだよ」
「お前、そこまでやるのか……床屋さんのために」
「それもあるけど、自分の町だし、ご近所だし、得体のしれないまんまじゃ、気持ち悪いでしょ━━それに、やるのはわたしじゃなくてお兄ちゃんだから」
「無理だ」即答する。
「いや、わたしはもう顔が割れたし、宗教といえばお兄ちゃんだからさ、任せたよ、ね?」
「いつ、オレといえば宗教になったんだ……」
絶対に無理だと思うけどな……そもそも、子供を入れてくれるのかどうか疑問だ。
「床屋のおっちゃんがどうやって入信したのか聞いてからにしよう。もしかしたら、おっちゃんを通して入れるかもしれないし」
どうやら妹は本気で計画を進めているようで、夏樹は心の底から震えていた。この震えは、けして気温によるものだけではなかった。




