おかしい空間おかしい
「ご相談があります」
放課後の職員室、呼び出された初雪を待っていたのは生坂先生とアンヨ、そしてアンヨの父親の三人だった。
言ったのは、アンヨの父親だ。名前は確か━━シイシさんだったかな、と思い出す。アンヨもそうだが、あまり聞かない名前だ。そして背丈が極端に低いので、近づくまでいることに気がつかなかった。
そんなシイシさんから、折り入って話があるようだ。
「実はわたし、寒さが苦手でありまして━━」
と、突然そのようなことを言われても「は?」としかならない。話が見えない。
「これからとても寒い季節になるということで、わたし、国に帰ろうと思います」
申し訳なさそうな表情で、彼は言った。
「パパさんは、寒いのがダメなのです」アンヨが、補足するように言う。
「ですので━━アンヨが一人になってしまうのはいけません。そこで、初雪さんのお家で、アンヨをあずかってもらえませんでしょうか?」
ほぉ、と声が漏れる。
それは、予想していなかった。
まさかそんなお願いをされるなんて━━いい意味での驚きがあった。正直、嬉しい。なぜならアンヨが大好きだったし、自分が信頼され、頼られているとわかったから。
「だだだ、ダイジョブです! もちろん、なんの問題もありませんし、アンヨたんなら大歓迎! うちのお兄ちゃんも安全だし、面識もあるのでオールオッケーですよ!」
「寿々木ちゃん、嬉しそうね……」
近くで見ていた宮田先生が呟く。
「そうですか! いやあ、そう言っていただけると、ありがたい。是非とも、アンヨをお願いいたします。一人この世界に残していくのは気がかりですが、初雪さんなら安心して任せられますからな。それに、わたしもアンヨも、そろそろ独り立ちしなくてはいけませんしなぁ……」最後は、自分自身に言い聞かせているようでもある。娘を心配する親そのもの。親のほうが子離れできないなどという話も、よく聞くものだ。
途中、アンヨの父が言った「この世界」というワードにちょっと首を傾げた生坂先生ではあったが、話がまとまると初雪に言った。
「ということで、本当に大丈夫ですか? 寿々木さんの親御さんとは、もう話がついているようですが」
「え、そなの?」それは聞いていない。
「ええ、実は事前に母君さまのほうに連絡させていただきまして、一応、了承はいただいております」と、シイシ。
どうやら前に、連絡先を交換していたらしい。これはあとになって、母親が教えてくれた。
「じゃあもうオッケーじゃん。ママも知ってるし、わたしも問題ナッシング」そして兄の意見は聞かなくてもいい。というわけで、アンヨの居候が決定した。
*****
父親シイシが帰るのと一緒に、ついでだからとアンヨも少しだけ戻ることになり(母親が会いたがっているらしい)、さらについでに初雪たちも同行することになった。
話の成り行きで、是非ともいらしてくださいということになったのだ。
初雪はもちろん、興味津々の春風と、さらになぜかキララと毘沙門がメンバーに加わった。話を聞きつけたキララが行きたがったのと、キララと一緒に行きたい毘沙門がアンヨに頼んでオーケーをもらった。季瀬姫は都合が悪くてダメで、梨理夢は「今のわたしには相応しくない場所ですね~」という理由で断られた。「天使になったら遊びに行きます」とも言っていた。
「で、どーやって行くの?」
誰にともなく、初雪。これにはシイシが返答してくれた。
「浄玻璃さんのところに行って『ゲート』を使わせてもらうんですよ。あれができたおかげで、こちらの世界にやってくることができるようになったのです」
「ほえ? ゲート? ってなに? そんなんあったっけ、所長んとこに」
見た記憶はない。ゲート━━というからには扉なのだろうが、どこの建物にもある出入口しかなかったはずだ。建物の中と外を行き来する以外に、どこか他の場所━━たとえば隠し通路などに通じる入口など、ないはずだ。それとも教えてくれなかっただけで、隠し扉が存在するのか。
いずれにしても、探偵事務所からどこか遠くへ行けるなどとは思えない。
そして、フェアリーランドがどこにあるのか、初雪もわかっていない。なんとなく魔界のような世界が他にもあるのでは、というようなイメージが、わずかに存在する程度だ。
「さあ、着きましたよ」
しょっちゅう遊びにきているので見慣れた、いつもの探偵事務所に到着する。今の時間、初雪の兄は目の前の喫茶店で働いているはずだ━━思って見ると、ちらりとそれらしい姿が見えたが、奥に引っ込んでしまった。倉庫の片付けでもしているのだろうか。
階段を上がり、探偵事務所の入口に立つ。
呼び鈴を鳴らすと、すぐに扉が開かれた。いつものやさしい笑顔で、ニーナさんが出迎える。訪問する旨は、すでに話してあった。
「いらっしゃいませ、みなさん。国王さまも、おひさしぶりです。アンヨちゃん、また大きくなりました?」
「アンヨ、3ミリ伸びたです」
そうアンヨが報告し、すでに成長の望みがない父親はがっくりとうなだれた。
「まあ、そう気を落とさずに……」初雪が慰めたけれど、まったく効果はなかった。
なんだか暗い雰囲気のまま、シイシはとぼとぼ中へと入る。みんなも、それにつづいた。
「いらっしゃい。今日もゲートは安定しているから、いつでも行けるよ」
デスクにいた浄玻璃所長が立ち上がる。上下が赤いスーツ姿で、髪もそんな色だから全身真っ赤になっていた。
「所長、今日はいちだんと赤いね」
「まあねー。初雪ちゃん、今日は期待しておくといい。きみの大好きなやつに、多分会えるから」
「え、なにそれ? わたしの大好きなやつって……イヌネコパンダウォンバットコアラじい?」
「なんだっけそれ……あ、フリキュアに出てくる妖精か」春風はなんとかそれを思い出す。
「あー、惜しい」
「なんだろ、わかんないけど楽しみ」
「すぐにわかるから、期待してなさい━━みんな準備はよさそうね。ではさっそく、フェアリーランドへ行きましょうか」
言って、浄玻璃所長はクローゼットを開ける。そこが開かれるのを、初雪ははじめて見た。なるほど、そこに隠し通路が━━思ったが、よく考えてみるとクローゼットとうしろの壁は繋がっていない。横から見るとわかるが、わずかな隙間があいている。下の空間についても、位置的に喫茶店の中にしか繋がりようはないはずなので、通路が存在できる場所なんてどこにもない。
不思議に思いながら見ると、クローゼットにはなにも入っていなかった。衣類もなにもなく、真っ暗な闇だけが、そこにある。いや、それもおかしな話だ。なぜ闇があるのか。どう見ても、普通のクローゼットではない。いったい、どうなっているのだろう。
すると、浄玻璃所長がその中に入ってしまう。闇に吸い込まれるようにして、姿を消す。
「わっ、所長が消えた⁉」
「どういうことだ?」
「この先に、ゲートがあるのですよ。このクローゼットは、その空間へ行くための入口ですな」と、シイシが説明した。
「危険はありませんから、お入りになって大丈夫ですよ」と、ニーナさん。彼女は留守番をしていると言った。
慣れた様子のシイシとアンヨが入ってしまったので、初雪たちもつづくしかなくなる。まずは怖いもの知らずのキララが「じゃ、入るぞ」と言ってとっとと消えると、置いていかれた毘沙門が半泣きでそれにつづき、さらに初雪、春風と順番にクローゼットへ入っていった。
先の見えない、広大な白の空間。
スケールが把握できず、自分の立ち位置さえ見失いそうな真っ白な場所に、上下左右の感覚さえ危うくなりそうだ。
「え、なに、ここ?」
後方に、今入ってきたクローゼットの入口だけが、黒い長方形として存在する。事務所の景色は見えない。真っ黒な入口だけがそこにある。
「なんだかドラゴンホールの、修行かなんかをやりそうな場所だな」春風が感想を述べる。
確かにその通り、今も昔も大人気の格闘マンガ「ドラゴンホール」の主人公・孫マジヨシが修行を行った空間に酷似している。そんな孫マジヨシは「好き勝手の極み」という状態変化を会得して、全宇宙最強クラスのエネルギー波を放ち、別々の宇宙がすべて繋がってしまい新しい宇宙が誕生したというのが、最近のストーリーのようだったが、それをマンガ雑誌で追いかけているのは初雪とキララだけだった。基本的に少年向けのマンガであり、少女たちが興味を持つことは少ない。
閑話休題。
そんなドラゴンホール的空間に、ぽつんと2つ、なにかがある。
ひとつは、どう見ても2㌧トラックである。軽トラよりは大きいが、大型トラックよりは小さい。工務店とかに、多分ありそうなやつだ。そのへんは明るくなかったので、初雪の適当な予想であるが。
そしてもう一方は━━こちらは完全に扉そのもので、まさしく「ゲート」である。
洋風のおもむきだけれど、言ってしまえば「ドザえもん」の秘密道具としてあまりに有名な「どこへでも通じる自動ドア」と同じものに思える。ドアだけがあるという状況は、それを連想せずにはいられない。
先で待っていた浄玻璃所長が説明に入った。
「こっちのトラックは、いわゆるタイムマシンだね。有名な映画に似せようと思って、乗り物にしてみたんだけど━━2㌧トラックってところが、おもしろくない?」
白いボディに「浄玻璃探偵事務所」の文字がしっかり書かれた、どう見てもトラック。おもしろいかどうかと問われれば、まあ、おもしろくはあるのだが━━他になにかなかったのか。
初雪ですらそう思う。
まずはタイムマシンなどというものが存在することが驚きであるが、所長が作ったものなのだろうか。それに、どうやってこの場所に運んできたのだろう。ボトルシップの理屈で、この空間で組み立てたのだろうか。
個人で車体を組み上げるというのも、すごい話だ。
「これ、所長が作ったの?」
「そだよー」と、初雪の質問に返す。
最後の予想が当たったようで、材料を運んで、この場所で組み上げたらしい。いずれにしても、信じられない。そもそもなんなんだこの場所は、と春風は言った。
「3・5次元というか、そんなような場所だよ春風ちゃん。少しだけ違う次元だけど、普通の人には来られないはずの空間だね」
つまるところ、所長は普通の人間ではないと言っているようなものだったが、その場では納得するしかなかった。どうせ考えたところでわかるわけがない。謎の不思議空間と思い、成り行きに任せるしかない。
「で、こっちの扉が今回使用する『ゲート』になりまーす」
右手で示し、妙に明るく説明する。
所長いわく、探偵事務所のクローゼットから繋がるこの空間と、アンヨたち親子が本来いた世界である「フェアリーランド」とを直接繋ぐ、次元の扉であるらしい。
時間や空間、さらには宇宙と宇宙の隔たりをも越えて、繋がっているのだとか……もはやなにを言われているのかわからないし、想像も及ばない。
「フェアリーランドというのは、わたしたちが暮らす世界そのものの名称で、国の名前は『エルフィン王国』というのです。そのエルフィン王国にある、わたくしの城の中に、直接繋がっているのですよ」
シイシがそう説明した。
うん、わからない。もう、実際に行ってみないとなんとも言えない。
嘘かホントか━━自分の目で見て、自分の頭で考える。結論はそのあとだ。
が、異星人や魔界の悪魔などを目の当たりにした経験のある少女たちにとって、そんな「異世界」はもはやあってもおかしくない……いや、あって当たり前くらいの感覚は育まれていた。
人間は、自分の目で見るまでは信じないし、見たら見たで自分の頭を疑うようなやっかいで中途半端な知的生命体ではあるが━━ひとつだけはっきり言えることがあるとすれば……本当に大切なものは、すべて人間の目には見えないところに隠されている。そのように、常日頃から考えている春風は特に、その先に待つであろう、未知の世界に胸を踊らせていた。




