畑の中のチケおかしい
プップー、という車のクラクションを合図に、夏樹と初雪の兄妹は玄関を出る。
家の前の道路で、レンタカーに乗った母親が待っていた。
両親ともに、ほとんど海外なので自家用車は家になかった。けど、免許だけはしっかり持っているし更新もしていたので、運転は可能だった。こうして、必要な時だけレンタカーを借りるのは、いつものことなのだ。
留守番はセニョール・アーネストに任せてある。ようやく季瀬姫のところへ帰ってくれた黒人型アンドロイドをわざわざ呼び戻して、留守を任せた。母親にははっきりと人造人間であることを説明した初雪。そして母も、すぐに納得したというのだから、すごい話だ。
黒人を見慣れているとか、そんな理由だけでは説明がつかないくらい、物わかりがいい。
そんな母が運転する車が、発進した。
「最近のレンタカーはナビとかいろいろ付いてんのかぁ。これはなんだ?」
母の疑問に、初雪が答える。
「それ、ドライブレコーダーじゃないの? 運転マナーの悪い頭のネジがゆるゆるの恐い人たちから身を守るためのレコーダーだね」
すごいな、その説明。正しいかどうかは別として。それに、よく知っているなと思う。ニュースなんて見ないくせに。
特に最近は、ゲームに割く時間が多過ぎて、アニメもあまり見れていないと嘆いていたが、そんなことを言われたって、どうしようもない。
「なににでも例外ってことがあるから、ほんとはこの言い方は選ばないんだけど、あえて言わせてもらえば━━なんだってそうなんだけどみんな他人のことばっかり気になってるから、すぐに頭に来ちゃうんだと思うんだよね。まったく気にしないのも、それはそれで問題だけどさ、でも、他人よりもまず自分のことをしっかりやろうと思えば、誰かに腹を立てている余裕なんてないはずだよ?」
えー?
なに急に語りだしてんの。誰に対して、なんの説教をしてるんだよ━━なんなんだこいつ。
夏樹は妹がこわくなった。
「よく言った、雪んこ。なんで急にそんな話したのかわかんないけど、自分のことをしっかりやろうというのは、いい心構えだ。でも、ちゃんと周りを見て、気配りも忘れちゃいけないよ。過ぎれば、それはもはや自己中だからね」
母もなんか語りだしたし。
「もちろん、わかってるよ。なにごともほどほどに、バランスを取ることがなにより肝心ってね」
「その通り。バランスは大事よ。もし片方のオッパイだけが大きすぎたら、一方の肩だけがこっちゃって、身体も歪んじゃうよね。わたしはそう思って、あんたをバランスのいいオッパイになるように生んであげたんだよ?」
「わたしバランスは最高だけど、肩がこるほど巨乳じゃないにょ」ママと違って、と初雪。
なんの会話なんだよ、これ?
もっと他に、なんだって話題はあるだろうに。
「夏樹はどっちかの睾丸が大きすぎてバランスが悪くて歩きにくいとか、そんなことはないよね?」
母が、とんでもない質問をぶん投げてきた。
「あるかっ! あったとしても━━いや、ねーよ! ちゃんと歩けてるし、仮に多少デカかったとしても、バランスなんて崩れませんから、男子はっ!」
あまりにもアホなことを言われて、思わず本気になって返してしまった。
ひさしぶりに大きな声を出した気がする……こんなことで。
「そうなの? お兄ちゃんたまによろけるじゃん。あれって、そういうことなんじゃなかったの?」
「真っ直ぐ走れない子供の原因が睾丸だったら、驚きだよな。女の子の説明がつかない」
言ったものの、そんなことはどうでもいい。なんでこんな会話をしているんだろう?
窓の外に、視線を移す。
*****
北上すること三十分━━母方の実家がある院出後村へと、車は入る。日本に残された限りある貴重な「村」のひとつである。
到着まで一時間圏内なので、ものすごく遠いというほどでもないけれど、車でその時間がかかる距離なので、けして近いとも言えない。特に年寄りが簡単に移動できる距離ではない。なので、よほどの時でもなければ、母の両親のほうから家に来るということはなかった。それこそ正月に、どうしても来たくなったということでもなければ。
土地だけは無駄に広い、母の実家に到着する。
畑にいたおじいちゃんが初雪の姿を発見すると、ものすごい勢いで走ってきた。
満面の笑顔で全速力なので、正直ホラーな行動だ。
「はんづゆぎぃぃぃっ! なんだれんらぐもよごさねでいぎなりきだなおめらぁ」
おじいちゃんは、相変わらず訛りに訛っていてなにを言っているのかいまいちよくわからなかった。ニュアンスで判じるしかない。
母がいる時は、大抵は母が通訳をしてくれるのでよかったが、正月は大変だった。初雪の「ちょっとなに言ってるかわかんないんだけど」を何回聞いたかわからない。
「連絡もなしで急にきましたね、あなたたちだって」
「まなづはまんだほんやぐすっぺしよ、おめがしゃべってればはづゆぎだづも訛りばおぼえだべさ、なあ?」
これは通訳せずに「子供たちが訛ってたら、わたしは生きていけないから」と反論した母だった。おじいちゃんはもちろん不服そうだったが、母は若い時にこの重度の一部東北地域の訛りが嫌で嫌で、死に物狂いで標準語を勉強したという過去がある人なので、当然、子供たちにも伝承されてはいなかった。
「濁点と省略が多いんだよね、おじいちゃんの訛りって」
初雪が冷静な分析を口にするが、それがわかっているならもう少し言葉を理解してあげてもいい気がする。
「んだんだ、メスのどぎなんて『け』つったら『く』っつえばいいだげだんべようひっひひ」
「なんて? メスのロシナンテ?」
おじいちゃんではなく、母に向けて訊く初雪。
「ご飯の時に、『け』が『どうぞお食べになってください』で『く』が『わかりました、それではいただきます』ってことで、たった一文字で済ませられるんだよすごいだろうひっひひ、だって」
「ほーん。そういやたまに言われるよね『け』って。あれは、食べろって意味だったんだね。しらんかったわー」
夏樹はなんとなくわかってたんだけど……初雪はいったい、今までなんだと思って聞いていたのだろう。
それにしても確かに初雪の言う通り、いくらなんでも一文字にまで省略するとは、恐れ入る。
これについては後に「方言研究家」を自負することになる初雪が言及するであろうが、寒い地域だからよりエネルギーを使わない方向になってしまう、というところから、省略の方言が多く生まれたのではないだろうかと、夏樹は思う。
オレのほうが研究家みたいじゃないか、とも思った。
「家さあがんべ。ばんつぁんはぞぎさんどこさ行ってっからいねげんどもすぐ帰ってくっぺしよ。おめらすぐけんねんだべ、泊まっていぐが?」
「なんて? ゾディアックなインゲン豆の検便ってなに?」
ちょっとわざとっぽいけど、母に訊く初雪。
「ばあちゃんは惣吉さんのところに遊びに行ってて、今いないんだって。すぐに帰らないんでしょ、泊まっていくかって訊いてきた」
「泊まるの?」
「いや、夕方帰るよ」
玄関まで行ったところで、扉をガタガタやって開かないことがわかったおじいちゃんが言った。「なんだべが……そんだーカギっこばはだげさ忘れできだっちゃなやまんずこれほんまに」
ど田舎なわりに、なぜかちょっと家を出るだけでもしっかりとカギをかけるおじいちゃん。セキュリティという面ではもちろん、誉められるべきことではあるのだが、立地条件的には、見える範囲の畑に行くくらいであれば、施錠の必要性はそれほど高くないようにも思われる。
なんであれ、とにかくカギがなくては入れない。そして最後どさくさで関西の方言が入っていた気がする。
そんな、腰を痛そうに擦っているおじいちゃんが言った。
「悪いんだげっども、まなづおめ取ってきてくんろ。はだけさあっがらよ」
「えー、なんで置いてくるのよ、家のカギ」
母は露骨に嫌そうな顔で言った。
「あ、じゃあわたしが取ってくるよ」
と、初雪が駆けだした。やはり一番行動力があるし、足が速い。
それにしてもおじいちゃんの、さっきの全力疾走はなんだったんだろう。もしかして、あれで腰を痛めたんじゃないのか? 無理するなぁ、おじいちゃんも。夏樹は思った。
遠ざかる初雪の背中に、おじいちゃんが大きな声で叫ぶ。
「はだげのながのチケんどこさあっがらよぉー!」と。
数分後━━初雪はなにも持たずに戻ってきた。
「なかったよ、カギ。どこにあんの?」
「んだがら、チケんどごさって言ったべよ」
「なんて? チキンナゲット?」
「機械のところだって」
機械! まさかの機械とは。
機械→チケは、さすがの夏樹もわからなかった。言われてもまだピンとこない。そもそも「チ」という音が「機械」の中には存在しない。
訛り恐るべし。
再び畑に向かった初雪が、今度はなんとかカギを発見して戻ってきた。
「じいちゃん、外国人レベルだよね」
渡しながら、初雪がそんな言葉をかけていた。
「んだべ? オラだづはエゲレスずんなみぬリヴァプールっぽいべ?」
なんでリヴァプールの発音だけいいんだよ。
「なんて?」初雪はまだ、繰り返すようだった。母が完全に、専属の通訳みたいになっている。
「わたしたちはイギリス人なみにリヴァプールっぽいでしょだって、意味わかんないね」
言って、母はさっさと家に上がってしまった。
おじいちゃんとおばあちゃんの家の、独特の匂いが懐かしい。




