初雪の代役がおかしい
「さて、初雪ちゃんにお小遣いもあげたし、お見送りもしたし……もう用は済んだな。じゃあ父さんはとんぼ返りするけど、夏樹は一人で大丈夫か?」
ちょっとくつろいで、家の様子を一通り確かめたあとで、父が言った。
本当にそれだけが目的だったらしく、忙しい合間を縫って、無理矢理帰ってきたらしい。ご苦労なことだ。
「うん、まあ、むしろ初雪がいない分、いいくらいなんだけど」
「そうか。じゃあ父さんはもう帰るから、家のことは頼んだぞ。一人だからって、女の子を連れ込むんじゃないぞ? デリヘルもダメだからな?」
「ごひょっ!」夏樹はむせた。「それは絶対にないから、大丈夫」
まだ高校生の息子に、なんてことを言うんだろう、この親父は。それに、連れ込むような女の子の友達も、高校にはいない。可能性があるとすれば、最近急速に仲良くなってきている妹の友達連中だろうけど、なにしろ彼女たちはみんな東京に向かっているので、ここに来ることはないだろう。
「そうか、そういうことなら父さんも安心だ。そういえば、母さんも来たみたいだな? 少し前に、連絡があった」
「ああ、うん。母さんも初雪の修学旅行を気にしてたみたいで、顔を見にきたよ。次の日の朝に、もう帰ったけどね」
母親のほうはさすがに「五十万もあるなら、修学旅行のお小遣いは間に合うね」と言って、お小遣いは渡していなかった。
父は意外とそれをしってもなお、小遣いを渡したのではないかと思わないこともないが、いずれにせよ初雪が中学生は持つべきではないくらいの大金を持って出かけてしまったことは、もはや変えることのできない事実である。
どうかアホな使い方だけはしないでくれと願うばかりだが、きっと、兄のそんな想いは裏切られるんだろうなと、なんとなく思う。
「よし、オレは帰るからな。あとのことは頼んだぞ」
言って、さっさと玄関へ向かう父。
手荷物もなにもなかったので、はじめからすぐに帰るつもりだったのだ。
修学旅行の出発前にピンポイントで帰ってきて、お金を渡して去っていく。
我が父ながら、おかしいことこの上ない。
それにしても、初雪が出発したあとだったら、どうしていたんだろう? なんか、学校までダッシュで追いかけて行きそうな気がする。多分、実際にそうなっていただろうから、もう考えるのはよそう。間に合ったのだから、それでよしとしなくては。
「行ってらっしゃい」
あっけない別れを終えて、夏樹も学校へ行くために準備をはじめた。
*****
学校生活において、特筆するべきことがほとんどなにもない夏樹が帰宅すると、玄関前に背の高い黒人男性が立っていた。
背の低い男性もいないわけではないだろうが、なぜか日本で見る黒人男性はみんな背の高いイメージがあるし、実際にほとんどそんな人しかいない。単純に、平均身長の差ではあるのだろうけれど。
という話は、今はどうでもいい。
なぜ自分の家の前に、そんな人が立っているのかということである。
(どうしよう、まず警察に連絡したほうがいいんだろうか?)
目的はわからない。
ただの訪問販売か、それともなにか、ヤバイ組織の人間か、あるいはただの変質者なのか。
見た目で言うならば━━ヤバイ組織の人間か、変質者のどちらかだろう。おそらく、訪問販売という線はない。
頭には黒いストローハットで、黒いコートを着用している。怪しさ全開であるが、逆に考えるとそんなあからさまに怪しい格好をして、堂々と立っているところからすると、危険人物であるとも決めつけられない。
かと言ってバカ正直に近づいて、まんまと餌食にされるわけにもいかないし━━そのリスクは結構な割合でありそうな気がする。
あれこれ考え過ぎて動けずにいると、その黒人男性がこちらを振り向いたのがわかった。
まずは顔だけ、こちらに向けて夏樹の姿を確認すると、迷わず一直線に向かってきた。
「わっ、わっ」と、変な声が出たものの、逃げ出すことはできなかった。
とっさに動けないあたりに、自分の小物ぶりを自覚する夏樹だったが、今はそれどころではない。
目の前の見上げる高さに、黒人男性のギョロリとしたデカイ目玉が威嚇するように見開かれている。
殺される━━そう思ったのも、無理はない。
だが━━
「お帰りお兄ちゃん! ビビった?」と、黒人男性がなぜか初雪の声で、そんなセリフを喋ったのだ。
一瞬、思考が止まる。
次いで、初雪がなにかしらの事故で死んで、どこかの誰かにサイボーグ化でもされたのか、というシナリオを思いつく。
もはや、そうとしか考えられない。
と、初雪声の黒人男性がガバッと、コートの前面を開いた。
それはまるっきり、イメージ通りの変質者そのものの姿であるし、実際に、男性のコートの中からは裸の身体が現れた。
ただし、股間は隠されていたが。
というか、股間のあたりに小さなディスプレイが埋め込まれていて、そこに、初雪の顔が映っていた。
「見えてますか~、はっちゃんのお兄さん」
初雪の横からひょこっと現れたのは、水沢季瀬姫だ。わずかに見えた背景から、どこかの室内であると思われる映像。そおらく、今日の宿泊場所からだろう。
「これは、どーゆー……この人、なに? なんで股間にディスプレイが」
夏樹は黒人男性の股間に喋りかける。そのディスプレイに映る季瀬姫が、説明をはじめる。
「今、お兄さんの目の前にいるのは、わたしが作った黒人男性型の移動カメラ『セニョール・アーネスト』です。
彼は、実はこの町の裏の支配者でもあるのですが、ロボットだってしっている人間は、あまりいませんので」
「ちょっと、待って。いろいろ情報が多くて、よくわからない」
「そうですか、では理解しなくてもいいので、とりあえず黒人男性のようなスマホと考えてください。これがほんとの、アンドロイドってね」
「あっは、キーちゃんうまいこと言うね!」
なんだか、画面の向こうで盛り上がっている。
「とにかく、はっちゃんがお兄さんの様子が心配だから、監視カメラみたいなのない? と言われたので、はっちゃんのいない寂しさを紛らわせつつ、通信できて監視もできるということから、セニョールを派遣した次第です」
夏樹は頭が痛くなってきた。
今さら、季瀬姫の技術がどうだとかは言うまい。それよりも、なんで監視されなくちゃいけないんだという不満のほうが大きい。
オレは妹の所有物なのか、と思う。
「ひいっ!」
そう言って逃げて行ったのは、顔見知りの近所のおばさんだった。
そこで気づく━━はたから見れば、コートを広げた黒人の股間に、夏樹が顔を近づけているとしか思えないのだと。
(終わった……)
完全に、変態だと思われた。事によると、コートを広げているほうよりも、顔を近づけている夏樹のほうがヤバイ気がする。
どちらも変態には違いないが。
「とりあえず……家の中に入らないか?」
「それもそうですね、ご近所さんに見られたら、最悪ですもんね」
季瀬姫ちゃん、それはもう手遅れなんだ。もう見られてしまったんだよ。
「それとお兄さん、こちらのカメラはアーネストの目玉になってますので、股間に話しかけてる姿を見せなくて結構なのですけど」
そうか。よくよく考えてみれば、確かに最初はコートを閉じていたのだから、他にカメラがあるはずなんだ。
つい、ディスプレイに彼女たちが映っているものだから、そちらに向けて喋っていた。
もっと早く教えてくれていれば、とは思うが今さら遅い。
夏樹が案内するより早く、誰が動かしているのか、セニョール・アーネストは先んじて玄関へと向かった。




