魔界ですのでおかしい
気がついた時、夏樹の右手側にはキララちゃんの小さな背中が、左手側にはヤバ子ちゃんの筋肉質な背中があった。
そして、周りを赤いとんがり帽子を被った小人たちに囲まれていた。
「あ、これ、死ぬやつか?」
我知らず声を洩らした夏樹に、キララちゃんが告げる。
「普通ならな。だが、わたしたちであれば、切り抜けられる━━やつらはレッドキャップとかいう、とんでもなく残虐なものでな、獲物の血で帽子を染めるのじゃとか。まあ、やらせはせんがの」
夏樹は足の震えをおさえることができなかった。しかも、突然放り込まれた状況に、まだ理解が追いついていない。
周りは鬱蒼とした森の中であるが、木々に葉がなくて、枯れ木のような有り様だった。
暗闇でこそないのだが、薄暗く、太陽の光も確認できない。
闇色の光源━━そんなものがあればだが、そのような明るさと表現するべき明度がある。
不意に、レッドキャップの姿が消える━━否、消えたのではなく、襲いかかってきたのだ。
しかし夏樹には、その動作を捉えることができなかった。
あまりにも、速すぎる。
「ほいっ、ほいっと」
キララちゃんが何度かかけ声を発し、腕を動かす度に、その手の先から動かなくなったレッドキャップが地面に落ちる。
一瞬だけ、なんとか確認できたのは、どうも指で首のあたりを絞め殺しているらしい状況だった。
レッドキャップたちの身長は十センチかそこいらなので、指先で対処しているのだろう。
かたや、ヤバ子ちゃんはというと、拳を叩きつけて、普通に殴り飛ばしている。
いずれにせよ、夏樹の動体視力では追えない動きに対応できている二人は、超人といっていいだろう存在だった。
「よっしゃあ、一匹残らずお陀仏だな!」
「うむ、小うるさいハエじゃったのぅ」
何十体というレッドキャップの亡骸が、地面に転がっている。
その身体から黒い煙が出たかと思うと、赤いとんがり帽子と衣服だけを残して消えてしまう。
その様子から、おそらく普通の生物ではなかったのだろうと思われるが、じゃあなんなのかというと、見当もつかない。
魔界の化け物だ。
「……ところで、ここって、本当に本物の『魔界』なんスか?」
どこをどう見ても、毘沙門ちゃんちの別荘は見当たらず、空気も雰囲気も完全におかしくなっているのはわかっているが、それでもまだ認めたくない思いがあった。
こんな映画みたいな話が、実際にあるわけがない。
「ふっ、この期に及んで疑ってみたところで、すぐに認めるしかなくなるだろうよ」
「なんだよ、ビビってんのか、にいちゃん? また初雪にバカにされんぞ!」
いや、バカにされるのはいいのだが━━よくはないが━━こんな出来事にハナっから順応できたら、そちらのほうがどうかしているだろう。
「大丈夫ですかぁ~っ?」
急に、空から降ってきた声に夏樹たち三人は天を仰ぐ。
そこには、巨大な化け物コウモリと、その上に立つ愛野梨理夢の姿があった。
スカート姿でこそなかったが、ある意味それよりもヤバい、ローアングルから見てはいけない姿を、梨理夢はしていた。
ほとんど、裸同然のような衣装(?)を着用しており、布地がヒップに食い込んでいる様子がよく見えた。
夏樹は思わず視線を逸らしてしまったが、いいものを見たという本心があったのも事実である。
「これはこれは、愛野ではないか?」
「すげー格好だな、お前。ってか、よくわかったな、あたいたちがきたこと」
地上に降り立った梨理夢を間近で見て、さらに目のやり場がなくなる夏樹。仕方がないので右目を右に、左目を左に動かそうと努力したけれど、もちろん無駄な努力だった。
結局、ほとんど裸みたいな梨理夢を真正面から直視することになる。
「それが、わたし自身びっくりしたんですけれど━━ユキちゃんのお兄さんのにおいに、気づいちゃったんですよね。あ、魔界に来てるなって」
ええ~? そんな、バカな。前に初雪が「お兄ちゃん中毒になったみたいなんだよ」的なことを言っていた記憶があるが、それが事実だったとでもいうのか。
どれくらいの距離があったにしろ、離れた場所からにおいに気がつくなんて、普通じゃない。それとも、動物並の嗅覚でもあるのか。
「まあ、それはいいとして、わたしに会いにきてくれたんですか、皆さん?」
「というよりは、初雪のお兄さまに魔界を見せるためきたのじゃが、会えればとは思っていたがまさか本当に会えるとは」
キララちゃんが説明する。
夏樹はさっきからこちらに睨みをきかせている不気味な顔のコウモリが気になって仕方ない。なんとなく人間みたいな顔をしていて、今にも喋りそうな雰囲気があった。
「てめえ、公務員か、てめえ」喋った。
喋りそうな顔の人面コウモリが、実際に喋りやがった。
しかも、よくわからない質問のようなセリフを。
「いえ、公務員じゃないですけど。高校生だし」一応、自分に向けて発せられたと理解した夏樹は、答えを返してみる。
「てめえ、公務員じゃねえのか━━じゃあいいよ」
なにがだ?
公務員だと、なにか問題でもあるのか? まったくわからない。
「この子は魔界コウモリの佐藤くんです」
人間の名字なんですけど。
「てめえ、おい、よろしく」
また喋ったし。で、どうやら挨拶をされた。
「みなさん、せっかくいらしたんですから、わたしの家のお城に案内しますよ」
確か、梨理夢の家はマンションだったと記憶しているが、あれは、やはり人間界における仮の住まいで、本来の家が魔界のお城ということなのだろう。
夏樹は、少しずつ順応してきていた。もはや認めざるを得ないというのもあったが、以前に訪問した梨理夢の家のおかしさを説明するには、やはり魔界との関わりを考えるしかない。そうであれば、家の中が外観を無視した広さだろうがなんだろうが、なにかしら超常の力で成されたのだろうと納得ができる。
「せっかくだ、招待されてみるか?」
キララちゃんが、おもに夏樹に向かって尋ねてくる。
「んー、まあ、ちょっと、いやかなり怖い気はするんだけど━━」
「ったく、いつまでビビってんだよにいちゃんよぉ、ほんとにオテーンテンついてんのかよ」
「ぶほっ! なんですかそのオテーンテンて!
おもしろい! なにそれ!」
梨理夢のツボに入ったらしく、身体をくの字に曲げて笑っている。
胸の谷間がよく見えるし、やわらかそうに揺れている。
夏樹はやや前屈みになった。
「あ、なんかウケた? あたいは気がきくから、普段はボカしてそう言うんだよ、キンタ━━」
「そこで言ったら、ボカした意味がなかろう。やるなら、最後まで徹底せねば。そこが、お前の甘いところだぞ、ヤバ子」
「ちっ、なんか説教されちまった。あんたのせいだぞ、初雪にいちゃん」
結局最後は夏樹のせいになったようだ。
「あの、それで、行きますよね、お城に?」
笑いの治まった梨理夢が、再度尋ねる。
「そうじゃな、行くとしよう。いいだろう、お兄さま?」
「仕方ない。行くしかないんだろ。いいよ、行くよ」
「よし、話は決まったな。で、歩いて行くのか?」ヤバ子ちゃんが問う。
「まさか。みんなで佐藤くんに乗って行きましょう」
どうやら、魔界コウモリは四人乗っても大丈夫らしい。その背は広いので、確かに四人くらいは乗るスペースもあるが、それだけの人数を乗せても空を飛べるというのだから、たいした飛行生物だ。
「あ、そのへんに散らかってるレッドキャップの帽子、拾っとくと良くないですか? あれ、けっこう高く売れるんですよ」
と、梨理夢は言った。
なので「そういうことなら、拾っとくか」と言ったヤバ子ちゃんが集めはじめたので、夏樹も手伝って回収する。
散乱した赤いとんがり帽子は、けっこうな数があった。それだけ大勢の敵に襲われていたということを思い出して、恐怖がよみがえってくる。
帽子からは、血の臭いがした。
しかも、触った手には、うっすらとその色が移るのだから、気色悪いことこの上ない。
キララちゃんが語った話が本当ならば、それはレッドキャップに殺された者の血であるらしい。想像もしたくないが、自分も殺されていたら、これの染色に役立っていたのかと想像してしまった。
「みなさん、佐藤くんに乗ってください。行きますよ~」
夏樹たち三人は、人面コウモリの佐藤くんの背中に乗っかった。
その背中は意外にゴツゴツしていて、いまいちバランスが悪い。なんだかうまく立てなかった。
「危ないので、一応わたしにつかまっててくださいね、お兄さん?」
偶然、梨理夢のうしろに位置取ってしまった夏樹に対して、彼女が言った。
多少の広さがあるとはいえ、二人ずつ、二列にならなくては乗れなかったのがいけない。
「いや、つかまるったって……」
ほとんど素肌しかない梨理夢につかまるには、どうしたところでキワどいことになってしまう。
「ほら、早くしないと落っこちますよ~?」
言われて、もうどうにでもなれと、腰に手を回す。
梨理夢の柔らかい肌が、びくんと反応した。
「あんっ」
前方から漏れ聞こえた色っぽい声に、夏樹は顔が赤くなる。
やや前屈みになり、密着してしまうわけにはいかないので、腰が引ける。
その情けなくも滑稽な姿を横から見ているヤバ子ちゃんが、笑って指摘してきた。
「あっはっは、にいちゃん、なんで腰引けてんの? そのカッコ、おもしろすぎるだろ!」
バカにされたところで、もはやそうする以外にすべのない夏樹は、黙って心を無にすることだけに集中した。
梨理夢のことを考えた瞬間、股間が今以上に大変なことになるのは、目に見えていた。




