行けるなんておかしい
「そういえば、魔界の王女は祭りの最中じゃったか?」
突然背後から聞こえた声に、テレビに集中していた夏樹たちは驚いた。
外にいるはずだったキララちゃんが、すぐそばにいた。
「うわ、いつの間に。稽古をしていたはずじゃ?」
夏樹の問いに、キララちゃんが答えた。
「わたしのものは、とりあえず終了じゃ。今はヤバ子がしめり姫をからかっておる」
からかっているのか。まあ、それはいいとして。
キララちゃんも平然と、当たり前のように魔界という単語を口にする。いったい、どこのことを言っているのか。やはり気になる夏樹くんは、その真実をしりたかった。
「その魔界って、どこなの?」
「魔界は魔界じゃろう? この世界とは、別の場所じゃな」
どうも、本物の魔界の話をしているらしい。いや、あり得ない。そんな世界があるなんて、誰も言っている人はいない。いたとしても、それは想像力豊かな職業の人くらいなものだろう。あるいは、精神を病んだ人とか。
「なんじゃ、初雪のお兄さまは魔界を見てみたいのか? 興味があるようだが」
まるで、望めば見せてくれるかのように、キララちゃんが尋ねてくる。
夏樹がなにか言うより早く、横から初雪が割り込んできた。
「そういやララちゃん、魔界に行けるって言ってたの、ホントだったんだ」
「ああ、だから言っておるだろう。なんじゃ、信じていなかったか」
「いやあ、面目ない。さすがに聞き流しておったわ」口調が伝染したように、初雪は言う。
「まあ、よい。普通は信じられん話だからな。でも、本当じゃよ? わたしとヤバ子とで、気の力をぶつけ合うことにより、魔界への通路ができあがるのじゃ。そして、あちらの世界で鍛練するということも、やっておる」
もう、話について行けない。というよりは、ついて行きたくない。そんな、本能の拒絶現象が夏樹の身体に生じている。
「じゃあせっかくだから、行ってみたら、お兄ちゃん? 後学のためにさ」
後学のためにもなにも、後の人生が闇に消える可能性もあると思うのだが━━そんな得体のしれない世界に行ったりなんかしたら。
ただし、本当に行けたら、の話だけど。
「うむ、どうせ暇なんだから、ちょっと見てきたらいいんじゃないのか、初雪兄。あと、カメラをあずけるから、写真を頼む」
さっそく、カメラを渡してくる春風。そしてそれを拒否する前に受け取ってしまう夏樹。
それにしても、初雪も春風も、自分が行くつもりは毛頭ないようだ。そのくせ、夏樹には行かせようとしている。
どうやら、自分を使ってその安全性を確かめようとしているのだなと、夏樹は感づいた。いつものことと言えば、いつものことだったが。
「では、行ってみるか?」
「いや……」
「行ってきなよお兄ちゃん。向こうでりりちんに会えるかもだし、それに、ララちゃんがいればなにに遭遇しても平気だよ」
「まあな。魔界の化け物なぞ、どれほどのこともないわ」
化け物、いるのかよ。
いや違う。問題はそこじゃなく、本当に行けるのか、そして、行けるとしたら自分はそこへ行くのかというところにある。
確かにキララちゃんが一緒なら安全そうではあるけれど━━だいたい、なにしに行くんだよ。ああ、ただの見学か。と、そこまで思って、一応、心細いのでひとつだけ提案してみる。
「アンヨちゃんも行ってみる? 一緒に」
「ぜったいに行かないのです。魔界はダメダメのダメなので、アンヨはぜったいに行かないのです。魔界はダメダメのダメなので・・・」
壊れたオモチャみたいに、繰り返すアンヨちゃん。初雪に肩を抱かれて、ようやく落ち着く。
「なんか、ごめんなさい……」夏樹はアンヨちゃんに謝ったが、首をかしげられただけだった。
「では、初雪のお兄さまだけ、ついてくるがよい」
言って、玄関ホールへ向かうキララちゃん。
「いや、まだ行くとは━━」
「どんなだったか、帰ってきたら詳しく聞かせてねお兄ちゃん」
「写真、くれぐれも頼んだぞ、初雪兄」
「…………」
これはもう、行くしかないのだろうか。
なるように、なるのだろうか。
これ以上なく、生まれて初めて一から十まで不安しかないというのが、現状だ。
どうしてこんなことになった? 思いながら、玄関ホールへ向かう。
ただ、まだ希望は捨てていない━━そんな、魔界なんて別の世界に行けるなんてことは、やはり普通に考えれば無理な話だし、女子中学生たちの妄想という可能性のほうが、現実的にはだいぶ高い。
先ほどまでヤバ子ちゃんが立っていた庭石の前まで行った。そこで、キララちゃんが、立ち止まったからだ。
近くには、ヤバ子ちゃんとしめり姫の姿もあった。しめり姫は下着を取り替えただろうか、という心配がよぎる━━余計なお世話か。
「ヤバ子、ちょっと魔界へ行くぞ」
ちょっと散歩に行くぞ、みたいな感じでキララちゃんが声をかける。
「おっ、ひさしぶりだな!」
ヤバ子ちゃんも、こともなげに応じた。
ガラス窓越しに、玄関ホールの中が見える。
角度的に端のほうじゃないとこちらが見えないようで、初雪、春風、毘沙門ちゃんとアンヨちゃんがカドに密集している。
身体を寄せあって、こっちを見ている。そんなぎゅうぎゅう詰めにならなくても、外へ出てくればいいはずだが、なにかしらの危険を怖れてのことだろう。
なんだか、薄情なやつらだと夏樹は肩を落とす。
「しめり姫は離れてろよ」
ヤバ子ちゃんが言い、しめり姫が離れる。
「では、参るぞ━━」
キララちゃんが、構える。
精神を研ぎ澄ませるためか、目を瞑る。
「容恕流奥義━━刈手紅兎飼餌螺鳴威!」
「オラァァァ! 上半身消滅する技ーっ!」
キララちゃんのよくわからないものすごい攻撃とヤバ子ちゃんのよくわからないものすごい攻撃とがぶつかり合って、閃光が走る。
遅れて発生した衝撃波が、夏樹の身体を走り抜け、後方に消えたのがわかった。
建物が、ビリビリと振動している。
窓ガラスに張りついて見ていた初雪たちも、そこから離れたのが見えた。
そして━━キララちゃんとヤバ子ちゃんの周りだけ、なんだか景色が歪んでいた。
錯覚と思い、目をこすってからもう一度見てみたけれど、それは変わらなかった。
「ほれ、来るのじゃ」
キララちゃんの腕が伸びて、夏樹の右手を掴む。そのまま、驚くべき力強さで引き寄せられると、夏樹も歪みの中に入ってしまう。
そうすると、外の景色がわからなくなった。建物もよく見えなくて、もちろん初雪たちの姿も確認できなくなる。
「これが、わたしらの魔界への移動手段じゃ」
「あぶねーからな、しめり姫は連れていけねーんだ」
オレは、いいのかよ。
そう思ったが、近くから声はするものの、姿はよく見えなくて、とにかく動揺していたので無言のまま、自らの安全だけを願う夏樹であった。




