旅行の準備がおかしい
いよいよ間近に迫った修学旅行を前に、初雪の準備も本格化していた。
というか、今の今まで準備していなかったというだけなのだが、大抵の生徒はそんなものだろう。それに、2〜3日前までに準備すれば、余裕で間に合うものだ。ちなみに夏樹の場合、中学時代の修学旅行は前日の夜に慌てて用意した記憶がある。
忘れ物がなかったのが、奇跡的だった。
「旅のしおり━━こんなもんはどうでもいいから置いといて、アニメショップ関連のマップと、各店舗のポイントカードを忘れずに」
なんだか、準備が間違っている。プライベートの旅行じゃないんだから、旅のしおりを置いて行くなよ。
「お兄ちゃんのパンツと、暇な時用のフリキュア小説の新刊と、あとは━━」
「ほんとに持って行くつもりか、オレのパンツ?」
「まあ、そうだね。二泊三日ともなると、りりちんの変態チャージがあると思うから。まさかイカ臭先生のパンツをもらうわけにもいかないでしょ、さすがに」
夏樹としてはいろいろ突っ込みどころが満載だった━━イカ臭って、どんな先生だよ。あと、先生をそんなふうに呼んじゃダメだろ、と。
「それにさ、なんかりりちん、どうもお兄ちゃん中毒になったみたいで、もう他の人のエキスとかあんまし興味ないって。というか、お兄ちゃんに興味がありすぎる感じだけど」
その言葉を聞いて、夏樹は身の危険を感じる。梨理夢は見た目美少女だし、けして嫌なわけではないのだが━━なぜか恐怖を感じてしまう。いや、理由ははっきりしている。梨理夢が変態だからだ。
普通の女の子じゃないからだ。
「まあ、修学旅行の準備はこんなもんかな〜。で、こっちが初雪王国の合宿準備用で━━」
そうなのだ━━初雪たちは、修学旅行直前に、藤原毘沙門ちゃんちの別荘でお泊まり会を計画していた。
いわく、「合わせて4泊6日のセレブ旅行計画」らしい。
またろくでもないことを思いついたものだ。
これはいよいよ、受験勉強なんてしていないだろう。どの暇でやっているのか、夏樹には想像がつかない。
実際、さっきまでゲームで遊んでいたし。
「別荘行って帰ってきて、すぐ次の日から修学旅行って、大丈夫なのか?」
「大丈夫じゃない? まだ若いし」
確かに、体力的には問題ないのだろうが、夏樹は同時に勉強のことも訊いたつもりだったが、初雪の脳内にそんな考えはなさそうだった。
ピンポピンポピンポーンと、突然家の呼び鈴が連打される。
この鳴らしかたは、ヤツだな! と、夏樹はすぐにピンときた。
その通り、玄関先に立っていたのは初雪のクラスメイトであり変態女子中学生の愛野梨理夢だった。
私服姿が、似合っている。
「お兄せーしさん、こんパンツは!」
いよいよ頭がおかしくなったらしい梨理夢が、聞いたことのない挨拶をする。
「りりちんいらっしゃい。こんな夜更けにどーしたのん?」
初雪が言う通り、普通、人の家を訪ねるような時間ではない。子供はそろそろ寝る時間だ。
「ちょっとわたしの計算違いで、エキスが不足してきました。だからずっとムラムラしちゃって眠れなくて━━お兄さんのパンツ、まだありますか?」
この場合のパンツとは、もちろん使用済みのそれを指している。
寿々木家では、翌朝に洗濯機を回すのが習慣なので、もちろんあるにはあるのだが。
喜んでそんなものを提供する人間などいない。
「ちょっと待ってて」と走って行き、すぐに戻ってきた初雪が夏樹のパンツを喜んで提供した。兄の、その目の前で。
「ありがとうございます、初雪ちゃん、おせーしさん! じゃ、帰ります」
と、パンツを頭から被って去る梨理夢。
おまわりさんに見つかったら百パー言い逃れできない姿で、闇に消える。
玄関の扉を閉めて、階段へ向かう。
その時━━ピンポピンポピンポーン。と、再び呼び鈴を連打される。
「どういうつもりだ、なんで戻ってくんだよ」
「りりちん、忘れ物かな?」
来客の姿はカメラで確認できるのだが、あたまから戻ってきた梨理夢だと思い込んでいた兄妹は確認しなかったので、扉を開けてたいへん驚くことになる。
なんと、そこに立っていたのは外国にいるはずの母親だった。
「おこんばんは〜」
ふざけた調子で手をふる母親━━寿々木真夏。
「ママ! なんでいるの!」
初雪が驚きながらもすぐさま抱きついて、クンカクンカと匂いを嗅ぎはじめる。
胸に顔を埋めて、左右に高速で頭をふる。
「んももももももぎゅ!」
「おーよしよし、雪んこは甘えんぼだなぁ。はいお土産の翼竜の骨と類人猿くんキーホルダーと新型インフルエンザの特効薬」
「わーい、ありがとー!」
夏樹は無言だった。
この親にして娘なので、だいたい想像のつく通り、初雪がおかしいのはおそらく、母親からの遺伝によるところが大きい。
そんな母はどこぞのジャングルで密猟者を取り締まる仕事をしているらしい。詳しくはしらないので、その程度の認識しかなかったが。
普通の仕事じゃないのは、間違いない。
そんな母から生まれ、育てられたからこそ、今の初雪が出来上がったと言っていいだろう。
「で、どうしたの、連絡もなく急に帰って来るなんて」
夏樹は訝しげな表情隠さずに、そう尋ねた。
「そりゃあ、あんた、二人が兄妹でなんかエロいことしてないか、抜き打ちチェックに決まってるじゃない」
と、とんでもないことを口にする。
まあ、相変わらずなんだけど。
「え〜、わたしはむしろ変態お兄ちゃんの変態欲望女子中学生変態ハーレム計画を阻止する側なんだけど?あ、でも、りりちんと近いうちにエロいことするかもしれないから、注意が必要ですぜ、ママ」
「ほう、それはさっき男物のパンツを被って走って行った子かな?」
「お、するどいですなぁ。その通り、さっきのが超絶美少女悪魔っ娘のりりちんこと、愛野梨理夢ちゃんだよ」
「へえ、夏樹もやるわねぇ」
そんな女二人の横で、なんもやってねえよと呟く夏樹。
真っ向から言葉をぶつけて勝てる相手ではないので、会話には加わらないが。
「冗談はさておき、初雪の修学旅行が近いってのを思い出してね、ちょっと帰ってきたの。わたしがいない間は、密猟者たちが有利になっちゃうけど、そんなことより娘のほうが大事だからねぇ、向こうは向こうでなんとかやってもらうしかないわ。ヘタレのホセがそろそろ半べそかいてる頃だと思うけど、なんとかなるっしょ」
母親の仕事関係はわからないが、娘を心配して帰ってきたことはわかった。ほとんど家にいないながらも、母は母なりに考えていたということだ。初雪も、すごく嬉しそうにしている。
「お小遣いは間に合ってる?」
ソファーに落ち着いてから、母が口を開いた。
「んー、ちょっと足んないかなぁ?」夏樹が驚くようなことを平気で言いやがる初雪。「こないだ50万円当たったから、修学旅行の分は大丈夫だけど、プライベートの分は厳しいかも。来月、フリキュアのフィギュアが三体同時に発売されるから!」
そこまで聞いてから、母は「え?」と驚いた表情を見せた。いや、さすがに驚くのも当然だ。
「50万円当たったって、どーゆーこと?」
初雪は隠すことなく、出来事をその通りに説明した。アンヨちゃんのお父さんに、現金を受け取ってもらったことまで、包み隠さず。
「マジかい━━雪んこあんた、昔っからツイてるからなぁ。そうかそうか、それじゃあそのアンヨちゃんちにも、お礼に行かなきゃね」
母は初雪からアンヨちゃんちの住所やらなにやらを聞き出して、メモを取る。
「この時間に電話ってわけにもいかないから、明日にでも直接お宅にお邪魔してみよう」
いつまた海外に戻るのかわからないが、少なくとも翌日はまだ日本にいるのだろう。
子供を信頼しているということなのか、わりとなにも言わずに姿を消したりする自由人なのでそのまま帰ってしまう可能性もあるけれど。
「ママ、今日は一緒に寝ていいよね?」
ここぞとばかりに甘えたい初雪は、そんな提案をする。
「もちろん。夏樹も一緒に寝る?」
言われそうな気はしたが、いざ言われたところでイエスと答えるわけもなく。
「いや、いい」とだけ、短く答えた。
「だよね〜、お兄ちゃんは夢精とかモーニングエレクションとか、あるからね」
「なるほどなー」
と、そんな親子の会話を聞き流して、夏樹はとっとと自室へ向かった。




