真の芸術とはおかしい
初雪と春風は剣道部の練習を見学に来ていた。
暇だったから。
「おー、やっとるやっとる。全員仮面剣士で誰が誰だかわかんないけど」
文化部の初雪には到底真似のできない世界であるが、だからこそ見ていて楽しい。
なにがどうなれば勝ちなのかもよく理解していなかったが、なんとなく「当てれば勝ち」と考えていた。
「はっちゃんひーちゃん、見学ですか」
大方の予想を裏切るまさかの剣道部に所属している『ハカセ』こと水沢季瀬姫が声をかけた。
面をつけたままなのでやはりよくわからないけど、垂に名前が書いてあるのでそちらを見れば一目瞭然なのだが、たまに名前を入れ換えるいたずらをする者もいるので、油断はできない。
「やあキーちゃん、今日も仮面の剣士だね」
「そうなんですよ、この上から竹刀で思いっきりぶっ叩かれると、いろいろ新しいアイディアが浮かんだりして、まさに一石二鳥なのです」
小手を付けたままの手で、頭をポンポンやってみせる。全体的な守備力は高めだが、それ絶対に足の守りは考えられていないよね、と初雪はいつも思う。
「何回も言うけど、足狙われたら終わりだよね」
「そうなんですよ。ルール上、狙われることがないとはいえ、いざ狙われたらスネダイレクトですからね」
「スネダイレクトだよね」
ピコチンピコチンピコチン━━
春風のスクールバッグから電子音がする。
「おや、その音は妖怪探知レーダーでは?」面の奥から、季瀬姫が喋る。
「まさか、学校内に妖怪だと? 今までにこんなことは━━」
レーダーを確認する春風。季瀬姫も面をつけたままの顔で覗き込もうとするので、同じく顔を寄せようとした初雪の頭は押し出された。
「キーちゃん、頭でけー」
それは無視されて、確認を終えた春風がその示す先に視線を向ける。
と、その先にはスケッチブックを片手に持った転校生・妖精ヶ丘アンヨのかわいらしい姿があった。
「あ、アンヨたんだ」
「妖精ヶ丘ちゃんに反応してるのか?」春風は怪訝そうな顔で、季瀬姫に問う。
「他に対象者がいないので、おそらくは」
三人は彼女の元へと近づいた。
アンヨは美術部に入部していて、おそらくその活動として来ているようだ。夢中になって絵を描いている。
「アンヨたん、なにしてんのー?」初雪が馴れ馴れしく肩に抱きついて、尋ねた。
「アンヨはビジュツブなので、ケンドーブの絵を描きに来たです」言って、描きかけのスケッチを見せる。
それは、なんとも言えず味のある、どこか奥深さを感じさせるもので、まるでアンヨの人間性そのものを表現したかのような愛らしく幸せな気持ちになる、とても素敵な「ヘタクソな絵」だった。
「す、すげー……なんかわかんないけど、アンヨたんの絵、やべーぞこれ!」
初雪は驚愕し、思わず後ろにのけぞった。
「どれどれ━━な、なんだと!」春風も目を見開いて驚く。「これ、教科書に載るレベルじゃないのか?」
「わあ、本当ですね。これは、すごい才能ですよ。狙って書けるものではないし、教えられてできるようなものじゃありませんよ!」
季瀬姫の持った竹刀がたまたま運良く(悪く)初雪の股関を突いてしまい、変な声が上がる。
「あんっ! キーちゃんに犯された!」
「あ、ごめんなさい」季瀬姫は軽く謝って済ませた。
「それにしてもこれ、美術部の顧問はどう考えているんだ?ただ事ではないぞ」
「その通りだね春ちゃん。ねえアンヨたん、先生はアンヨたんの絵、なんて言ってた?」初雪は再びアンヨの肩にまとわりつく。
「まだ見せてないですよ?これが、はじめてのスケッチです」と、アンヨ。
「そっか、アンヨたん転校してきたばっかだし、美術部にも入部したばかりだったね」
「はいです」
そして再びスケッチに戻ったアンヨが描き終わるまで、初雪と春風は待った。季瀬姫は呼ばれて戻ったが、アンヨのスケッチが気になっているようである。
「美術部だから美術室だね、よし行こうすぐ行こう」初雪を先頭にして、そのあとを春風とアンヨが追う。
完成した絵は、ともすれば幼児が描いたものに見えなくもないが、その実よく見るとそんなレベルの代物ではないことが、誰の目にもわかるのだ。
それは「天才的」としか表現のしようがない、奇跡のような芸術作品だった。
「ザマス!」美術部の顧問・座間炭子先生は驚きのあまりおしっこを漏らしそうになった。二十年後の彼女であれば、弛んだ股関から、実際に漏らしていたかも知れない。
「どうですか先生、アンヨたんの絵ヤバ神ってませんか?」
言葉の意味はわからないが、座間先生はうんうんと頷いてみせた。
「確かに、この絵はなんだかわからないけどものすごいザマス! あら、いけない、興奮しすぎて前世紀の口癖に戻っていたわね」
かつて━━何十年前だか知らないが、先生にそのような口癖があったことが発覚したけれど、誰も興味がなかったのですぐに忘れられた。
「でも本当に、高名な画家が描いたような趣があるし、なんでしょう、心に訴えかけてくるものがある、そんな作品ですね」
座間先生の評価に、今度は初雪が頷いた。
「わたし、アンヨたんにはすごい才能があると思うんですよ。それに、色なしでそんなすごいんだから、色つけたらもうお金になるレベルなんじゃないかって思ったんですよね」
鉛筆画のその絵は、座間先生の手によって額縁に入れられると、美術室の壁に飾られた。
「なんか、本物って感じだな」春風が感想を述べる。
確かに、壁に飾られたアンヨの絵は、どこかの美術館から持ちだした作品だと言われれば、おそらくみんな信じてしまうだろう雰囲気があった。十万と言われれば十万に見えるし、百万と言われれば百万で買う金持ちが現れそうな、「本物」の絵画に思える。
「妖精ヶ丘さん、誰かに絵を教わったことはあるのかしら?」座間先生は訊いた。
「ないです!」
元気よく、はじける笑顔で答えたアンヨ。なんだかわからないが美術室の薄暗さが緩和された錯覚に陥る。いつも仏頂面の座間先生さえ、笑顔になっていた。
アンヨには人を明るくさせる力がある。初雪はそれを確信していた。
「やはりこれは、生まれ持った才能というほかありませんね。いいでしょう、わたしが培ったすべての経験をもって、妖精ヶ丘さんの指導にあたりましょう!」座間先生が拳を握り、プルプル震える。
部員が帰宅したあとだからよかったものの、誰か残っている生徒がいたら動画でも撮影していたかもしれない。それほどに、今の座間先生は普段の姿からはかけ離れた様子を見せていた。単純に、これほど感情を表に出すような人種ではなかったので、春風なども物珍しそうに眺めていた。
「アンヨ、がんばるです」
陽だまりの笑顔で、アンヨが言う。
座間先生が少女のような笑顔で、アンヨの頭に手を置いた。
「一緒にがんばりましょう。美術界に革命を起こすのよ!」
そう言った座間先生の目は輝きに満ちて、まるで十代の少女に戻ったかのような生命力が溢れていた。
それは、普段の死んだ魚か黒目が消えた呪いの人形みたいな先生からは想像もできなかった劇的な変化であり、あるいは一種の奇跡ですらあった。
そんなアンヨの影響力に、初雪は至上の魅力を感じていた。




