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最終話 世界で一番優しい嘘つき

 春。

 風に乗って、白い花が宙を舞っていた。

 それも一輪だけではない。

 いくつもの白く可憐な花が、まるで冬の白龍山脈に降る雪のように町中を舞っている。


 その花吹雪の中を、二人がけの特注鞍を乗せた首長馬ヤオマーのプアンがゆっくりと歩いていた。

 長い首をわずかにもたげ、わたしたちを乗せて一歩一歩踏み締めるように歩くプアンは、何だかご機嫌で誇らしげだ。


 塔の町を洗う花の雨は、競い合うように立ち並ぶたくさんの塔の上から撒かれていた。

 鞍に備えつけられた豪奢な天蓋も、今はもう花でいっぱい。けれどそこへ、塔から塔へ渡る橋梁に集まった子供たちが、腕一杯に抱いた花を更に投げ込んでくる。


「チャイディさま、スーリヤさま!」

「ご結婚、おめでとうございます!」


 白日の下にあって、なおも淡い光を放つ夜光絹の衣。

 そのやけに長くてひらひらとした袖を軽く押さえながら、わたしは子供たちへと手を振り返した。


 町は歓声に包まれている。コンマニー王国最大のお祭である、夜光祭をも上回る人出。

 大地を覆った人の群は、道の両脇からたくさんの塔の窓という窓、橋梁の上までもを埋め尽くし、わたしが想像していた以上の熱狂を巻き起こしている。


「すごいわ。まさかこんなに大勢の人が集まるなんて」

「当たり前だろ。何せ未来のお妃様のお披露目なんだから」

「でも、わたしはとても王族との婚姻を喜ばれるような身分じゃないのに……魔女退治の噂だって、何だか独り歩きしてるみたいで……」

「関係ないさ。誰が何て言おうと、僕らが愛し合ってる事実は変わらない。だろ?」


 まるで歯の浮くような台詞を気取った態度で言ってのけて、隣に座るチャイディが笑った。

 その彼も今は、正統な王の一族であることを示す夜光絹と金の装飾に身を包んでいる。そんな格好をしていても、やっぱりいちいちわたしをからかうあたりはチャイディだ。

 わたしはまた茶化されているだけだと分かっていながら思わず頬が熱くなり、さっと彼から目を背けた。

 もう、いくらこの大歓声では誰にも聞こえないと分かっていても、そういうことを人前で軽々と言わないでほしい――

 なんてわたしが内心抗議していると、ときにすっと伸びてきたチャイディの手が顎を掬って彼を向かせ、そこにやわらかい口づけが降ってくる。


 集まった群衆が一気に沸いた。その爆発的な熱気と共に、わたしの頭まで爆発しそうになる。

 護衛として鳥に跨がり、先導に立ったナットがこちらを見て笑っているのが見えた。

 更にわたしたちが座る鞍の後ろでは、行儀良くプアンの背に座ったノーンが祝福の歌を歌っている。


 わたしたちが魔女カーラを打ち倒し、塔の町へ帰り着いてから数ヶ月。

 王国ではカーラの死と平和の再来、そしてチャイディの身に降りかかっていた呪いの消滅が宣言され、全国民がその吉報に沸いていた。

 加えてチャイディとわたしは身分の差を超えて夫婦となることを認められ、今、こうして王国中の人々からその結婚を祝福されている。

 何もかも、まるで夢みたいだ。

 けれど王さまとお妃さまは、互いに命をして守り合ったわたしたちを引き裂く理由なんて何もないと、二つ返事でこの婚姻を許してくれた。


 父さんと母さんが知ったら、二人は一体どんな顔をしただろう。父さんはわたしが王の娘になると知っておろおろし、母さんは泣いて喜んだだろうか。

 何だかそんな両親の姿が目に浮かぶようで、わたしはチャイディに肩を抱かれながらこっそり笑った。

 日の光を照り返し、視界いっぱいに舞う花が眩しい。

 その光景はこの国が、確かに太陽神めがみスーリヤの祝福を受けた国なのだと教えてくれる。


「はー、しかしさすがに今日は疲れた……」


 と、チャイディがそんな泣き言を言って寝台に倒れ込んだのは、その日も夜が更け、町中を包んでいた熱狂がようやく眠りに就いた頃だった。

 窓の外に昇った満月は、既に天心からやや傾いている。わたしはチャイディの寝室に設えられた白い鏡台の前で、結び目を解いた髪からそっとかんざしを外しつつ、鏡越しに見える彼の姿にくすりと笑った。


 まったく、次期国王がこんなことで音を上げるなんて情けない。次期王妃としてそうお小言を言ってやるべきかと思ったけれど、かく言うわたしも今日は疲れた。

 何しろ今朝は日の出と共に後宮の祈祷所へ赴き、女神スーリヤの前で厳粛な婚儀を執り行ったあと、その足で祝賀パレードに直行し、更に王宮に戻ってからは各国の賓客を集めた披露宴に出席していたのだ。

 この数ヶ月、お妃さまから王族としての作法をビシバシ仕込まれるうちに体力には自信がついたつもりでいたけれど、今日は一日中気を張っていたせいか、いつも以上の疲労を感じていた。


 だけど不思議とそれが不快じゃない。むしろおりのように溜まった疲労が今は心地いい。

 まるでわたしがまだ一介の旅芸人だった頃、大勢の観客の前で一世一代の演目をやりきったあとのようだ。体は確かに疲れているけれど、心はこれ以上ないほどに満たされている。


 だって、わたしは。

 わたしたちは。

 今日、晴れて女神スーリヤの祝福を受け、正式な夫婦として結ばれたのだ。


「スーリヤ」


 あの日――あの夜光祭の日。

 チャイディが贈ってくれた簪を胸に抱いてそんな感慨に耽っていると、突然耳元で声がした。

 驚き、ぱっと目を上げれば鏡の向こう――わたしのすぐ後ろにチャイディがいる。いつの間に忍び寄ったのか、白い寝間着姿の彼は悪戯っぽくにっと笑うと、すかさず腕を回してふわりとわたしを抱き締めた。


「ひどいな。今日の本番はこれからなのに、先に一人で居眠りを始めるなんて」

「失礼ね。今のは居眠りなんかじゃないわ。ただちょっとあの頃を思い出してただけ」

「あの頃?」

「そう。あなたが〝殺し屋〟なんて名乗って、記憶を失くしたわたしをにやにや眺めてた頃」

「何だ、まだあのときのことを根に持ってたのか。そりゃ確かに、当時は昔と同じ嘘に引っかかる君の反応をいちいち楽しんではいたけどさ」

「あら、認めるのね?」

「そんなことより、スーリヤ。その既婚の証ラック、やっぱりよく似合ってるよ」

「話を誤魔化さないで」


 鏡の中でわたしの額を指差しながらそこにある黄色い菱形模様を褒める彼に、わたしはじと、と半眼を返した。

 このラックは婚儀の際に、新郎であるチャイディがその手で塗ってくれたものだ。彼は身乍みながらその出来に満足しているようで、にこにことわたしの額ばかり眺めている。


「このラックを青く塗り替えるときが今から楽しみだな」

「あなたと一緒にいたら、一年なんてあっという間よ」

「それって褒め言葉かい?」

「そんな風に思えるなんて、ずいぶん前向きになったのね」

「そりゃあ、最愛の人とこうして一緒になれたわけだからね。それでまだ泣き言を言うなんてのは贅沢さ」

「カーラのことはもういいの?」


 思わずそう尋ねてからはっとした。この話題は、できればチャイディの前ではしないようにと決めていたのに。

 けれど今日まで確かめたい気持ちを抑え込んでいた反動か、わたしの口は気づけばそう口走っていた。一度口から出てしまった言葉は取り消せない。


 あの日。

 崩壊するまやかしの世界で、滅びる寸前のカーラを抱き締め救ったのはチャイディだった。

 否、正確にはカーラの思い人――チャイディの前世の人格に当たるコンラックという人だ。


 カーラの魔術によって一度魂を抜かれ、再び肉体に戻されたチャイディは、元の人格を取り戻した拍子に前世の記憶が蘇ったのだと言った。チャイディはカーラが言っていたとおり、百年前に彼女と恋仲だったコンラックという男性の生まれ変わりで、当時の彼とまったく同じ姿形に生まれついたらしい。

 だからカーラはチャイディに執着した。自分の存在を彼に刻みつけることで〝コンラック〟の記憶を呼び覚まし、再び愛する人を取り戻そうとしていた。

 あのときその事実に気がついたチャイディは――否、コンラックは、だから最後に彼女を救った。生前の約束を果たせなかった罪滅ぼしとして。


 けれどカーラが滅んだ今も、コンラックの記憶はチャイディの中にある。それはつまり、カーラを愛した日々の記憶が彼の中にあるということだ。

 それが一体どんな感覚なのか、わたしには想像も及ばないけれど。

 まったく他人の記憶を抱えて、それでもなお彼が彼として生きるのは、とても難しいことなのではないかと思った。


 ましてや〝生まれ変わっても愛し合おう〟なんて誓った相手との思い出がありながら、別の女を愛するなんて。

 それは本当は、とてもつらいことではないのだろうか。チャイディは――彼の中のコンラックは、カーラを拒絶してしまったことを悔いているんじゃないだろうか。


「スーリヤ」


 そんな不安と自己嫌悪の渦の中。

 わたしが思わず顔を伏せると、チャイディはそれを掬うようにそっと顎に手を当てた。

 そうしてわたしに顔を上げさせ、さりげなく目の前の鏡を見せる。

 その鏡の向こうには、優しく微笑む彼がいた。


「彼女のことは、もう気にしなくていい。前世の僕は……コンラックは、カーラと共に行ったんだ。今の僕は他の誰でもない、チャイディ=ナイルアン=ルークチャイだよ」


 穏やかに響いた彼の声は、じわりと胸に沁み入るようで。

 鏡越しに彼の瞳を見つめたまま、わたしは泣いてしまいそうだった。


 本当は、分かっている。

 彼は優しい人だから。

 どんな後悔も悲しみも、胸にしまって生きていこうとしているのだろう。

 チャイディはそれを、カーラを裏切ってしまった償いだと思っているのかもしれない。何もかも悪いのは自分なのだからと。


 だけど、わたしは。

 今日やっと、そんな彼の妻になった。

 だから伝えておきたいことがある。

 わたしは一度目を伏せて立ち上がると、くるりとチャイディを振り返り、言った。


「ねえ、チャイディ」

「ん?」

「あなたは以前、自分さえ生まれてこなければ誰も不幸にならずに済んだと言ったわ。自分は存在自体が罪なんだって。だけどそれは違う。少なくともわたしは、あなたと出逢えて……あなたが生まれてきてくれて、本当に嬉しいの。悲しかったことも、つらかったことも全部含めて……わたしは今、幸せよ」


 だから、どうかこれからは。

 楽しいことも悲しいことも、全部一緒に背負っていきたい。

 二人分の記憶を抱え、やがてはこの国の王となる彼の前途は、決して平坦なものではないかもしれないけれど。

 それでもわたしは、わたしたちには、どんな困難だって退ける奇跡の力が備わっている。

 だからこの先、たとえどんなことがあろうとも。

 わたしたちは大丈夫。

 二人一緒なら、きっと何だって乗り越えていける。


 ねえ、チャイディ。


 それくらい、あなたはわたしのすべてなのだから。


「……ほんと、君には敵わないなぁ。僕の考えてることなんて、今じゃ何でもお見通しか」

「ええ、そうよ。だってわたしはあなたの妻ですもの。だからこれからは、あなたの嘘にだってもう騙されないわ」

「へえ、そう。それじゃ僕もこれからは正直に生きなきゃいけないな。でもそれなら一つ、最後にとっておきの嘘をつこうか」

「え?」

「――スーリヤ、愛してる。今も昔も、僕には君だけだよ」


 窓から降り注ぐ月明かりの中、狙い澄ましたようにそう言って彼は笑った。

 初めはそれに目を丸くしたわたしも、やがてつられてくすくすと笑い、伸びてきた彼の手に体を委ねながら言う。


「嘘つき」


 そうして互いに笑い合いながら、わたしたちは口づけを交わした。

 胸一杯に広がる幸せを抱きながら、彼の胸に額を寄せる。そんなわたしを包み込んでくる彼のすべてがこんなにも愛しい。


 これからはどんな小さな喜びも悲しみも、きっと忘れずに生きていこう。


 大切な約束で結ばれた、この世界で一番優しい嘘つきと。












(了)

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