第三十八話 激闘の朝Ⅷ
二話連続です。
―――――時間は少しだけ戻る。
「はぁ…はぁ…はぁ…」
胸部と左腕からとめどなく血が溢れる。
荒い息を繰り返し、気を紛らわせようとするも、呼吸をするだけで傷がずきずきと痛む現状では、かえって逆効果になっていた。
ただ、止めようと思って止められるものでもなく、傷のせいか動悸が激しくなり、イルの意識とは逆に体は酸素を欲している。そのため荒い呼吸を止めることができなかった。
メリアにつけられた傷は深く、治癒魔法をかけているのだが痛みで集中できずに、ただいたずらに魔力を消費するだけとなっていた。
剣も弾かれ今は手ぶら。《停滞の箱》から剣を取り出そうとするも、これも失敗する。
何とか一度距離を空けることには成功したが、手ぶらのイルには攻撃手段は限られている。
魔法も集中力を乱されては簡単なものしかできない。剣を拾おうにも、メリアの方が剣との距離が近いために、その目論見は実行に移した時点で容易に妨害されるだろう。
それに、もし剣がこちらに近かったとしても傷を負っているイルの方が動きは鈍く、これまた容易に妨害されていただろう。
絶体絶命。その言葉が相応しい状況であった。
今この状況を作り出した原因は、イルの考えの甘さだろう。
相手がどういう存在なのかを考えもしないで戦いに出た結果がこれだ。
メリアがどういう存在なのか。この期に及んでようやく理解できた。
思えば、ヒントはあった。昨日捕らえられた“蜘蛛”が半魔であると、今朝報告に来た兵士より聞いていたのだ。
(少し考えればわかることだった……)
半魔はどの種族からも忌み嫌われる存在。それを考えれば、半魔が一人だけ部隊に編成されていることなどまずありえない。もしかしたら、そういう場合もあるかもしれないが、可能性としてはとても低い。
であれば、必然的に他にも半魔がいることは想像に難くない。
(本当に、少し考えればわかることだった……)
メリアの正体に思い当たり、動揺した。その動揺が動きにも出た。その結果が、今のイルの状態だ。
考えも、覚悟も足りなかった。
(結果…この体たらく…)
ただ倒す敵だと考えていた。いや、それ自体は正しい。目の前に立つメリアは今回討伐するべきターゲットで、まごうことなく敵なのだから。
だが、彼女が半魔であるならば自然と考えてしまう。彼女が向けられてきた人の悪意を。彼女がこうするまでに至った経緯を。
考えて、動揺して、驚愕して、その隙を突かれた。
(まったく……甘いな…これくらいで動揺するなんて)
イルは深く深呼吸して息を整える。
(確かに…彼女たちの過去には同情する。でも、それだけだ)
右手で魔法を発動する。発動するのは治癒魔法。
(彼女たちが持つ怨みを、本来向けられるべき人たちの代わりに肩代わりするつもりもなければ、代わりにやられてやるつもりもない)
さっきとは違い落ち着いているからか、治癒魔法はすんなりと行使される。みるみるうちに傷が塞がっていく。だが、きちんと塞がっているように見えても、今行えるのは傷口を塞ぐことまでだ。無駄に魔力を浪費しているので、これから戦うことを考えると完全に治癒に回すだけの魔力がないのだ。
それに、傷が完治するまで向こうが黙って待ってくれるわけではない。
メリアは、イルが治療を始めると同時に駆け出す。
イルもそれは予想していたので、特に焦ることもない。
「俺にも守らなくちゃならない人がいる。そのために、こんなところで死んでる場合じゃないんだよ」
《停滞の箱》から予備の剣を取り出し構える。接近戦は体への負担が大きいが、傷は大方塞がった。多少無茶をしても問題は無い。
「断ち切るは悪。断ち切るは怨嗟。断ち切るは悲哀。その者の悔恨も悲哀も全てを断ち切って見せよう。それが唯一の救いになるならば、断ち切ることの躊躇いは無し。―――力を見せろ《裁断剣・タチキリ》」
詠唱し、魔法を発動する。だが、ただの魔法ではない。ついでに言えばイルが取り出した剣も、ただの剣ではない。
イルの取り出した剣は、いわゆる、魔剣と呼ばれるものだ。
この世界には、魔剣、魔槍、魔弓などなど。多種多様な魔武器と呼ばれるものがある。シスタの茨を生やすことのできる槍も魔武器だし、今出したばかりの《裁断刀・タチキリ》も魔武器だ。
魔武器は多種多様なものがあるのだが、そのルーツは未だ分かっていない。いつの時代に作られたものなのか。誰が作ったものなのか。その全てが謎に包まれている。
ただ、分かることがあるとすれば、二つ。一つは、魔武器の一つ一つが強大な能力を有しており、最高位のものになれば神罰魔法にも相当する力を有しているとまで言われている。
二つ目は、誰でも扱えるものではないというものだ。能力的な意味でも、国家の一財産として管理されていることも含めて、常人が簡単に扱える代物でもないのだ。それに、人が魔武器を選ぶわけではなく、どういうわけか、魔武器が人を選ぶのだ。
だから、魔武器を持つものは『選ばれし者』と呼ばれている。因みに、アリアの持っている《憂愁の大剣》は魔武器ではない。女神の体の一部でできている神聖な武器と言うこともあり、神器と呼ばれている。
そんな魔武器の一つである《裁断剣・タチキリ》を持つイルももちろん選ばれし者だ。
先ほどの魔法も、《裁断剣・タチキリ》の名を使っていることから分かる通り、ただの魔法ではない。先ほどの魔法は、剣の本来の力を引き出すものであり、付与などの能力向上系のものではない。ありていに言って、封印を解除するようなものだ。
魔法が正常に発動し、剣の力が発揮される。
剣の鍔のあたりからすうぅっともう一本の刃が斜めに生えてくる。その刃は片刃で、元の刃と向き合うようになっている。
それはまるでハサミのようであった。
メリアは急に形を変えた剣を警戒しながらも進む足を止める気はない。ある程度近づくとワイヤーを振るう。
いくら形が変わろうとも、剣の攻撃範囲よりこちらのワイヤーの方が広いのだ。ならば向こうの射程に入らないで戦えばいいだけである。
だが、イルはワイヤーが迫って来ているにもかかわらずその場を動こうとしない。まっすぐにメリアを見据える。
すっとタチキリを構える。構えるというよりは目の前に突き出すだけだ。
何をするのかと勘ぐっていると、突如として得も言われぬ寒気に襲われる。本能の赴くままに急いでその場を離脱する。直後――――
――――チョキンッ。
なにかを切るような音が響く。大した大きさの音ではない。メリアのワイヤーが風を切る音の方が大きいだろう。なのにもかかわらず、その音は明瞭にメリアの耳まで届いた。
バチンッと大きな音が響く。
ワイヤーが宙を舞う。普通に舞っているのであればいつもの光景だ。だが、今回は違った。短すぎるのだ。宙を舞うワイヤーの長さが。
そう、切られたのだ。どんな剣で切り付けられても決して切れることの無かったワイヤーが切られたのだ。
その事実に、メリアの中で焦りと驚愕が浮かび上がる。
「な、なにをした!?」
最早絶叫に近いその問いかけに、しかしイルは冷静に返す。
「断ち切ったんだよ」
「は…はぁ?」
意味が分からない。メリアが使っているワイヤーはどんな剣でも切れなかった。それを切ったと言ったのだ。
「どうやって…」
「これだよ」
メリアの疑問に、イルは何でもない風に手に持った剣を持ち上げる。
よく見れば、先ほどまで開かれていた剣は刃が閉じられていたが、そんなことはどうでもよかった。メリアが気になったのは用いた武器ではなく、どういう方法でワイヤーを切ったかだ。
手に持った武器を用いたことなど簡単に予想できるし、むしろそれ以外考えられないだろう。
そんなことは戦闘経験なんて積んだことの無い幼子でも分かること。それゆえに、メリアは馬鹿にされたような気分になる。
「そんなことは分かってる!!どうやって切ったか訊いてるの!!」
「ああ、そんなことですか」
イルがタチキリを掲げると閉じられたタチキリの刃がシャキリと金属の擦れる独特の音を立てて広がっていく。
「この剣に切れないものは無い。だから、そんなワイヤー程度切れて当然なんですよ」
「こ、たえに……なってなぁいッ!!」
メリアは、怒声とともにワイヤーを振るう。
「切れないものは無い?そんなことあるわけない!!ハッタリかましてるんじゃない!!」
「…嘘じゃないんですがね」
そう。イルは嘘などついていない。タチキリの保有する特殊能力は《完全なる裁断》と呼ばれ、液体だろうが個体だろうが、魔力だろうが何だろうがすべてを断ち切ることのできる能力だ。
ただ、この剣は少し操作を誤ると、切らなくていいものまで切ってしまう。そのため、さきの件のときには使用しなかったのだ。周囲に仲間がいる状況では、操作を誤った時に殺しかねないからだ。
それに、この強力な能力にはメリットもあればデメリットもある。一つは、一回断ち切るごとに多大な魔力を持っていかれること。もう一つは、一回断ち切るごとに発生する体に返ってくる反動が激しいことだ。
今も、心もとない魔力残量が、更に心もとなくなり、両腕の筋肉がピシピシと嫌な音を立てている。
(あまり時間はありませんか…)
猶予はあまりない。魔力の方も残り少ないし、体の方も限界が近づいてきている。先ほどの技も撃ててあと数発だ。
早めに決着をつけようと決め剣を構えた――――直後。
「っ!?」
「きゃあああああああああああ!!」
空から何かが飛来してきてメリアの上に覆いかぶさる。突然のことに悲鳴を上げるメリア。
「く、ふふふふふふふふ」
静かに笑い声を上げながら覆いかぶさった何者かが立ち上がる。
その者の背中からは八本の奇妙な脚が生えており、口元は血で赤く染まっていた。腕にはメリアを抱きかかえており、抱きかかえられたメリアは逃れようとジタバタともがいていた。
異形な者を目にし、驚愕し硬直するイル。
「は、離してよ!なにするの!?アラクネラ!!」
「ふふふふ」
「なに笑ってるの?!いいから離してよ!!」
もがき続けるメリアに、アラクネラは笑い声を返すだけだ。
イルは目の前の光景にどうするべきか迷っていた。動くべきか、動かないべきか。そうこうしている間にも、アラクネラは動き出す。
アラクネラは、口をメリアの首筋にもっていき噛みついた。
「痛い!!何するの!?」
アラクネラと名前を呼んでいたことから二人は同じ“蜘蛛”のメンバーだと考えられる。なのに、今目の前で行われているのは仲間割れのようなこと。
「本当に……なん…な………の……」
相手の真意を測りかねていると、メリアの様子が変化していく。あれだけもがいていたのが段々と大人しくなり始めていく。
アラクネラは、今度は大人しくなったメリアの左腕に口を持って行き、口を大きく開けてかじりついた。
ぶちぶちと肉の千切れる音が響く。
メリアは肉を食いちぎられているにもかかわらず、呻き声一つ上げない。
くちゃくちゃと音を立てて満足げに咀嚼を繰り返すアラクネラ。
ごくりと肉を嚥下し、また左腕に口を近づけた。だが、今度は噛みつくまでには至らなかった。
なぜなら、邪魔が入ったからだ。
「なにをしているのだアラクネラぁぁぁぁぁぁぁああああああああああッ!!」
突如響き渡る怒声に、驚き振り返ると、そこには“蜘蛛”の1人と、シスタが立っていた。




