第三十一話 激闘の朝Ⅰ
「くっ!」
「あら、苦しそうな顔してるわね?もう、諦めたら?」
「なんの、これしき!」
ネクタルとユーリの戦闘は未だ続いていた。
戦況は、先の会話でも分かるとおり、ネクタルが優勢であった。
最初のうちで分かってはいたことだが、やはりレベルが違う。ネクタルは、日々戦闘をこなしている。それも、互いの命がかかった殺し合いだ。それに比べてユーリは訓練や実際に戦闘をしているものの、それは国の直近の驚異となる魔物を相手にだ。人を相手取ったことはあるにはあるが、数が少ない。それに、ネクタルほどの実力者とは戦ったことはなかった。
(こんなことなら、対人戦をご教授願うんだった…)
ユーリは直近の驚異である魔物に対抗できればいいと思っていたので、対人戦よりも、対魔物を想定とした訓練に重きを置いていた。国に残っているのであればそれでも良かったかもしれない。
メルリアは平和な国だ。
盗賊も少なければ、あくどい貴族も少ない。まったくいないと言えないのが残念でならないが、それでも、他国と比べれば圧倒的に少なかった。
盗賊がいなければ、必然的に命を懸けた対人戦の機会は失われていく。それゆえの経験の差。
ネクタルはユーリの行動の先を数多の戦闘で得た知識を利用し、予測して迎撃する。
ユーリはネクタルのいやらしいほどに正確無比な攻撃に、なんとか剣で捌いている。
実力の差は歴然であった。
ネクタルは、その細身の体に似合わない威力でワイヤーを振るう。ワイヤーは魔力を帯びており、ネクタルの意思でわずかにだが微動する。
空気を切り裂くような風切り音を上げながら、わずかに軌跡を変えるワイヤーを、ユーリはわずかに放出されている魔力と身体強化で強化された耳と目で、音とワイヤー自身を追い、回避する。
それだけでも、かなりの集中力を労するユーリに対し、ネクタルはまだまだ余裕の表情。
その表情に、ユーリは奥歯を噛みしめて叫ぶ。
「あなたは強い!それは私も認めるところだ!」
叫びながらも攻防は続く。
「あら、嬉しいこと言ってくれるじゃない。でも、それがなんだっていうの?」
ネクタルも相変わらずの余裕のある表情で攻撃を仕掛けつつ応える。
「なぜ!それほどまでに強いあなたが、悪の道に足を踏み外す!その力を善行になぜ使わないのだ!」
ユーリは常々思うことがある。
アリアもロズウェルもシスタもイルセントも強い。強いからこそ、弱きを守るために戦っている。
だが、魔人族の連中や帝国の連中は強さにかまけて、弱い者から搾取するためだけにその力を使う。
守るためではなく奪うためにその力を使う。それが、ユーリには理解できないことであり、納得のできないことであった。
「強いのであれば、守るべきだ!奪うのではなく、守るべきなのだ!」
「……………」
ユーリの叫びに、ネクタルは余裕の表情を消し去り真顔になる。
「…少し、私の昔話をしてあげるわ」
突然、動きを止めそんなことを言い出すネクタルに、ユーリは訝しみながらも動きを止めネクタルの話に耳を傾ける。
「私は昔奪われる側だったわ…。とある貴族が権力をたてに娼夫だった私を買い取った。ほら、私って美しいじゃない?だから、買われちゃったのよ」
茶化したような言葉に、しかしユーリは反応を示さない。
ネクタルは肩をすくめると話を続ける。
「そこからは地獄だったわ。毎晩毎晩男共に犯されてね。途中で、自分は女なんだ。これは普通なんだって思わないとやってられなかったわ……」
ネクタルの言葉に、ユーリは目を見開く。
そんなユーリを気にした風もなく、ネクタルは言葉を続ける。
「でもある日、私は力に目覚めた。半魔である私の、魔の力。この細身に似合わない怪力。それが私の生まれ持っていた力だったの。私はその力で全員殺した。館にいる全員を、ね」
「…それで…今あなたが殺しをするのと、何の関係が?」
ユーリの質問に、ネクタルは薄く微笑みながら応える。
「私はもうたくさん奪われた。だったら、今度は私が奪ってもいいじゃない」
「なっ!」
「館の全員殺しても、私の気は晴れなかったのよ。私がこうなるに至った全ての人を殺すまで、気は晴れない。晴れたりしない。多分、全員殺し終わっても晴れないわ。多分…ではないわね。これは確信よ」
ネクタルはそう言うと、これで話は終わりと言わんばかりに構えをとる。
「今度は私の番!!散々蹂躙されてきたんだ!!今度は、私がーーーー」
勢い良く地を蹴りつけ、肉薄するネクタル。その速度は先ほどまでとは比べものにならないほどの速度であった。
「ーーーー全てを蹂躙するのよ!!」
振り下ろされる右腕。
ユーリは慌てて回避行動をとるが、タイミングが少し遅れ、左肩を斬りつけられる。
「があっ!」
「ほら!まだまだ行くわよ!」
ユーリが避けることを予測していたのか、すぐさま左腕が横薙に振るわれる。
ユーリは剣で弾きながらワイヤーとワイヤーの間をすり抜ける。
すり抜けると、今度はユーリから攻撃に出る。
ネクタルはすぐさま右腕のワイヤーを引き戻し右腕に巻き付ける。
ワイヤーを戻している間にユーリが懐に入り込んできたので、接近戦で相手をしなくてはいけないからだ。
振られた剣を拳で殴りつける。
「ふっ…ぐうっ…!」
「ぐっ…!」
両者の腕に激しい振動が伝わる。思わず取りこぼしそうになった剣を、ユーリは堅く握りしめる。
鍔迫り合いになれば怪力のネクタルが有利と判断し、ユーリは剣を離すと、すぐに斬りつける。それと平行して、ユーリは魔法を唱える。
「我が身は風をも置き去りにする。我が身は音をも置き去りにする。光には届かぬも、我が身を追える者は稀となる。最速と化せ!!《高速剣》!!」
遠距離系の魔法では意味がない。標準を合わせなくてはいけないし、何より自分も巻き添えを喰らう可能性がある。そのため、ユーリは身体強化系の魔法を選択したのだ。
魔法発動と同時に各段に上がるユーリの剣速。
一撃の重さはかなわないので、手数で押し切ろうというのだ。
ネクタルは、ユーリの猛攻に対し、防御にてっするので精一杯だ。
高速で剣を叩きつけながらも、ユーリは叫ぶ。
「あなたは……間違ってる!!」
「はあっ!?」
「蹂躙される側だったから、今度は蹂躙する!そんな道理が通るわけがない!!だから、あなたは間違ってる!!」
「そんなこと………そんなこともうとっくの昔から分かってんのよおぉッ!!」
「だったら、どうして!!どうしてその間違った道を突き進むのだ!!分かっていたのなら、正せたはずなのに!!」
「自分が間違ってることなんて分かってる!!理解している!!でも、それでも世界が憎くて仕方なかったのよ!!世界を憎みながら正しく生きろと言うの!?無理よ!!憎しみしか抱いてない私には、人の健やかな営み全てが憎くて仕方がないのだから!!」
心からの叫び。その叫びには、恨みと憎しみが込められていた。だが、その中に少しだけ、悲しみが混じってもいた。
「あなたに分かる!?半魔だからといって者を売ってもらえない気持ちが!!体を売るしか選択がなかった私の気持ちが!!信じてた者に裏切られて、売り飛ばされる気持ちが!!」
「っ!…それは…!」
「あんたみたいな温室育ちに理解なんてできないでしょうねぇ!!奪われるだけの人間の気持ちは!!あんたが見てる綺麗な世界の裏にある、汚い私達の世界なんて、理解できないわよねぇ!!」
「ぅ……あ……」
確かに、理解はできなかった。
ネクタルの抱える過去のことも、その過去がネクタルに限った話でないことも。そして、被害者である彼の気持ちも。
何一つ理解できていないユーリから発せられた言葉は、ただの綺麗事でしかなかった。
なにも知らないから言える綺麗で正しい理屈。
汚くて、間違った理屈でしか生きられないネクタルに対し、言うべきではなかった理屈。
ネクタルの怒りの叫びを聞き、その真実に触れたユーリは狼狽し、剣を鈍らせる。そして、それを見逃すほど、ネクタルは甘くはない。
「ああっ!!」
魔法の精度も落ち、剣筋も鈍った剣をネクタルは意図も容易く弾き飛ばす。
そして出来て大きな隙。
ネクタルは渾身の力を込めてワイヤーを巻いた右拳を、がら空きの腹部に叩き込む。
「かはっ!」
慌てて防御の魔法を発動させるが、効果の薄いものしかできなかった。当然、ネクタルの渾身の一撃は、そんな薄い防壁に遮られるほど甘くはない。
容赦なく叩き込まれる拳。
ユーリは体をくの字に曲げて吹き飛ばされる。
肺から、強制的に空気が抜けていく。それと同時に大量の地も吐き出す。
飛んでいく勢いそのまま壁に勢いよく背中を打ち付ける。
衝撃で視界がチカチカと明滅する。
「がはっ…がひゅっ……げほっ…」
吐瀉物と血液が混じったものが口から吐き出される。
「綺麗事で…この世界は生きていけないのよ…」
歩いてくるネクタル。
ユーリは立とうと試みるも、体に力が入らない。それに、手足の感覚もない。殴打されたところがズキズキと痛むばかりだ。おそらく、骨の数本は折られてる。いや、数本ですめば良い方だ。十数本は覚悟した方がいいだろう。
頭も打ったのか、後頭部がじくじくと痛む。視界もぼやけているし、頭は霞がかかったようにぼやけてはっきりしない。
ただ、そんな頭でもこれだけは分かった。
負けた。
ユーリには剣を握るだけの力も、立ち上がるほどの余力も残されていなかった。
それが分かっているのか、ネクタルは早足で来ることもなく、ゆっくりとユーリに近付いてくる。
「……綺麗事が大好きなあなたは、綺麗に殺してあげない。ずたぼろに引き裂いてあげるわ」
とうとう、ユーリの前まで到達するネクタル。
ユーリは少ない力でネクタルを仰ぎ見る。
「でも、痛いのは少しかわいそうね…もうすでに痛々しいし……いいわ。せめてもの情けに一撃でしとめてあげる。その後でずたぼろに引き裂けばいいしね」
そう言うと、ネクタルは右腕を振り上げる。
ユーリは来るべき衝撃に対して、目を瞑ることもなく、力むこともなかった。ただ、ネクタルの目をジッと見つめる。
「…なにか、言い残したいことは…?」
「…………………まな…い…」
「うん?」
「…すまない……」
「それは…なにに対してかしら?」
「……あなたのことを…なにも知らないのに………ずいぶんな…ことを…言ってしまった…だから…」
そこまで頑張って言うと、ユーリはせき込みながら吐血する。
「…あらそう。まあ、その謝罪は受け入れるわ。それじゃあ、今度こそーーーー終わりにしましょう」
「あいや待たれい、でござる」
ネクタルの腕が振り下ろされる前に、何者かが二人の間に割ってはいる。
「なっ!?」
ネクタルは反射的に攻撃を中断し後方に飛び退き、乱入者と距離をとる。
「あなた…何者?」
「誰と問われれば答えぬ訳にはいかんでござるなぁ」
乱入者は飄々と答えるとニカッと子供のような笑みを浮かべる。
「拙者、ツバキ・リーリン。ただの商人でござるよ」
 




